紙の本
塩野さんの作品は、とても好きです。
2008/10/25 12:14
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
塩野さんの作品は、とても好きです。女性の細かな描写力と男性の力強い表現力を兼ね備えているため、文章を通して風景が頭に思い浮かぶのです。
特に「ローマ人の物語」などの中で描かれている戦争の場面は秀逸。
さて、本作品はルネッサンス期にローマ法王の子息として、権力を得てその力を背景にイタリア統一を目指した野心家の物語。
マキャベリの「君主論」のモデルにもなったといわれるチェーザレ・ボルジア。
彼の生き方は、目的のためには手段を選ばないという非常にシンプルなもの。貴族的な表情の奥底に冷酷なものをもっている人物。
全くなにも持たない彼が、さまざまな策を弄してイタリア支配をしていく様は、圧巻です。しかし、その快進撃もやがて止まってしまいます。
彼の最期はあっけなくおとづれます。策の限りをつくした男の最期は、ひどくそっけなく描かれ、それが強烈な印象を与えます。
彼は権力のバランスをよくわかっていた人物で、そのバランスのとり方は現代の大きな企業で働く人たちにとっても参考になる処世術だと思います。
そういった意味では、「君主論」も現代のビジネスマンにとっては、必読の書なのでしょう。
龍
http://ameblo.jp/12484/
紙の本
処女作には すべてがある。
2007/09/02 10:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
塩野七生のデビュー作。
これを読んでいると 彼女の資質は やはり まず小説家である点が素直に分かる。チェーザレ・ボルジアという ルネサンスに実在した主人公を描いているわけだが その味付けは完全に小説家のそれである。
塩野は「ローマ人の物語」で 今や名高い作家となった。「ローマ人の物語」は 塩野が彼女なりに例えば ギボンなどに挑戦している歴史書なのだと思う。但し 歴史書を書くにおいて 彼女は自分が小説家が出自である点を最大限活用している。しばしば塩野は 自らの想像力の飛翔を許すにおいて「自分は歴史家ではない」と公言している。つまり 自分が 小説家だからこそ許される記述があるのだと宣言している。こういう人を「確信犯」と呼ぶのである。
但し だからこそ 塩野の著作は読み易い。
僕は思うのだが やはり本は「読まれてナンボ」という部分があると思う。塩野だってそれが良く分かっている。でなければ 「ローマ人の物語」を 薄い装丁での文庫化などやるわけがない。勿論 それを「商業主義」と呼ぶのは簡単である。但し 塩野の狙いは 少しでも読者に読んでもらうことにあったのだと思う。塩野が語っているのは 結局「日本」なのだと思う。塩野が考えている「日本」について 出来るだけ多くの人に声を届けたいという一心なのだと思う。
彼女のデビュー作は まだ優雅な物語でしか無い作品かもしれない。但し 塩野がその後に進んだ道はしっかりと刻まれている。「処女作に全てがある」とは 誰の言葉だったか忘れたが ここでもそれは正しい。僕は そう思っている。
紙の本
“生きた戦った愛した”
2003/09/13 00:00
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投稿者:流花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史上の人物を小説化する時、どこまで史実に忠実であるべきであろうか。第一、史実というのが疑わしい。長い歴史の中で、しばしば歪められて伝わるものである。ある一面を拡大してイメージづけてしまったり、時の為政者によって都合よく塗り替えられてしまったり。チェーザレ=ボルジアと聞いて、まず、悪いイメージが先行するのではないだろうか。ボルジア家といえば“毒”。残忍な殺人鬼。猟奇趣味。淫乱。…だが、それらのどこまでが真実なのか。塩野七生さんは、同じ時代に生き、接触もあったマキアヴェッリの眼を借りて、チェーザレを描いている。マキアヴェッリは『君主論』の中で、新興君主の行うべきことがらを述べ、その好適な例として、チェーザレを挙げている。
志半ばに倒れ、結局何もなし得なかったチェーザレは、歴史の歯車の前には、無に近い存在だったのかもしれない。しかも、塩野七生さん曰く、「自らを語ることが極端に少ない男で、手紙や日記などを残していない」というのだから、チェーザレについては、もう藪の中である。
だが、そのほうが都合がよいではないか。若くて美男でセクシー。しかも、大いなる野望を、“優雅なる冷酷”さを以て、着々と成し遂げようとしているのだからたまらない。23歳のチェーザレ=ボルジア。彼に理想の男性像を重ね合わせても罪にはならないだろう。父である法王アレッサンドロ6世の用意してくれた、枢機卿の地位を捨て、武将として、君主として、生きる道を選んだチェーザレ。彼は、冷静にして的確。熟慮断行。“イタリア統一”という壮大な目標のために、自分の時を待ち、一歩一歩固めていく姿には、まじめな努力家というイメージさえ浮かぶ。夜、窓辺に映る長身の影。休むことを知らない行動力。そんな姿に、読者としては健気ささえ感じ、思わず応援したくなってくる。若くて美男でしかもセクシー。そこにクールさと、内に秘めた情熱がプラスされたら、もう女性としてはたまらない。作者の術中にはまった読者は、チェーザレ=ボルジアとともに、壮大な夢を見るのだ。
