紙の本
たんなる酔っぱらいの人ではないのです
2001/12/23 21:49
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投稿者:茶羅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高田渡。結構懐かしい名前の人です。フォーク歌手です。『自衛隊に入ろう』の人です。最近のニューミュージックの人ではありません。岡林信康なんかと同じような人です。時折BSのフォーク大全に出てくる人です。何より、何を言っているのか定かではない酔っぱらいの人なのです。
そんなふうに思ってました。で、この『バーボン・ストリート・ブルース』を読んで、やっぱり酔っぱらいの人だということがわかりました。
さらに、苦労の人だということも知りました。母親を早くに亡くし、父親と生活してきたのです(兄弟もいる)。定時制高校に通っていたことも知りました。その時代に歌手としてのスタートを切ったらしいのです。最初はセンセーショナルな登場であったそうです。ところが、そのままではありません、紆余曲折、いろんなことをしてきました。アルバイトの人でもあったのです。
この本には高田渡の半生が描かれています。私たちはテレビに出ている人は全て人生の成功者のように見がちです。でも、そんな人ばかりではないのです。ただ、高田渡は自分のしたいことをして生きてきました。結婚もしました。離婚もしました。
この本に載っている高田渡が写した写真を見るだけでもほのぼのします。つまりは多才な人でもあるのです。
高田渡という不思議な人物に、この本で出会うことができます。でも、やっぱりたんなる酔っぱらいなのです。エッセイ集としては最近イチ押しの本とも言えます。
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10代の頃は高田渡の味が分からなかった(あたりまえか)四畳半フォークを否定して出て来たニューミュージック(JPOPの原型)の流れは、バブリーな時代の風に煽られて、エンタテインメント化ばかり進み、本質の唄がつまらなくなっていった。結局ギター一本でポロンと聴かせる唄のカッコ良さにはかなわなかったのに。そんな時代にも高田渡は歌っていた。酔っぱらってステージ上で寝てしまうオッチャン伝説だけが残っているが、ちゃんとCDも出し続けていた・・・。申し訳ありません、目先のキラキラに目がくらんでしまいました。これからはココロを入れ替えて「唄」を聴かさせていただきます。
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伝説のフォークシンガー・高田渡のエッセイ。死ぬまで音楽と共に生き変わることのなかった音楽スタイル。時代に流されず自分の信念を貫いた人でした。映画「タカダワタル的」もDVDで見ることができます。
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備忘録:2006年4月27日読。高田さんのほぼ半生が綴られている内容。
高田さんの、その飄々とした風情の中にある、しっかりとした眼差しのようなものが文章から伝わってくる。沖縄フォーク村のエピソードはそれを端的に示しているような気がした。
絶版になっているのは何とも残念。高田渡さんのファンの方には是非読んでいただきたい一冊だ。
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ヨッパライのおっさんが酒を飲みながら語った思い出話です。でも、一本通った芯のような生き様と優しさ・愛情がそこはかとなく伝わってきます。天国でも歌ってることでしょう。
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本当に亡くなってしまったのが残念な歌手。
放送禁止歌で有名な曲のほかにも
社名モロ出しでアウトになった
ある曲が大好きでした。
もしあの曲を
啓発に使えば悲しい思いをしたり
税金泥棒連中は減ると思うんだけどなぁ。
そんな曲を彼は書いていたのですよ。
しかし、彼は相当ののんべいですな。
ここまですごい人は早々はいません。
だからなくなるのも早かったなぁ。
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たまにはバーボンを
といってもお酒を飲む話ではありません
久しぶりに高田渡さんの『バーボン・ストリート・ブルース』という本を
読み返したくなったのです…なったところで、本を持っていません
前は図書館で借りてきて読んだのでした
そして、2年前に読み返したくなって図書館に行ったら
書架から保管庫に移されて「貸し出し不可」になっていたのです
それを覚えていたし、ずっと手元に置いておきたい気にもなっていたので
Amazonで探してみて…ビックリしました。18,000円!
ヤフオクで検索してみても15,000円で出品されています!!
