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僕はやってない! 仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記 みんなのレビュー

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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

高い評価の役に立ったレビュー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2004/02/26 23:18

やっていようと、やっていまいと…

投稿者:常識なんて、糞食らえ! - この投稿者のレビュー一覧を見る

■「やっていようと、やっていまいと…」なんて、書評タイトルにすると、勘違いされそうだぁね。守被告は、決して犯人じゃない、とワタシは思う。被告が准看護士として、働いていた病院の、杜撰な儲け主義と、警察の杜撰な捜査と、検察の杜撰な検証が招いた、怠慢きわまりない悲劇でしかないということは、十中八九、間違いないだろうから。
■でも、ここで読み解きたいことは、冤罪が作られるという、その構図なんです。警察や検察は、自分たちの面子を保つことと、権力をもつ証言者の地位におもんぱかるために、逮捕者を、何が何でも犯人に仕立てようとする。テレビや、新聞や、雑誌は、一部を除いて、自分たちの責任を避けるために、ニュースの発信元を警察や検察にして、被告=犯人という憶測のもとで、大々的にニュースを流します。これも、一種の共犯と、いえなくもない。
■たとえば、被告人が、万が一犯人だったとしても、それを立証する証拠を、自分たちの怠慢さで、警察が、見つけられなかったならば、犯人と同罪です。被害者の遺族は、事件自体に加えて、二重の苦しみを味わうことになります。
■じゃあ、マスコミはどうかといえば、自分たちが発信するニュースを流すことにたいする責任を、警察や検察に、転嫁する。警察や検察が、発表した内容なら、大丈夫とばかりに、垂れ流しをはじめます。これは遺族を、三重に苦しめることになります。
■その結果として、遺族は、被告を恨まざるをえなくなります。もしも、これが、冤罪になったら、遺族は、どこに怒りを、ぶつければいいのでしょうか。
■警察や検察やマスコミの仕事は、犯人を作ることじゃないはずです。真実をつかむことが重要だ。そういうことを強く考えさせられる本なのです。

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低い評価の役に立ったレビュー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2001/07/18 22:15

前編たぶんやってないだろう、いや、きっとやってない。

投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、いろんな意味できわめて興味深い映画だった。ただ、この映画での主人公セルマの冤罪の描き方には、見ていてちょっと引っかかった。「いくらなんでもこんなにズサンな捜査はないんじゃないの(けっこう昔の時代設定だ)」と思ったのだけれど、あに図らんや、現代ニッポンでもなかなかどうして冤罪の種は尽きないようだ(本サイト<人文・社会・ノンフィクション>の連載<ヨーロッパと思考>で、高桑和巳氏がこの映画を取り上げて示唆に富んだ考察をされているので、興味のある方はお読みいただきたい)。

 7月11日、仙台地裁で「筋弛緩剤点滴混入事件」の初公判が行われた。1件の殺人、4件の殺人未遂という凶悪犯罪をめぐる裁判だが、守大助被告は罪状を否認、弁護側は起訴要件を満たしていないとして公訴棄却を訴えた。
 事件の概要は周知のことと思うが、起訴事実をざっと確認しておこう。
(1)2000年2月2日、1歳の女児に筋弛緩剤の溶液を点滴の管から注入し、窒息死させようとした。
(2)同年10月31日、11歳の女児に筋弛緩剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。
(3)同年11月13日、4歳の男児に看護婦を通じて同剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。
(4)同年同月24日、89歳の女性に同剤を混入した点滴をし、窒息死させた。
(5)同日、45歳の男性に同剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。

 守大助被告は(2)の殺人未遂容疑で、2001年1月6日、逮捕された(後に4件が追加される)。少女は現在もなお意識不明の重体であるという。憎むべき犯罪である。これが事実だとすればだが。はたして彼は「連続点滴魔」なのか? 本書は、守被告の勾留手記、勾留日記、および阿部泰雄弁護士による「事件の構造解明」の3部からなる無実の訴えの書である。

