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紙の本

メディア攻防史の意義と限界

2001/08/11 16:22

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アメリカ合衆国の大統領選挙がメディア選挙だっていうのはよく聞く話だけど、本当のところはどうなんだろうか。大統領候補や当選した大統領がメディア戦略を利用しはじめたのは、一体いつ頃なんだろうか。そんな疑問に答えてくれるのが、合衆国のメディア経験が長いジャーナリストの石澤さんが書いたこの本だ。
 著者によれば、大統領選挙でメディアが重要な役割を果たしはじめたのは一九五二年。それまでは一握りのボスたちが仕切ってた候補者選出の場にメディアが登場したことは、開かれた政治への一歩だった。でも、「有権者は候補者の人格や力量については……ほとんど何もわからない」(八五ページ)ため、メディアは徐々にイメージ戦略や選挙のエンターテインメント化のための手段になる。当選した大統領も、メディアを操縦してイメージや政策を浸透させようとする。メディアの側も、特権意識と政府監視義務、あら捜しと批判、資本の論理と言論の自由、こういった様々な対立軸に沿って揺れ動く。石澤さんは、インターネット時代になっても、メディアは情報の格付け機関として残るはずだから、政治の本質は理念と政策だってことを忘れず、また相互に批判しあうことを提言する。
 この本のメリットは次の二点だ。第一、一九五二年の大統領選挙をはじめ、大統領候補や大統領とメディアとの関係について、一種の攻防史を描いたこと。ケネディが世論調査システムを導入したことや、ニクソンがメディアの威力を熟知してたことや、レーガンの報道スタッフが〈メディアの本質は娯楽だ〉って見切って戦略を立ててたことを知ってる人は、それほど多くないはずだ。こんな歴史を知ると、なぜ合衆国でメディアと政治の関係が人々の関心を呼んでるのかがよくわかる。
 第二、合衆国のメディアがこのところ変質してる点を指摘したこと。つまり、メディア業界内の競争やメディア企業の買収が進んだりして、言論の自由よりも資本の論理が上に立ち、調査報道よりもエンターテインメントの方が優先されつつあるのだ。どういうわけか『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』やCNNは日本のメディアのお手本とみなされがちだから、合衆国のメディアのシビアな現実を知っておくことはとても大切だと思う。
 もちろんこの本には不満もある。二つ挙げておこう。第一、色々なエピソードを描いてるけど、それらの分析が足りない。たとえば、大統領選挙の報道内容は「本質解説型」よりも「ゲーム描写型」(三六ページ)のほうに傾いてるのはなぜか。「有権者は候補者の人格や力量については……ほとんど何もわからない」のはなぜか。ケネディやニクソンがメディアの重要性を知ってたのはなぜか。メディアが異業種企業の買収の的になってるのはなぜか。こういった点をもっと追求してほしかった。
 第二、この本に出てくるアクターは、大統領候補や大統領や彼らのスタッフ、メディア、この二つだ。でも、もう一人のアクター、つまり視聴者や国民の姿がみえない。彼らはメディアの支配者だとか、イメージ戦略の対象だとか、メディアの批判者だとか、ニュースよりも娯楽を好む消費者だとか、様々な特徴に触れてはいるけど、それ以上の説明はない。だから、説明がちょっと平板になる。権力の批判者だけど自分も権力だし、言論の自由の担い手だけど営利企業だといったメディアの二面性をしっかり捉えた上で、メディアと政治家と国民(視聴者)の三者ゲームを描き出すことが必要だろう。
 今後のメディアのあり方についての石澤さんの提言に、僕は基本的に賛同する。それは、合衆国だけじゃなくて、日本のメディアにも当てはまるし。この提言を実現させるにはどうすればいいか、僕らも考える必要がありそうだ。[小田中直樹]

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紙の本

アメリカ大統領とジャーナリズムの微妙なバランスを考察。アメリカ民主主義の今日的問題を探る

2001/03/29 18:16

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶山 皓 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アメリカジャーナリズムの歴史のなかで,大統領とメディアとの関係に大きな影響を与えた出来事が2つある。1つは20世紀初頭にセオドール・ルーズベルトが,ホワイトハウスの一角に記者室を設けたこと,もう1つはアイゼンハワーが大統領選挙に際して,テレビCMを用いたことである。前者は,大統領による巧妙なマスコミ支配・世論操作の出発点となり,後者は,政策よりもイメージを重視する大統領選挙の体質を生み出した。広告・PR会社が選挙を牛耳る結果となり,また相手候補の弱点を広告で攻撃する,ネガティブキャンペーンの原因となったのである。
 本書では,とくに20世紀以降の大統領のメディアへの対応を,その個人的資質を軸にして実証的に追跡している。筆者の言葉によれば,「大統領とメディア」という迷宮(ラビリンス)の解明である。とくにルーズベルト,アイゼンハワー,ケネディー,ニクソン,レーガン,クリントンなどの大統領が,ジャーナリズムとの関係維持や,ときには関係遮断に腐心し,それによって権力基盤の強化を図った姿が描かれている。大統領の多くが,ジャーナリストたちを巧みに懐柔して骨抜きにしたが,ニクソンのように,ジャーナリストによって権力の座を追われた大統領もある。補佐官たちの巧みな誘導で大統領という役割を演じきったレーガン,また世論調査にケタ違いの資金を投入して大衆人気を醸成したクリントンの存在が,アメリカ大統領の現実を象徴している。
 近年になると,マスコミ企業の合併・買収によって,経営効率の論理がジャーナリズムに流れ込んだ。筆者によれば,これに伴って多くの有力メディアがエンタテインメント化し,大統領の政策よりもゴシップを使って批判報道を繰り広げる結果となっている。これがジャーナリズムの本質を歪め,逆にジャーナリズム批判を誘発する土壌にもなっている。本書は,大統領とメディアの双方で進行する政治危機を鋭く分析し,またアメリカ社会の特質を浮き彫りにする興味深い著作である。
(C) ブックレビュー社 2000-2001

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2011/04/13 06:55

投稿元:ブクログ

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