- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
紙の本
やはり泣けます、運命の理不尽さに叫び声をあげたくなります、とてつもなく格好いい男がいて、惚れる女がいます。まさにエンタメの原点
2005/11/20 21:16
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤原伊織再読の第二弾、というか読み残しかなと思って手にしたもの。ちなみに文庫版の奥付を見ると、文庫化が2001年、2004年で9刷ですから、順調ではありますけれど、内容がいいのでもっと読まれてもいいのかな、と。単行本初版は1998年で、途中で思ったんですが再読らしいです、はい。
で、先日WOWOWでみたリュック・ベンソン監督の映画『ミッシェル・ヴァイヨン』の話になります。ル・マンのレースを扱った娯楽映画ですが、何といっても絵作りが凄くて、画面一つ一つが芸術写真と言ってもいいもので、構図の見事さといったら、見た瞬間に夫と長女が、「なんだこれは」と叫んだほどものです。しかも空の色がいいです。もう、晴れていて青いのですけれど、蒼いといったような深みのあるというか暗めの色で、画面全体にうっすら墨を流し込んだようなしっとりした味わいを出しています。
話はある意味、シンプルです。よくある物語。そうですね、キーワードは「卑劣」。主人公たちの前に立ちはだかるのは、まさに卑劣な人間たちなのです。そして、藤原のこの本に出てくるのも、「卑劣」な男たちです。その前に、雄々しい男たちは、それを愛する女たちは、嘆き、叫び、祈ります。そして、読者である私は、嗚咽をこらえるだけなのです。
カバーの案内は
「母を殺したのは、志村さん、あなたですね。少年から届いたメールが男の封印された記憶をよみがえらせた。苦い青春の日々と灰色の現在が交錯するとき放たれた一瞬の光芒をとらえた表題作をはじめ、取りかえようのない過去を抱えて生きるほかない人生の真実をあざやかに浮かびあがらせた、珠玉の六篇。」
です。6篇を簡単に紹介すると
40年の人生でただ一人出会った殺人者。会社での陰湿な苛めと日本橋にある小さな玉突き屋。現在と過去が錯綜する「台風」(97)、カバー紹介に詳しい「雪が降る」(98)、軽井沢を舞台にバングラディシュから働きに来ている青年の恋を「銀の塩」(95)。
わたしはね、人魚なのよ、という女がホテルのバーで頼んだのは「トマト」(96)、銀行の常務を襲った後、組からフケて塗装工としてひっそりと生きる男と隣室に引越してきた母子「紅の樹」(98)、中元の品を届けに来た男にグラスを投げつける女、その家の庭を埋め尽くす「ダリアの夏」(96)、最後が、麻雀の話を交えながら、全作品を丁寧に教えてくれる黒川博之の解説。
以上です。( )内の数字は雑誌に発表された年。
「台風」で、人を殺人に追い込む男は、まさに卑劣です。「紅の樹」にも、同じような男が出てきます。助かって欲しい、生きて欲しい、そう思わない人はいないでしょう。それは『手のひらの闇』になっていきます。逆に、いい気なもんだと思わせる「雪が降る」は『ひまわりの祝祭』を連想させます。ま、それは強いて分類すれば、であって、全く違う話ではあるんですが。それにしても、この迫真としか言いようのない展開、静謐という言葉がピッタリのラスト、見事です。
文庫のカバーデザイン 多田和博、カバー写真 ㈱リーブラだそうですが、これは失敗の部類ではないでしょうか。少なくとも、成功はしていませんね。このカバーに惹かれて手を出す、ということはないようなものでしょう。ま、内容がいいですから、気にはなりませんけれど。
最後に著者略歴、1948年生まれ。東大仏文科卒。1985年『テロリストのパラソル』で江戸川乱歩賞、直木賞受賞。
紙の本
今のおれが家に帰るには、その方法以外ない。それしかない。 この言葉だけでもう何もいらない。
2011/12/06 14:30
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
若いなりに悩みながらも自分のことで手一杯、好き勝手生きて来た青春の10代。
社会や世界というシステムに組み込まれながら世間体に折り合いを付けるすべを身につけた20代。
そして私は今、30代。年輩方からはまだまだ若造と言われそうだが、それでもそれなりに人生とか自分の現実的な立場や将来を考えるようになった。
そしてこの作品を読み、人生は諦めと後悔の積み重ねなんじゃないか、などと思い始めている。