 ここでは、主として阿部弁護士の主張に沿って、一部私見を交えながらこの「事件」の問題点を挙げてみたい(煩雑になるので引用符は略す)。
 この事件のキーワードは、(a)筋弛緩剤、(b)点滴、(c)無差別連続殺人である。まず(c)に関しては、犯行の動機が不明確である。1ヶ月たらずの間に4件(しかも同日に2件)も無差別に殺人を行うというのは相当追いつめられていたはずだ。嫌疑がかかることも当然予測されよう。恋人との結婚を間近にひかえた彼に、それほどのリスクを冒さねばならない理由は見あたらない。
 次に(a)および(b)だが、筋弛緩剤には直接人を殺傷する効力はない。投与すると肺を動かす筋運動を止めるために呼吸停止が起こるが、人工呼吸を施せば心停止には至らない。病院には人工呼吸の用意が整っているので、殺人にはきわめて非効率的な方法だ。また、本件に使用されたとされる筋弛緩剤マスキュラックスはアンプル入りの粉末で、通常は輸液に溶かして静脈に注射する。注射では2〜3分で効果が現れるが、点滴に混入すると効果の発現はどれほどの量がどれだけの速度で投与されたかによって異なる。本件の起訴事実には、マスキュラックスおよび点滴溶液の量は明らかにされていない。つまり凶器性が明確でないということだ。これが弁護側が公訴棄却を求めるおもな理由である。
 また、患者の血液や点滴ボトルからマスキュラックスの成分が検出されたという鑑定結果だが、たとえば心筋梗塞と診断され死因に不審を抱かれていなかった患者(4)の点滴ボトルや血液がなぜ保存されていたのか? 1歳の女児(1)にかんしては、なんのために1年間も血液を保存する必要があったのか(たしかに保存されていたのか)? しかも筋弛緩剤は分解速度が速く、血液から検出しにくいとされている。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者 2001.07.19)

〜 書評後編へ続く 〜

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紙の本

やっていようと、やっていまいと…

2004/02/26 23:18

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投稿者:常識なんて、糞食らえ! - この投稿者のレビュー一覧を見る

■「やっていようと、やっていまいと…」なんて、書評タイトルにすると、勘違いされそうだぁね。守被告は、決して犯人じゃない、とワタシは思う。被告が准看護士として、働いていた病院の、杜撰な儲け主義と、警察の杜撰な捜査と、検察の杜撰な検証が招いた、怠慢きわまりない悲劇でしかないということは、十中八九、間違いないだろうから。
■でも、ここで読み解きたいことは、冤罪が作られるという、その構図なんです。警察や検察は、自分たちの面子を保つことと、権力をもつ証言者の地位におもんぱかるために、逮捕者を、何が何でも犯人に仕立てようとする。テレビや、新聞や、雑誌は、一部を除いて、自分たちの責任を避けるために、ニュースの発信元を警察や検察にして、被告=犯人という憶測のもとで、大々的にニュースを流します。これも、一種の共犯と、いえなくもない。
■たとえば、被告人が、万が一犯人だったとしても、それを立証する証拠を、自分たちの怠慢さで、警察が、見つけられなかったならば、犯人と同罪です。被害者の遺族は、事件自体に加えて、二重の苦しみを味わうことになります。
■じゃあ、マスコミはどうかといえば、自分たちが発信するニュースを流すことにたいする責任を、警察や検察に、転嫁する。警察や検察が、発表した内容なら、大丈夫とばかりに、垂れ流しをはじめます。これは遺族を、三重に苦しめることになります。
■その結果として、遺族は、被告を恨まざるをえなくなります。もしも、これが、冤罪になったら、遺族は、どこに怒りを、ぶつければいいのでしょうか。
■警察や検察やマスコミの仕事は、犯人を作ることじゃないはずです。真実をつかむことが重要だ。そういうことを強く考えさせられる本なのです。

