紙の本
無言館設立の裏話
2006/11/23 00:34
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投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
先日、「無言館を訪ねて」という画集を観た。著者は無言館の館主である。画集の方はあくまでも画集であるから、作品の方を前面に出しているのは当然で、裏話は最小限に抑えられていた。本書は画集では伝えられない無言館設立の裏話が書かれている。
無言館は先の大戦で亡くなった美術学校の学生または卒業生の作品を展示している日本に類を見ない性格の民間の美術館である。「はじめに」にも書かれているが、本書を書いた理由として、1997年に同美術館を設立して4年目、自分の足元を見つめ直そうとした点にある。設立した本人がその存在に対して「一片のフの落ちなさがある」、「未整理な、中途半端な気持ち」があるようである。遺族や賛同者たちの支援があると同時に、一方では偽善行為と同じに見る批判的な目もあるようである。無言館に備えられた感想文ノートには来館者が綴った言葉が収められているそうだが、その中には肯定的なだけでなく、同館の存在に否定的な意見もある。それらは単なる観光客の感想といった十分に無言館の趣旨が理解されていないと思われるものが多いらしい。そういった方は本書を読んでもらって、もう一度鑑賞に行くとよいだろう(私はまだ観ていない)。
著者が分析しているように、展示品を観た感想は世代によって異なるようである。ほぼ同じ年齢で命を落とした画学生の絵を現代の同世代の若者たちは純粋な目で捉える。同世代でなければ感じ取れないメッセージが伝わるようである。変な先入観なしに純粋に絵を鑑賞すればいいんだと目を開かされた思い(ちょっと訪れにくいな、とこれまで感じていた)。また、故人と生前、一緒に過ごした関係者による感想文などは涙なくしては読めない。
同館は民間美術館だけに今後の課題が山積している。遺族の高齢化に伴い、遺品をどうにかしたいと考えている遺族も多いそうである。それら全てを預かって、全てを展示するのは不可能である。しかし著者が現在、最も心配なのは「戦場で死んだ画学生のことなど誰も見返らない時代がすぐそこまできている」ことだ。そういう時代になれば上田くんだりまでわざわざ絵を観に来る人も減るだろう。同館はお先真っ暗である。
館主自身の迷いや悩みが伝わってくる本であるが、一上田市民としての私はこんな形でもいいから支援の意志を示すことにしよう。
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[ 内容 ]
長野県上田市の郊外に建つ、コンクリート打ち放しの平屋建て、建坪百二十坪の、十字袈形をした小さな私設美術館「無言館」。
日中戦争、太平洋戦争で、卒業後、もしくは学業半ばで、戦地に駆り出され戦死した画学生の、遺作や遺品が約三百点、展示してある。
建設のきっかけは、著者と画家・野見山暁治氏との出会いだった。
「戦死した仲間たちの絵」の話に共感し、全国の戦没画学生の遺族を訪問する旅を、氏といっしょにはじめたのだった。
[ 目次 ]
はじめに 「後ろめたさ」の美術館
第1章 「無言館」縁起
第2章 「無言館」の画家たち
第3章 「無言館」懴悔録
第4章 「無言館」その後
第5章 「無言館」への手紙
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太平洋戦争の戦没者の画学生の絵を集めた美術館、無言館の館主の著書。
卒論かいてるとき、ほんの少しだけ「無言館」というものを目にしたこともあったのですが、
ただ「戦没した画学生の絵の美術館」というぼんやりとしたイメージだけを抱いていた。
そして、どちらかというと慰霊のための、記念館的なものであるのだろうと。
しかし、この著書を読んで印象が変わった。
ここは、確かに先の戦争を忘れないための施設であるけれども、
それ以前に主の方向性は、あくまで「美術館」であるということだ。
美術館であるからには、そこに飾られるのは「作品」であって、「遺品」ではない。
同じものであるけれど、受け止め方が大いに違ってくる言葉だ。
この問題は、戦争画も、同じような問題をはらんでいると思う。
つまりは(現時点から見て)プロパガンダであるのか、美術品であるのか。
美術であれば、そこで問われるのはそのタッチであり、描写であり、マチエールである。
その人がどのような思いでその絵画を描いたかは、二の次だ。
言うなれば、戦没者の書いた絵だから、そこに「戦争の不条理さ、悲しさ、残酷さ」がプラスされて
何かおごそかな絵画のような印象になっていく。
もちろん、生きるか死ぬかの最後の懇親の力を込めて描いたものも多いから、「厳かな絵画」であることは
間違いないのだろう。けれども、書かれた絵画はとても穏やかで明るく、人生の楽しさや生命を感じるものも多い。そこには、純粋に絵が好きで、絵の楽しさを閉じ込めた本当のその絵画の魅力があり、それを感じることこそ、絵画を描いた作者に対する敬意ではないだろうか、とも思った。
絵描きは絵だけを描いてください。
それを難しくしているのは、鑑賞者である一般の私たちなのかもしれない。
もし、無言館に行く機会があれば、静かにその絵画と対話をしてみたい。
生きている幸せを、ありがたみを純粋に感じてみたい。
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◆「無言館」は青春の美術館でもある。◆
上田市郊外に建つ私設美術館「信濃デッサン館」、その分館「無言館」は一度訪れてほしい、オススメの美術館です。(館主はこの本の著者)本書は戦没画学生慰霊美術館「無言館」について、建設のきっかけ、その経緯、全国各地から寄せられた意見、来館者の言葉等が綴られています。文中「戦後五十年」の文字が幾度も出てきますが、この本が刊行されてから時が流れ、今年は「戦後七十年」の節目。青春真っ只中の学生の皆さんに読んでほしい1冊です。