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自分の道を踏み外し、生きる意味を失った主人公「生島」は作者車谷長吉の姿だったのか。
熱いという言葉を発することができるのは、火の中へ飛び込んだものだけ・・・。
自ら堕ちるのと堕ちてしまったのは違う。堕ちきることができないために「生命の言葉」を吐き出せないもどかしさややるせなさがにじみ出れば出るほど、この小説の「生命の言葉」が輝きを増していく気がした。
この情念深い小説は、私は好きです。
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凄まじい物語である。
この話はすでに10年以上前に書き上げられている。その年の直木賞を獲っている。
その後しばらくして、もう私小説は書かないと著者は宣言した。命を削るような話は最早書けないとも言った。当然だろう。
『漂流物』が、本命視されていたにもかかわらず芥川賞を逸したとき、この話は原稿用紙にして300枚ほどすでに出来上がっていたという。著者の奥さんは、コノ物語が完成した直後、夫はコノ作品で次の直木賞を獲る。と断言し吹聴して回ったという。身内の欲目、では断じてないと思う。彼女とて一級の詩人であるからではない、ある程度の読書人であれば、一読すればその「確信」が解る。
白洲正子が「十何年もまえに見っけたのは私なんだからねっ」と豪語したのは直木賞受賞の直後だから既に10年前だ。稀代の目利きが見出してから世間が認めるまで十数年を要したことになる。私のような凡人がその存在を発見したのが四半世紀後であっても恥ずかしいことではなかろう(でも、もっと早くに知っていたならもっとよかっただろうが)。
書くことに命を賭し、あるいは書くことで命を苛み、生きて狂ったか、あるいは狂って死した累々たる文豪たちの人生と作品との比較において、凄みの点で一歩も引けをとらず、むしろ凌駕するほどのものである。尚且つ今生き、書き続けている作家である。
そしてまた、世に出た後も、なぜか埋もれている存在でありつづけて見えるのは、この作家に一層凄みを加えている。
万人にお薦めできるものではない。それどころか万人に戸惑いと一種の嫌悪を抱かさずにはいられないこの作家と作品は、それ故にこそ紛うことなき逸品に違いない。稀代の目利きが見出し、第一級の文学賞を獲った作品だから、ではない。読むものがそれぞれ読んで感得するしかない凄みがある。
最後の文豪である。少なくとも私ひとりはそう確信する。
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きれいな話とか明るい話とか好きじゃないから良かった。破滅願望のある主人公になぜかいつも感情移入してしまう。登場人物の一人一人が濃い。彼らが言う一言一言が心に刺さる。最初から最後まですごく良かった。
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何度読んでも、何度も呼吸が苦しいほど、何かが迫ってくる。映画も見たし、赤目にも行ったし、駅の名前から街も思い浮かべるけど、それでも足りない。
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とにかく夢中になって読んだ。
ひたすらモツを串に刺す仕事をしている主人公のまわりで
なにやらいろいろな事が起こっている。
隣室で、階下で、町で。
やっぱり見どころはアヤちゃんと行動を共にするところで
一気に読むペースが上がった。
笑えないしむしろ気が沈みそうな作品だけどおもしろかった。
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出版当時、上司から勧められた本。
「死にたくなるぞー」「生きてんのイヤになるぞー」
とか言われた。
読んでみて、これは面白いのかもしれないけれど、好きではない、と思った。
見たくないところを見せつけられる感じ。
しかし文庫が出て、思わず購入。
ずぶずぶはまっていくような感じはあるけれど、やっぱり好きではない。
一歩間違えれば、自分もこうなるかもしれないという恐怖。
気持ちが落ちているときに読む本ではない。
私小説であると聞いて、ますます怖くなった。
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プ~ンと、生臭さいというか何とも言えない匂いがこちらまで漂ってきそうな小説でした。
こういう馴染みのない地域の馴染みのない人種の描写を読んで、少々面食らいながらも、全体的にきっちりまとまってる印象でした。