大人になり社会にでて生きていくということ、それは多少なりとも自分を殺し集団に埋もれ、社会に服従することを意味する。それは人間的、人道的にはにマイナスとされる面ではあるけれど、人は弱い生き物だからそんな緩く優しく濁った居場所はときに様々な重荷を埋没させてくれる逃げ場でもあるのだ。
仕事に終われ繰り返される無味乾燥な退屈な日々。それは、生きて行くには辛過ぎる思いや背負って行くには余りにも重い過去を、日常のなかに埋もれさせ、忘れさせてくれる安穏の日々でもある。
藤原氏の描き出す「大人」たちは誰もがそんな風にして、自分の深い思いを心の奥底に仕舞いこみ、忘れて生きている哀しくも愛おしい人間たちだ。
じつは藤原氏の短編集を読むのは本書が初めてである。
どれもこれもラストが効いた、読者をうならせる作品ばかりなのだが、最初の作品『台風』が一番感動した。
事件は唐突に起き、忘れていた過去の思い出は中年となった彼らの心へ怒濤のように押し寄せる。
己の判断の甘さと勇気のなさのせいで新入社員の殺人未遂を防げなかった事件の顛末に、かつて父が犯した同じミスと永遠に失われた青年の夢、その彼に想いを寄せていた姉の夢と少年時代の自分自身を思い起こす。
「そうだ、雨の中を行こう。いくら濡れたっていい。あの青年のように胸をはり、風のなか、頭を上げ歩いて行こう。この夜、今のおれが家に帰るには、その方法以外ない。それしかない。」
この3行のためにこの物語は用意されたのではないかと思う、それほどにかっこいい。
かっこいいなど、ありきたりの言葉で申し訳ないが、それ以外にあてはまる言葉が見つからないのだからしかたない。
続く表題作『雪が降る』も突然のメールによって思い起こさせられる過去の話だ。
「母を殺したのはあなたですね」という1通のメールが、出世頭の友人の息子から乾いた日常に埋もれる男のもとへ届く。男は友人の妻となってしまった青年の母と一夜を共にし、ある約束を果たせぬまま彼女は交通事故で逝ってしまった。思い出の映画タイトル同様「空白を疾走」をして来た男だが、青年は母が生前遺していた「送信しなかったメール」を彼に託す。
そして長い年月が経った今、彼女もまた空白を疾走していたことを知る…。
メインのストーリーもさることながら、しかしラストがかっこいい。
青年の父であり、主人公の友であり、彼の愛した女の夫であり、今会社を去り行く男が何も知らぬまま、主人公にあてがったネクタイ。その仕草。
男はどうしてかくも不器用で、かっこいいのかと泣けて来てしまう。
これもやはりありきたりだが、人生には喜びの数だけ悲しみがあり、愛しさの大きさだけ憎しみもあり、真実の数だけ誤解もあって、そのたびに人は泣いたり笑ったり、愛し合ったり別れたりする。
明日を生きるため、思いを断ち切ることも有るだろう、忘れることもあるだろう。
それでも本当に忘れ去ってよい思い出など一つもないのではないかと、そう思えて仕方がない。
いや、思いたい。そう信じさせてくれる藤原氏のロマンである。
紙の本
読み易さは綺麗な日本語だから
2003/02/04 21:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:亜李子〓Alice - この投稿者のレビュー一覧を見る
初めて読んだ藤原伊織氏の作品は、この『雪が降る』だった。表題作の他に五篇の短篇作が納められている。どの作品も胸を張って薦められるものだが、中でも、表題作と『台風』の二作は何度でも読み返したい気分にさせられる。
——母を殺したのは、志村さん、あなたですね。
それは、一通のメールから始まった。
『雪が降る』は一見草臥れた中年男性の過去の出来事が、昔関係した女性の息子が現れることによって鮮やかに蘇る。
“今”を生きる人びとが、ふと後ろを振り返ってみる瞬間。それをピントがブレることなく映し出した作品だ。
ことによると湿っぽくなりそうな題材を選んだものだが、そこは藤原氏。そんなことを微塵も見せずに書ききった。
雪が降る日、ふと読みたくなる作品だ。
『台風』は、ひとを殺しかけた部下からストーリィが流れ出す。主人公が昔、出会った『人を殺した人間』の話がメインに展開される。
人を殺すこと、そんな権利は誰ひとり持っていない。しかし、殺されるに等しい暴力を受けたのならば、権利があろうとなかろうとひとは思わぬ行動を起こすものだ。
悲しいまでの美しさ、そして強さ。
後悔は今に必要ない。必要なのは、ただ、過去から学んだ強さなのだ。
どの作品も読み易く、そして奥が深い。けれども良く味わってみない限り、その奥深さは感じ取れないだろう。藤原氏の文章の美しさは、さらに多くを読んでいない限り解らない。大したことがない、と云うひとは、まずその辺りの作品と較べてみるが良い。これほどまでに美しい文章を、驕ることなく如何にも当たり前のように書いている作家は早々存在しないはずだ。