「生きた。書いた。愛した」。…これは、文豪スタンダールの墓碑に刻まれている言葉であるが、チェーザレ=ボルジアは、31年という短い生涯を、「生きた。戦った。愛した」のではないだろうか。…と言いたいところだが、チェーザレ=ボルジアには、ロマンスの香りはしない。塩野さんは『サイレント・マイノリティ』の中で、「チェーザレは女になんか惚れない男」と言っている。そこがまた女心をくすぐるのかも知れない。しかし、冷え切った心を温かく包み、解かしてくれる女性と巡り会えなかったチェーザレの孤独な魂を思うとき、運命の“優雅なる冷酷”さを感じずにはいられない。「生きた。戦った。愛した」。…チェーザレには、“満ち足りた人生”を送ることが許されなかったのだ。
孤独な彼の実像は、だれにもわからない。だが、“チェーザレ=ボルジア”に、五百年もの時を越えて思いを馳せるとき、きっとチェーザレは、クールにして熱き一瞥を与えてくれるだろう。
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法王の息子であり、枢機卿まで上った男がイタリア統一を夢見て、走り出す。同時代にはダ・ヴィンチがいます
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歴史詳しくはないんで途中結構しんどかったです……。勉強せねば。なかなかドラマチックな一生ですねチェーザレさん。でも結構気になってたルクレツィアさんのことはあんま分かんなかったんで(まあチェーザレさんメインなんで当たり前ですけど)「ルネサンスの女たち」読んでみます。
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頭が切れて教養深く、見た目もかっこよく、腕も立ち、強靱な意志を持つチェーザレ・ボルジア。
当時の最高権力者の息子、ただし建前上は聖職者である父は妻帯できないのだが…そんなことは何のその。
テンポ良く、色っぽさもある文章。
これでイタリア史やルネサンスにはまった人も多いことでしょう。
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昔文庫で読んだのだけど、今回著作集ってことで出たので買う。シリーズものは全部揃えたいという困った衝動があるのだ。やっぱりいい。最高だ。法皇の息子として生まれ、枢機卿にまで登りながら「イタリア統一」の野望にかけたチェザーレ。生涯自分を弁解することはなく、行動のみで自己を体現していた。こういう男に私は弱い。ま、後世「毒を盛る男」として稀代の悪人みたいに言われているチェーザレだけど、自分自身に忠実だった、純粋だったのだろうと思う。少なくとも塩野七生はそういう風にかいている。冷静なタッチがかえってチェザーレの情熱を浮かび上がらせている。まさに蒼い炎。
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何の本だったか忘れたが、このチェーザレ・ボルジアのことが書かれていて、塩野氏の著作が紹介されていたので読んでみた。軽快な文章で一気に読み終えた。
15世紀末から16世紀初頭のルネサンス末期にイタリア統一を目論んだ若者の一生を描いた作品。
策略渦巻く小国と大国の群雄割拠の中、一人の男の野望に満ちた短い生涯、と読みどころは多々あれど、日本の戦国時代みたいに武将と戦いに脚光が当たりがちだが、領民はさぞや大変な暮らしぶりだったのではとそちらの方にも何となく興味が起こった。
ダ・ヴィンチにマキアヴェリとの邂逅なども興味深いところ。
この作品を足掛かりに読書の広がりも楽しめそうな1冊です。
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「ルネサンスとは何か」がとても面白かったので、塩野七生ルネサンス著作集を少しずつ読破していくことにしました。
順番的には、「ルネサンスの女たち」が先なんだけど、気分的にこちらを先に。
ルネサンス期のイタリアは、ローマ法王がヨーロッパ世界の宗教的支柱でありながら、フィレンツェ共和国、ヴェネチア共和国や、小国の僭主たちがせめぎあい、また、フランスやスペインに虎視眈々とその領土を狙われていた。
そんな中、法王の息子であったチェーザレ・ボルジアは、イタリア統一の野望を胸にわが道を突き進んでいく。
頭がよく、意志が強く、武芸にも秀でていたチェーザレ。
旧弊を打破し、自らの理想実現のためには残虐な行為さえもいとわない男。
(なんだか、織田信長みたい。)
多くを語らぬチェーザレの果敢な行動を追い、その半生を鮮やかに描き切っています。
イタリアの地理がよくわからず、時々地図のページに戻って確認するのがちょっと面倒。
それ以外は、華もあり、謎めいた部分もあり、展開にスピード感もあり、楽しめました。
実は、あとがき的な章の、塩野節炸裂!が面白かったりします。
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なぜイタリア行く前に読まなかったか悔やまれる。
私がこの本の主人公チェーザレ・ボルジアを初めて知ったのは同著者の『ルネサンスの女たち』だったのですが、女史がで書かれるチェーザレに魅かれてしまったんですね。