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前編たぶんやってないだろう、いや、きっとやってない。

2001/07/18 22:15

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投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、いろんな意味できわめて興味深い映画だった。ただ、この映画での主人公セルマの冤罪の描き方には、見ていてちょっと引っかかった。「いくらなんでもこんなにズサンな捜査はないんじゃないの(けっこう昔の時代設定だ)」と思ったのだけれど、あに図らんや、現代ニッポンでもなかなかどうして冤罪の種は尽きないようだ(本サイト<人文・社会・ノンフィクション>の連載<ヨーロッパと思考>で、高桑和巳氏がこの映画を取り上げて示唆に富んだ考察をされているので、興味のある方はお読みいただきたい)。

 7月11日、仙台地裁で「筋弛緩剤点滴混入事件」の初公判が行われた。1件の殺人、4件の殺人未遂という凶悪犯罪をめぐる裁判だが、守大助被告は罪状を否認、弁護側は起訴要件を満たしていないとして公訴棄却を訴えた。
 事件の概要は周知のことと思うが、起訴事実をざっと確認しておこう。
(1)2000年2月2日、1歳の女児に筋弛緩剤の溶液を点滴の管から注入し、窒息死させようとした。
(2)同年10月31日、11歳の女児に筋弛緩剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。
(3)同年11月13日、4歳の男児に看護婦を通じて同剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。
(4)同年同月24日、89歳の女性に同剤を混入した点滴をし、窒息死させた。
(5)同日、45歳の男性に同剤を混入した点滴をし、窒息死させようとした。

 守大助被告は(2)の殺人未遂容疑で、2001年1月6日、逮捕された(後に4件が追加される)。少女は現在もなお意識不明の重体であるという。憎むべき犯罪である。これが事実だとすればだが。はたして彼は「連続点滴魔」なのか? 本書は、守被告の勾留手記、勾留日記、および阿部泰雄弁護士による「事件の構造解明」の3部からなる無実の訴えの書である。

 ここでは、主として阿部弁護士の主張に沿って、一部私見を交えながらこの「事件」の問題点を挙げてみたい(煩雑になるので引用符は略す)。
 この事件のキーワードは、(a)筋弛緩剤、(b)点滴、(c)無差別連続殺人である。まず(c)に関しては、犯行の動機が不明確である。1ヶ月たらずの間に4件(しかも同日に2件)も無差別に殺人を行うというのは相当追いつめられていたはずだ。嫌疑がかかることも当然予測されよう。恋人との結婚を間近にひかえた彼に、それほどのリスクを冒さねばならない理由は見あたらない。
 次に(a)および(b)だが、筋弛緩剤には直接人を殺傷する効力はない。投与すると肺を動かす筋運動を止めるために呼吸停止が起こるが、人工呼吸を施せば心停止には至らない。病院には人工呼吸の用意が整っているので、殺人にはきわめて非効率的な方法だ。また、本件に使用されたとされる筋弛緩剤マスキュラックスはアンプル入りの粉末で、通常は輸液に溶かして静脈に注射する。注射では2〜3分で効果が現れるが、点滴に混入すると効果の発現はどれほどの量がどれだけの速度で投与されたかによって異なる。本件の起訴事実には、マスキュラックスおよび点滴溶液の量は明らかにされていない。つまり凶器性が明確でないということだ。これが弁護側が公訴棄却を求めるおもな理由である。
 また、患者の血液や点滴ボトルからマスキュラックスの成分が検出されたという鑑定結果だが、たとえば心筋梗塞と診断され死因に不審を抱かれていなかった患者(4)の点滴ボトルや血液がなぜ保存されていたのか? 1歳の女児(1)にかんしては、なんのために1年間も血液を保存する必要があったのか(たしかに保存されていたのか)? しかも筋弛緩剤は分解速度が速く、血液から検出しにくいとされている。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者 2001.07.19)

〜 書評後編へ続く 〜

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2018/09/07 22:26

投稿元:ブクログ

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2018/12/23 23:17

投稿元:ブクログ

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