プレミアがついて、古本価格が新刊時(1,575円)の10倍になっていたのです
嗚呼、まだ安く買えるときに買っておけばよかった orz
入手が困難だと思うとますます読みたくなってきます
近隣の図書館を探してみたら、灯台下暗しとはこのことです
なんと地元の図書館にありました
町村合併とはありがたいものですねぇ、旧隣町の図書館にあったのです
(パソコンから)リクエストを出せばわが町の図書館に回送してもらえるようですが
直接そちらの図書館に行った方が早いので
なんと我が家の裏の道を途中曲がることなく真っ直ぐ行けばよいのだった
さっき、雨の中を借りに行ってきました
公民館の2階にある、まるで田舎の小学校の図書室みたいな可愛い図書館でしたが
お目当ての本があればそれは素敵な図書館です (^^)
どうせこの休みは台風騒ぎで家にいるのだから
せめて幸せな気分で読みたかった本を読んで過ごしたいと思います
ところで、保管庫に入れられた元わが町の本はどうなったのでしょうかねぇ?
実は、さっき借りてきた本がまさにそれだったのです
合併の際に本館から本が補充されたそうなのですが
その中の一冊がこれだったのです…元の図書館の蔵書票が貼ってありました
(http://todomatsu.com/archives/2007/07/15/post_926.php)
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という話を自分のブログに書いたのが2007年の夏でしたが
その後単行本が出版され、古書価格が暴落してしまいました
もちろん、安くなったからといって買いはしませんでしたよ
中身を読めればいいので、買ったのは文庫本のほうです
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高田渡をご存じだろうか。日本のフォークシンガーの草分けで、現在も日本各地で歌っている。もしかしたら、あなたの町にも行ったことがあるかもしれない。もし、まだ彼の歌を聞いたことがないなら、近くの町に来たときには、是非聴きに行かれることをおすすめする。本人の言葉だから、悪くとられると困るが、なにしろ後がない。酒と心中しかねない勢いで飲み続けているので、またの機会があるとは限らないのだ。
高田渡をはじめて見たのは、京都に行った最初の年、京都会館で行われた岡林信康のコンサート会場だった。誰もいない舞台に一人の小柄な男がパイプ椅子を持って現れた。スタッフの一人だろうと思っていると、次にはギターを持ってきて椅子に座り、歌い始めた。『ぶらぶら節』、『年輪・歯車』など、得意のレパートリーを歌い終わると、岡林にバトンタッチした。岡林信康がフォークの神様と言われていた頃のことだが、その日、岡林がどんな歌を歌ったか記憶にない。
その後、高田渡の出るコンサートには、必ず出かけた。立命館大学でやったときには楽屋にも入れてもらって、その時練習していた『アイスクリーム』のフィンガーピッキングの方法をたずねたりした。うどんをあてに、その頃はもうかなり飲んべえになっていた高田渡は、ウイスキーをちびりちびりとやりながら、気軽に教えてくれた。かなり年上だと思っていたが、この本によれば、何ほども違わない。旅と酒の暮らしが、風貌を大人びさせていたのだろうか。
最近のステージでは、皮肉ともウィットとも聞こえる独特の調子で曲の合間に話をするのだが、曲よりもそちらの方が面白いといったら叱られるだろうか。その調子を期待して読んだのだが、本の方は至って真面目に書かれていて、拍子抜けした。ファーストアルバムのジャケット写真にあった少し緊張した面持ちで生真面目な眼をした若者の顔を思い出した。詩人で共産党員でニコヨン(日雇い人足)だった父の話。引っ越しを繰り返した子ども時代の極貧生活。どれをとっても、暗そうな話なのに奇妙に明るく語られている。高田渡の歌の世界が、この時代の経験と切っても切り離せないものであることはうすうす知ってはいたが、あらためて、その感を強くした。
気取りや衒いを見せることなく、自分の好きな映画や本の話も語っている。素人離れをした腕前を見せる写真について触れた中で、こう言っている。
「実は写したいシーンというものは、確固たるものとして自分のなかに常にある。つまりこんな風景があったら写したいなというのが頭のなかにあって、それと同じシーンに出くわすのを待っているのである。」
彼にとって生きること自体もそれと同じではないのだろうか。こんなふうに生きてみたいなというシナリオが確固たるものとして自分のなかに常にあり、日々の中でそれと同じシーンに出くわすのを待っているのである。金子光晴や深沢七郎の思い出を語る高田渡は、まだ52才のはずなのに、彼らと同じ飄々とした老人の風采を既にして手に入れたように見える。高田渡は自分の人生を確固たるスタイルで演出し自演しているのである。