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じっとりとまとわりつくようで、でもどこかドライな昭和風の文体が不気味な余韻を残す。
舞台は昭和の終わりだが、今にも通じる社会の闇を描く。
「住む世界」について深く考えさせられた。登場人物たちは、その後どこへ向かったのだろう。
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好きなブログでめちゃくちゃに良いと、三回立て続けに読んだとまでいわれていたので読んだ。
わたしには早かった。
新風館での上映までに観に行った。
ありえないくらいのミニシアター。
映画館じゃない空間で映写機上映。根性。
大学時代の思い出。
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ん~・・・。
読み終わるまでものすごく時間がかかったということは、
あまり面白くなかった、ということになる。
面白くなくはないけど・・・なんかもやっとする内容。
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文章がかなり好みだった。こんなにすっと自分のなかに馴染んでいく文章を読んだのはかなり久々だ。
なんの足がかりもなく突如として会社を辞め、ジリ貧の生活の末に阪神尼崎にたどり着いた。(ところで尼崎といえば現在コンクリ殺人の報道が毎日のようにされていて大変タイムリー)
「私」はかなりワケありのアパートの一室に住み込み、一日中病気で死んだ家畜の臓物を串に刺しつづける。
この、串刺しがよかった。女主人や東京の客人から「あなたはこんな仕事をしている人間じゃない」「ここにいるべき人間じゃない」と言われながらも「私」は串に腐った臓物を刺しつづける。その修行僧のようなストイックさ。けどその勤勉さがアダにもなってかえって周りの人間からは疎外というか、遠ざけられている。
「私」は結局、小説をとおして本当の意味では誰とも触れ合っていないんじゃないかっていう気がする。
むしろセイ子ねえさん、晋平ちゃん、さいちゃんといった一癖も二癖もある登場人物たちとの触れ合うか触れ合わないかの、接点がヒリヒリするような会話の描き方とか、とても上手いと思う。
しかしながらタイトルの「殺人未遂」にもあるとおり、アヤちゃんと駆け落ちのように外へ外へと逃げていくところから、だんだんと共感が薄れてしまった。なんか、そういうんじゃないんだよなあっていうか。わからん。
私小説は時代遅れとは言うけれど、こういうの読んじゃうと日本人には(少なくとも自分には)、自堕落な人間の私小説に思わず共感してしまうDNAでも組み込まれているんじゃないかと思ってしまうのだ。
解説から抜粋―
「現代の多くの小説が、社会の表層に浮遊しているだけなのに対し、車谷長吉は、時代の流れに抗うように、社会の底へ、人の心の深部へと下降していく。日々、消費されていく日常の時間とは別のところに身を置こうとする。生半可な言葉を拒否し、生の深みへ、淀みへ、泥土へと降りていこうとする。」
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単行本で出版された時に読んだが途中でやめていた。文庫本で再チャレンジ。
エグ味のある語彙と厳しい文体は相変わらず素晴らしい。
この長編を読んで思うに、この作家はやっぱり短編作家だなと感じる。今はまた違っているのかもしれないが。鮮烈な場面を書くが短編の瞬発力で読むにはメリハリがあると思うんだがどうも長編だと間延びしている気がする。途中で疲れてしまった。
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こんな本読んだことなかった。読みのやめようかどうしようかと迷いながらうつうつした中に引き込まれるように読んでしまう。最後には何故か爽やかな気分になったのが不思議。好きだ、この世界観。
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「赤目四十八瀧心中未遂」(車谷 長吉)を読んだ。覗き込んだ奈落のその深さに震える。防ぎようもなく沁み込んでくるこの哀しみに震える。10年くらい前に「金輪際」を読んで以来、車谷氏の作品からは意識して遠ざかっていたのだが戻ってきてよかった。この傑作を読まずに死ぬところだったよ。
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古い感じでけど超上手な文章に、私小説スタイル。最近の本だと、西村賢太を思い出した。インパクトの強い作品だったな~、こんな尖ったのが直木賞受賞作とは。面白かった、なかなかに食欲が失せる本だった。