紙の本
珍しいSF
2001/07/05 15:32
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投稿者:青木みや - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説(大森望)によると、世界ではフランス語版してか出てない「イアン・ワトスン幻の処女長編」。「ワトスンが日本滞在中の60年代に構想し」、1970年に初稿、1982年に全面改稿された。
舞台は、〈暗示感応性ウィザード&共感マシン(SWARM)〉と〈確定法運用モジュール(MALE)〉と(日常生活機械人間(DETA)〉によって管理された秩序の整った近未来世界。
そこでは女は快楽と奉仕を男性に提供するために存在する。羊水タンクで育ち、注文通りに人体を改造されたカスタムメイド・ガール、10ドルでオルガスムをさせる自動販売機にさせられた女達やファックイージィ・ガールと、女はみんな脳ネットを埋め込まれたオルガスムマシン。彼女たちの「自意識」が目覚め、奴隷から解放されるのはいつの日か。
小説としてはカリカチュアライズされた世界がどうもリアリティに乏しい。特に女性達の感情の起伏が突拍子もなく、革命に向かう思考の経緯も不鮮明なので、不自然さがぬぐえない。だが人間の隠された欲望を赤裸々に描くことに挑戦し、男女平等という建前の現代社会を強烈に風刺している辺りが珍しい。しかも初稿の年代を考えるとワトソンのフェミニズムに対する考え方を知りたくなる。
あと表紙とカラー口絵のフィギュア(荒木 元太郎)が素晴らしく緻密な出来。なんというか小説本文よりこちらの方にリアリズムを感じて興味深かったです。
紙の本
この装幀で損をしている
2019/01/29 00:43
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
カバーのラブドールの写真だけでキワモノ扱いされても仕方ないが、内容も過剰な性にあふれた世界が舞台。その世界で、はじめから男性の慰み者として徹底的にカスタムメイドされて生み出されたセクサロイドたち。ヒロインのジェイドは大きな青い目を持った美少女。パトロンたちの屈折した歪な欲望に翻弄された挙句、転落しセックススロットマシンで体を売るようになり、ついには処分場に捨てられてしまう。そして同じように捨てられた仲間たちと反乱を起こして自分たちを生み出した男たちに復讐をする。ストーリーはどちらかというと「真面目」で、過剰なディティールに目を奪われるが、ジェイドの夢想で広がる観念的な部分も印象的。けっして女性蔑視ではなくむしろ逆。欠点ありとすればこの装幀。書店で買うのに気が引ける。英語圏でこの当時は出版できなかった事情がよくわかる後ろめたさ。
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これはSFCP=SFサイバーポルノか、VFNF=バイオレンスフェミニズムネオファンタジーか読み手の感性へのリトマス試験紙。奥歯な読書。
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『オルガスマシン』を。しかもこんなタイミングで?(読み返したくなったんだから仕方ないよ)。少し「解説」(大森望)の言葉を借ります。 顧客の注文通りに身体改造された異形のサイボーグ少女たちを描く、女版『家畜人ヤプー』。英米の出版社が後難を恐れて刊行を見送った、SF史上もっとも危険な小説、あまりにも早すぎたサイバーポルノグラフィ…。最初読んだときには、「ポルノグラフィ」は「サイバー」である必要はない(あってもいいんだけど)、むしろもっとナマナマしいものを思わずにいられない、という意味で、おもしろいのかそうでないのか、実はよくわかりませんでした。「サイバー」と「ポルノグラフィ」との間に乖離があるように感じた、だから「ポルノじゃない」と私は判断した。でも、ポルノグラフィとしてちゃんと読めるのか否か、これを視点にちょっと捲ってみます。「英文学」ではあるけれど、これは日本の「ある種」の雰囲気を追憶している、という意味でも、われわれは読めるはず。
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イアン・ワトスンはイギリスのSF作家で、「黒き流れ三部作」や短編集『スロー・バード』等の作品が日本でも知られている。多くの国で高い評価を受ける作家であるが、実はデビュー作『エンベディング』の刊行前、1970年に一本の長編を書き上げていた事は長らく知られていなかった。
