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ぼくらはみんな生きている 18歳ですべての記憶を失くした青年の手記 みんなのレビュー

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みんなのレビュー36件

みんなの評価4.1

評価内訳

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

うつくしい命が生きている

2003/08/01 23:22

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:hamushi - この投稿者のレビュー一覧を見る

 自閉症の息子の人生について考える手がかりがほしくて、重い脳障害を持つ人について書かれた作品を探すうちに、この本に出会った。

 作者の坪倉氏はスクーターの事故にあい、十八歳以前の記憶をほとんど失っている。それは、家族や友人の顔や人生の大切な出来事の記憶だけでなく、言葉の使い方や文字の読み書き、食事やトイレの習慣まで、すっかりなくしてしまうような、重度の記憶喪失だったという。

 十八年の間、家族や社会のなかで身につけ、自らの一部として積み上げてきた記憶のすべてを失い、まるで見知らぬ大人の姿を借りてこの世に産み落とされてしまった赤ん坊のように人生を生きなおさなけれはらならないという、作者の稀有な苦悩は、不思議なことに、先天的な脳障害である自閉症の人の手記に、どこか通じるものがある。

 まわりのひとが何をしているのか、何を考えているのか、分からない。他人の顔から笑いが消えてしまうと恐ろしくなる。言葉の意味がわからない。自分の推論が世の中の常識と違いすぎて混乱する。予測のつかないことがこわい。自分がいない。人のいないところに行きたい。感覚に関する異常もある。いろんな音がまじりあって聞こえるため、大学の講義を聞き取れない。身体感覚の鋭敏化とそれへのこだわり。また、さまざまな事柄の理由への強いこだわり……。

 作者の抱えるこれらの問題は、ドナ・ウィリアムズの「自閉症だったわたしへ」や、テンプル・グランディンの「我、自閉症に生まれて」に描かれた自閉症者の特異な世界観と、かなりの部分で重なるように思える。また、自閉症児である私の息子の生きにくさとも共通するものである。もしかしたら作者は、事故のために、自閉症者と共通するような脳の損傷をこうむってしまったのかもしれないと想像する。

 健常に暮らしている人であれば誰もが当たり前のこととして受け止め、易々と通り過ぎていくものを、坪倉氏や自閉症の人々は安易に受け流すことができない。周囲との埋めがたいギャップや孤独に苦しみ、困惑しながら生み出される思考は、恐ろしいほどピュアなものである。

 本書では、作者の記憶喪失後から自立を果たすまでの経緯が、そのピュアな文章で書かれていて、胸を打たれる。また、我が子のこうむった重い障害を受け止め、ともに苦しみながらも、自立への道のりを支えていかれた、作者のご家族の思いも伝わってくる。私にとって、出会えてよかった一冊である。

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紙の本

何気なく通り過ぎることが実は重要なのかもしれない

2002/07/16 14:39

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:斑鳩の人 - この投稿者のレビュー一覧を見る

人は誰でも幼時の頃何も知らないからいろんなことに
疑問を持ち成長していく過程で知識を蓄えていく。
この作品を読むとふだん何気なく通り過ぎていって
疑問に感じないことが呼び覚まされるような衝撃を
受けた。
この本の構成は第1章 ここはどこ? ぼくはだれ?、
第2章 これから何がはじまるのだろう、第3章
むかしのぼくを探しにいこう、第4章 仲間はずれに
ならないために 第5章 あの事故のことはもう口に
ださない、第6章 ぼくらはみんな生きているで成立
している。
坪倉さんが事故に遭ってから新たな旅立ちをするまで
が手記と形で瑞々しく描かれていると思う。
僕が感じたのは「お金」というものの怖さだろうか、
それが人の心をおかしくしていると思った。
過去の記憶を失うと「好き」「嫌い」「怖い」とか
いう感情が明確に分かれると思った。
また形のある「魚」に対する哀れみの心、
僕の子どもの時を思い出した。
この本はみんなの失われた心を思い出させてくれると
思う。

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紙の本

最近,感動したことがない人へ

2001/07/20 14:54

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:C.H. - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「そうだよ。子供のころ,僕だってこんな風に感じてた」。年のせいで鈍ってしまった感受性が,強烈に呼び覚まされました。

 この本は,交通事故で記憶を失った青年が綴った手記です。でも,単なるお涙頂戴物語ではありません。青年は,ふつうの子供が成長する過程で身につけてきたことを,もう一度,最初から学び直します。たとえば生活すること。たとえば人間関係を築くこと。さらには「楽しい」とか「悲しい」とか,自分の気持ちと向き合うこと…。