なんだか私の中での織田信長像と通じるところもあるような。戦略に通じ、奇抜で恐れられ、ありえない=ああはできないと、どこかで人々が憧れる人。
もし、を考えてしまうような物語でした。
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好きな俳優さんがチェーザレ・ボルジアを演じると聞いて、とりあえず借りてみた本なのですが、読み終わった時にはすっかり塩野七生が描くルネサンスの世界に浸かっていました。
最初のイタリアの背景やらを説明している部分は年号やら慣れないカタカナの名前などに、ぐっ、と思うのですが、それを飲み込めば後はチェーザレの一生を追いかけるだけです。
個人的にはチェーザレよりも父親のアレクサンデル6世に惚れますね。
愛人が~という点はさておき(調べたところ相当乱れていたらしいし笑)。
イタリア内部だけでもややこしい状態なのに、それを難なく御してトルコまで手のひらに載せてしまう辺り、さすが最高権力者。
またその血はしっかりチェーザレに受け継がれていて、チェーザレとフランス王との関係などは息をつめて読んでしまいそうな位。だけどそこがいい。
当時の複雑な状況を生々しく、分かりやすく描いているなという印象でした。
フランス王、ダヴィンチ、マキァベリ。
大学受験の世界史で聞いたことのある名前がチェーザレと絡んでいくのも読んでいて楽しい。高校世界史では「人物名」でしかなかった存在が読んで、知るにつれて「人」になっていく感じ。
いつか、もう少しルネサンス時代に詳しくなったときに読み返したい本。
その時はまた別の印象があるんだろうな。
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西暦1500年前後のイタリア。
文化的にはルネッサンスの花が開いた時代だが、政治的には、ヴェネチア、フィレンツェなどの都市国家のほか小国が群雄割拠する。そこにフランス、ローマ帝国、スペインなどの外国が触手を伸ばす。こうした中で君主が生き残るためには、日本の戦国時代とは比較にならない高度の「権謀術数」が求められた時代だ。
時の法王アレクサンデル6世の子として生まれたチェーザレ・ボルジアは、この混沌としたイタリアの統一を目指す。ただし、その力が整うまではフランスの力を借り、その真意を察知されないよう慎重に、力が整うにつれ次第に大胆に。
政敵を毒殺したり、命は保証するとの条件で降伏した敵国僭主や武将を即座に処刑したり、部下として従軍していたウルビーノ公国を突然攻めて滅ぼしたりと、目的にためには手段を選ばない。また、部下の武将たちに反乱を起こされ(マジョーネの乱)絶体絶命のピンチに陥ったときも、時間を稼ぎつつ事態の好転を待ち、部下の罪は全て許すとの条件で和睦したにもかかわらず、反乱武将たちを殲滅してしまう。この徹底した冷徹さが、後年、マキャベッリをして「君主論」の中で、理想的君主のモデルとされた所以であろう。
法王アレクサンデル6世の後ろ盾があっての自分だ、ということは完全に理解していたチェーザレであり、対策も講じていたらしいが、彼の不幸は、法王が死んだ時(マラリアとされている)、自分も同じ原因で生死の境をさまよう状態であったことである。
ここを潮目に彼は運命の女神から見放され、結局32歳と若くして波乱万丈の生涯を終える。
以降は独断的私見:
16世紀以降のイタリアも群雄割拠が続いた。
イタリア統一は19世紀まで待たなければならないが、その間、周辺の列強オーストリア、フランス、スペインなど統一国家に翻弄され続ける。
19世紀に統一された後、列強に追いつけ追い越せと頑張りすぎて、とうとう第2次世界大戦で敗戦国に至った、その遠因がこのにある。。。というのはやや牽強付会か?
こうした後年の歴史を見るにつけ、確かに歴史にifは禁物だが、チェーザレが32歳の若さではなく、せめて我が織田信長くらい生きていたら、イタリアの統一は成っていたのかもしれない。
もし統一が成っていれば、その後の3世紀にわたるイタリアの苦悩もずいぶん変わっていたであろう。
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後記にあたる「メイキング」部分で、23 の傷に関する推測があった。その説明には納得させられた。史実至上主義のあやうさが、よくわかった。
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法王アレッサンドロⅧ世の子息で枢機卿だった英雄テェーザレ・ボルシアの生涯。そのような存在でありながら、いかに反キリスト教的な人物だったかが、今から考えると信じられないように思います。ちょうど500年前のイタリアの状況が良く分かります。当時のカトリックの堕落の様子が主人公親子及び妹・ルクレティア・ボルジアなどの生活から伺えます。主人公自身が法王の非嫡出子でるが故に法王の座を諦めざるを得ないなど、凄い話です。なお、フィレンツェ、ペルージャ、ボローニャなどの地名が出てくるとついつい現在のセリエAを思い出します。
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もともと興味のあったチェーザレの話なだけに読んでみるとその波瀾万丈の人生を垣間見る事が出来て非常に勉強になった。
イタリア統一という野心を持った彼のような男の最後があの様な形で終わってしまったのには残念である。