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紙の本
映画女優のパーソナル・ネットワーク
2001/04/23 17:32
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投稿者:たけのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつだったか『カルメン故郷に帰る』をBSでやっていて、若き日のデコちゃんにすっかり見とれてしまった。本書によると、結果として最後の映画になった『衝動殺人 息子よ』の制作発表があったときにも、“カルメン、大船に帰る”だの、往年の名作をもじった記事がやたらとあったらしい。「この分だと、死んだ時には、どこかの新聞や週刊誌に『カルメンあの世にいく』なんて見出しが躍るのではないか」(p.12)。そんな、つかみのギャグ(しかもかなりブラック)ではじまる、高峰秀子、自伝『わたしの渡世日記』(文春文庫)以後の日々をえがいた評伝。
著者は、欽ちゃんの『まだ運はあるか』(大和書房)で、“紙一重の人”萩本欽一に果敢な心理戦を挑んだ取材・構成者だ。『週刊文春』の「家の履歴書」でも、しばしば(構成・斎藤明美)とあるのを見かける。小説も書いて、賞をとっているらしい(それも読んでみたい)。もと文春の記者として、原稿の依頼や資料の受け渡しに高峰秀子と松山善三の麻布の家へ出入りしていた彼女は、実母の死をなぐさめてくれた出来事をきっかけに、高峰のことを「かあちゃん」と呼んで慕うようになる。「とうちゃん」こと松山と3人の食卓で交わす会話が、トリオ漫才のように楽しくて、そこは本書の読みどころの一つだ。しかしそのような関係に落ち着くまでには紆余曲折があって、その過程で高峰の人となりを知ることになる。
確執のあった義母の介護とその死や、親族とのいざこざをくぐり抜け、女優業を引退して20数年の歳月に、高峰秀子は、その生涯に背負った“荷物”〔=社会的束縛〕を一つ一つ切り捨て、松山とふたりの現在の境地へと到達した。「日本の女優の宿命です。みんな何らかの形で肉親にたかられてる。私だけじゃないのよ」(p.84)と高峰がいえば、「高峰秀子が、通常の人間と大いに異なることは、彼女が、“血縁”をすべて断ち切ったということにある」(p.102)と著者が書きとめるその人間観、人間関係。幼いころから研ぎすませてきた“人を見る目”に、容赦はない。だからこそ、これと見込んだ相手には惜しみない愛情を注ぎこむ。
スクリーンを離れて久しい彼女だが、たまに請われて講演をすれば、いまだにファンが押し寄せる。ところがその帰り、会場となった同じデパートの地下食料品売場で、だれにも気づかれることなく平気で買い物をしている。「空気のようになって、死にたいの」(p.221)という彼女の、捨てられない最後の“荷物”は、日本映画史に名を残す大女優・高峰秀子という存在そのものであった。
また、そんな彼女に40年よりそってきた伴侶がいて、高峰秀子が桃太郎なら、この人は“ひとりイヌ・サル・キジ”だと著者がいう松山善三の、プロポーズまでのいきさつ、「高峰秀子の亭主」と呼ばれ続けた日々、それでも妻を見守り妻をかばってきた夫の生き方にも魅力を感じる。
【たけのこ雑記帖】
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