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紙の本
「もしもベッドで隣にいる配偶者のフェルトペンの音を聞いて、彼女が考え、書くことをリアルタイムで知ることができたら、どんなにか素敵だろうと思う」と語る男の昼下がり
2004/01/27 21:42
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投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
訳された順番とは異なるが、ベイカーの二作目である。前作「中二階」ではオフィスに向かうエスカレーターに乗るあいだの回想であったが、今作では語り手夫婦の間に生まれた〈バグ〉という赤ん坊にミルクを与えるあいだの回想である。そこからも想像されるように、今作では主として家庭内のプライヴェートなことが話題となる。しかし、それ以上に「室温」を「中二階」と違ったものにしているのは、妻のパティという「話し相手」がいることだろう。
もちろん「中二階」でも見せたように、物事の最も日常的な側面(無意味なものに意味を見い出すというシニカルな態度ではなく、もっともつまらないと思われているがもっともささいな形でわれわれに関係しているものを愛するということ)に照明を当てるという基本的なスタイルは変わらない。その点で今作は訳者解説にもあるように、ピーナツバターの壜や、句点であるコンマ(,)などが小説のなかで次々に意味づけされていき、最初と最後ではその一事にまつわる読者側の印象がまったく変わってしまっているという技巧がより上手くなっていると思う。それは自らの小説技巧について意識的に演出を加えようとしていると言うことでもあるのだろうが、今作についての印象を形づくっているのはそのことではない。
前作では語り手「ハウィ」は、ほとんど友人と会話を交わすこともなく、恋人もイニシャルのみで書かれているせいか、一人だけの小宇宙といった風情があって、閉鎖的な感じがしていたのだが、今作ではそれらの愛すべき小宇宙が妻に向かって開かれているように思える。
開始時点で語り手がミルクをやる相手が、自分たち夫婦の子であることもそうだし、その部屋に掛かっているモビールは妻が作ったものである。赤ん坊、モビールなどからは、自分と妻とのたくさんの思い出がよみがえる。
途中、語り手がコンマの歴史について思いをめぐらしているうちに、自分が鼻ほじりをしているときの呼吸音を妻に聞かれ何の音だか問われたとき、本当のことを言おうかごまかそうかと考えあぐねている場面がある。そこから語り手は、自分と妻との間でトイレの大きい方に行くときに、「大仕事」という符丁を使い始めたときのことや、自分が小便するのを目の前で妻に見せたときのことなどを思い返しながら、果たしていま自分が鼻をほじっていたことを伝えたら、軽蔑されてしまうだろうか、と考え、さらに赤ん坊の鼻の穴を自分がほじるのを赤ん坊が受け入れるようになったことなどを延々二十頁にわたって語ったあと、やっぱりごまかしてから結局すぐに本当のことを告白してしまうくだりは、コンマの歴史について語った部分と並び、もうひとつのクライマックスを形づくっていると思う。
そういったエピソ−ドが示しているのは、どんなにつまらないことであっても、というかそれをこそ共有したり、打ち明けることが、二人にとっていかによろこびになりうるか、ということである。
そしてまた、それが共有すべき最重要項目となりうるのは、語り手が持つある考えに拠っている。
それは、「任意に(あるいはほぼ任意に)抽出された二十分間から、その人の人生の全体像を復元することができる」という信仰である。語り手は、その人がその二十分間に思考したプロセス全体から、その人にかんする重要なエピソードをある程度網羅できる、と信じている。
これはそのまま今作の註釈ともなっており、日常のあらゆる細部、ピーナツバターの壜やコンマ、そして人生のコンマと語り手が名づける赤ん坊の「バグ」が、なぜ重要な語られるべき事柄であるのか、そしてそれを共有するのが何故最重要なのかの、絵解きとなると思われる。
だから、彼らの人生において重視されるのは、恋愛のドラマやその帰結としての結婚式ではなく、ごくつまらないように見える小さな出来事を、ふたりで共有できるというよろこびなのだ。
紙の本
2000/9/24朝刊
2000/10/21 00:17
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
身の回りの物に、まるで顕微鏡のような視線をあてて考察した、独特な文体で知られる米国人作家の中編小説。邦訳はこれが四作目にあたる。
秋の昼下がり、主人公の「僕」は、ロッキングチェアに座り、生後六カ月の娘にミルクを飲ませている。赤ん坊をベッドに寝かしつけるまでわずか二十分間、主人公のあてどもない思考が繰り広げられる。妻の贈り物のセーターのこと、その妻と交わした互いのくせに関する会話のこと……。あるきっかけで、思いは少年の日の記憶へさかのぼるかと思えば、英文表記上の「コンマ」研究の世界的権威を夢見るといった、あらぬ方向へふくらんでいく。
だれもが感じていながら、ちょっと恥ずかしくて言えないような心理描写の魅力が、飽きることなく読者を導き、ほっと安心させる読後感を与えてくれる。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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