それが“Orgasmachine”。「サイバーポルノ」と称され、英語圏ではあまりの過激さに出版を拒否され、辛うじてフランス語版とポルトガル語版が刊行されたものの、その他の国では幻の長編という扱いになっていた。
それが2001年に30年の時を経てコアマガジンから突然の邦訳出版。日本の読者を驚かせたが、しかしこれは日本の読者にこそ読まれるべきものだ。元々英語で書かれたものなのに読むことができない英語圏のファンは気の毒だと思うが、まあでも我々は幸運だろう。この、SF史上最も過激で危険な小説を読めるのだから。
退廃した「超男尊女卑社会」。女性は男性に奉仕するためだけに存在し、社会は男の原理で駆動している。「実存的な意味でおまえはモノだ――モノの終生の目的は外部の欲求の対象となることだ。女の存在は店のようなものだ。おまえのショーウィンドウはどうなっている」(p103)この台詞はこの社会の仕組みを端的に言い現している。
そんな世界では男の欲望を満たすためだけに身体改造を施されたフリークス「カスタムメイド・ガール」が人工的に「製造」されている(この小説の元々のタイトルは“The Woman Factory”もしくは“The Woman Plant”だった。「女性工場」である)。
猫の毛皮と爪を持つ女、身長が25センチしかない女、乳房が6つあり声を出せなくされた女。彼女たちは自分たちが「出荷」され注文者のもとへ旅立つ日を夢見ている。私を「発注」した人は私の事を可愛がってくれるだろうか――巨大な瞳を持つ女ジェイドもそんな一人だった。だが彼女たちの運命はそんな甘いものではなく、過酷を極めるものだった。
解説の大森望は「サイバーポルノ版『家畜人ヤプー』」と形容しているが、まさにその比喩が似つかわしい奇怪な物語が進行する。
英語圏で発禁になったSFポルノ、と聞いて妙な期待をしてはいけない。この小説はそんな「実用」に供するものではない。なぜかと言うと理由は2つある。
1つにはこの物語はエロティックであるよりグロテスクだからだ。男の欲望に忠実に従うよう設計された女たちの運命は目を背けたくなるほど凄惨である。つまり、英語圏の出版社が出版に二の足を踏んだのはその性描写の過激さというより、女性が完全にモノとして扱われる非人道的世界観に抗議が殺到するのを恐れたからなのだ。
もちろんそれはワトスンの意図する事ではないから最後にはそんな世界観を否定するラストを用意しているのだが、表面だけ見たら女性蔑視小説だと思われても仕方ないのかも。
中盤、セックス・マシン(自動販売機型売春装置みたいなもの)に閉じこめられたジェイドが記憶を失ったまま男たちに奉仕するシーンや、自分の運命を受け入れられず、しかし声を出せないように改造されている女性が、泣き叫ぶ事もできず涙を流しながら心を閉ざしてしまうシーンなどは読んでて辛くなるほど心に��き刺さる。
ワトスンはあえて極端に男たちを醜悪に戯画的に描いているが、ちょっと恐ろしいのは現実世界とも地続きに見える事。そしてそれが2つ目の理由である。
まず、ワトスンは60年代後半に三年間日本で暮らしており、その時の経験がもとでSFを書き始めた事はよく知られている。つまりその体験を受けて真っ先に書き上げたのが本書だったのだ。
だが驚愕するのは、21世紀の日本の読者からするとこの小説の描写も生温く感じる事だ。日本の変態文化に慣れた目を通すと、登場人物たちの変態行為もなんだかヌルい。邪な読者は英語圏で発禁になったっていうから期待してたのに!と感じるのではないか。
ワトスンの想像力を刺激した日本の文化は30年間のうちにさらに奇妙に加速して想像を追い越してしまった。その事が最も驚くべき事ではある。
何十万円もする精巧なラブドールが売れたりする現状を見ると、この物語も絵空事じゃないよなあと思うよね。
物語の後半では女たちの解放と救済が描かれる。どのような形でそれが実現するかはその目で確かめるべし。賛否の分かれる物語ではあるが、ワトスンにしては意外なくらいストーリー性があるので思ったより読みやすい。
表紙のドール制作と挿画は荒木元太郎という人が担当。僕は詳しく知らないのだけど、有名なフィギュア作家らしい。口絵も必見。
途中やや唐突に横尾忠則の作品に言及されたりするので面食らうが、日本文化が色濃く投影され、性と暴力を正面から扱った色々な意味で問題作である。