 大人になってから経験するその過程は,決して簡単なことではないようです。だけどそこで繰り広げられる彼の努力は,外界に対する感受性や疑問といった多くの大人が忘れてしまっていることの大切さを,気付かせてくれるのです。少しずつ,手探りしながら生きてゆく彼の姿には,すごくすごく刺激を受けます。

 とにかくとにかく,前向きな気持ちが湧いてきます。「最近,感動したことがないな」という人に,おすすめです。ぜひ読んでみて。

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紙の本

私たちが「ごはん」と呼ぶモノ

2003/08/10 01:05

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アベイズミ - この投稿者のレビュー一覧を見る

交通事故に遭いすべての記憶を失ってしまった青年の手記である。

ベットで目覚めたとき、家族や友人のことだけでなく、どうやって食べるのか寝るのかトイレに行くのかさえも忘れてしまう。そして、ほとんどの言葉を、その意味や名前までも忘れてしまう。裸になったような心許なさ。その中からはじめる物語だ。

「口が大きくあいて、体がゆれている顔を見るとあんしん。でも、目や口を小さくした顔で見られるのはいやだ。ぼくがなにをしたの」 。

私がヘルプしている男性患者のことを思い出す。彼の昔は、温厚な話し好きの人だったらしい。奥さんの語る彼の話。今の姿からは想像もつかない。その度に不思議な感覚を覚える。その話すべて奥さんが自分のために語る、慰めの「物語」なのではないか。なんて。

今の彼と言えば、わけもなく手や足が出る。不意打ちを食らい叩かれ蹴られてしまう。私も何度殴られたことだろうか。

「ぼくを見るとみんなの顔がかわってしまう…小さくなった目やつぼめられた口、顔のしわを見ると、息が詰まって、うまく話せない」。

彼の中の憤り。やるせなさ。それは青年が抱いた気持ちと似ているかもしれない。観葉植物を見て青年はいう(もちろんそれが何であるかは分からないが)あれはただ見ているだけだと。人間はいろいろ話しかけてきて、時々逃げ出したくなると。その言葉通り青年は時々人から逃れるように、家出をする。誰にも見られることのない夜の闇を好み、家族も知り合いもいない所へと彷徨っていく。

私の患者である彼は、逃げる代わりに、精一杯の暴力で抵抗しているのかもしれない。 そんなことを考えたりもした。



「かあさんが、ぼくのまえになにかをおいた。けむりが、もやもやと出ているのを見て、すぐに中をのぞく。すると光るつぶがいっぱい入っている。きれい。でもこんなきれいなものどうすればいいのだろう」 。

それが「ごはん」なのである。意味や名前を取り払った。

ああ、私は「ごはん」をちっとも知らなかったよ。と、なんだかその「ごはん」に手を合わせたくなる。そして、母さんがそれを「ごはん」だと教え、噛むことを教え、そこから「じわり」と伝わってくるモノが「おいしい」だと教えていく。「おいしい」は学ぶモノなのだ。出会うモノなのだ。言葉と意味との出会いが始まっていくのだ。そうやって彼は出会っていく。「かあさん」に「あまい」に「死んで動かなくなる」に。まるで、世界が急に色づき始めたみたいなのだ。

青年の記憶は、最後まで劇的に戻ることはない。記憶を取り戻そうと躍起になるが、それは叶わない。それならばと、世の中に馴染む術を体当たりで探っていく。その姿は、人に飼われたことのない動物のように痛ましい。こうまでして、人は人の間に入って行かなくてはならないモノか。答えは分かっている。分かっているから余計に切なくなるのだけれど。

それでも、彼はそれを受け止めて生きて行く。足りない自分を受けとめて。その姿は、やはり感動的だ。染色家として今を生きることを掴んだのだ。しかし私には、書き出しほど心を打ってこなかった。世界が色づき始めた頃の感動がない。でも、これはきっと意地悪な感じ方なのだ。彼はただ今を生きている。現在進行形に。淡々と。それこそがもっとも意味のあることだから。そして、それを書いただけなのだから。

きっと私は彼の今などお構いなしなのだ。ただあの、キラキラ光る白い粒に見とれてしまうような、それをどうして良いやら分からないような、そんな世界の住人に、恋焦がれているだけかもしれないのだ。

今でも彼はあんなにも「ごはん」に見入ってしまうことがあるのだろうか。と。

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2006/01/09 14:47

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2006/02/07 19:33

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2006/06/13 08:57

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2006/08/07 22:42

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2010/08/17 16:50

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2011/03/20 12:31

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