紙の本
主要作品の紹介と評論
2001/11/27 18:13
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投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつの間にか、宮崎アニメはディズニーと肩を並べる巨大な存在になっていた。80年代半ば頃は、テレビのゴールデンの映画枠で松本零士作品ばかりが繰り返し放映されていたが、その後は宮崎作品がそれに取って代わった。流行り廃りではない。あの当時は色々な劇場版アニメがテレビ放映されていたが、今は宮崎アニメの独走状態である。ドラえもんやポケモンの映画がテレビで放送される時は子供向けの時間帯なので、世代を通じて見る作品とは捉えられていないのだ。
戦争を否定しながら、兵器に執着を持っていると、著者は宮崎アニメの矛盾点を突く。実は、宮崎駿の父は飛行機の工場長で、第二次世界大戦中、特攻機も造っていたのだそうだ。そこに彼独特の戦争観があるのかもしれない。未来が舞台になっていても、どこかノスタルジックな兵器が登場する理由も同じである。作品のカラーは違っても、松本零士と戦争の関わりに似ている。
ところで、一般のアニメファン向けの『もののけ姫』と、一部のアニメオタク向けの『新世紀エヴァンゲリオン』と、公開当時はよく比較されたが、この2つは決して対極の作品とは思えない。『となりのトトロ』など、子供向けだが大人も楽しめる作品が多い宮崎だが、もののけ姫以降少々作風が変わったようだ。もののけ姫のシシガミの首とエヴァンゲリオンのアダムは酷似している。
この本では初期から最新作まで、宮崎アニメの主要作品について、ストーリーと見どころが書かれている。作品論としてだけでなく、作品の内容を思い出すにも最適の一冊である。
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宮崎駿ワールドの総まとめ
2001/11/23 04:32
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投稿者:トリフィド - この投稿者のレビュー一覧を見る
だいぶ否定的に評している人もいるようだが、私はとても面白く読めた。
宮崎駿が関わった初期の作品から最新の監督作に至るまで、ひとつひとつの作品のストーリーを追いながら、また、さまざまなところに発表された氏の発言を引用しながら、宮崎駿の世界を読み解いている。
とはいえ、否定的な書評者の云うことも分からないではない。何度も何度も作品を繰返し観て、資料をくまなくチェックしているような熱心なファンにとっては、この本は、言わずもがなのことを書いているだけに見えるかもしれない。
宮崎駿作品をなんとなく観てきて、そして宮崎駿の世界についてもっと良く知りたいという人にお勧めである。
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宮崎駿の”世界”
2006/09/24 07:37
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投稿者:くにたち蟄居 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サントリー文芸賞を取ったということで購入した。僕も権威には弱いわけである。
宮崎映画は大好きである。日本が生んだ映画監督で「商業的に」成功したのは 黒澤明と 宮崎の二人だけだと思う。小津、成瀬、北野、大島といった監督も海外で高い評価を得たが 商業的にみてどうだろうか?
そんな宮崎の映画とTV作品を誠に詳細に紹介しているのが本書である。読んでいて作者の思い入れがひしひしと伝わってくる。
しかし 弱い部分はある。「各論的」な意見は興味深いが 「総論」が見えない。著者にとって そもそも宮崎の映画は何なのかという部分の迫力が弱い気がしてならない。
結局 宮崎映画は語りにくい。作品一つ一つもばらばらだ。ナウシカとポルコロッソを同じ人が造形していることすら 本来は想像を絶する気がする。そんな迷宮が宮崎だとしたら 著者にしても 明快に論じることは難しいのかと思った次第。
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やっつけ仕事
2001/09/09 13:51
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投稿者:かまくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画公開にあわせて山ほど出た便乗本のひとつ。粗筋の説明と、宮崎監督の発言を貼り合わせただけの安易な一冊。新書の常識を超えた分量と著者は自画自賛しているが、要するに整理がついていないだけ。
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著者コメント
2004/11/08 03:15
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投稿者:切通理作 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アニメ作家・宮崎駿の仕事は「監督」という枠に収まるものではない。大気の流れからメカ、建物、動物、人間、草木、そこに流れていた歴史まで。画面上のすべてを自らの能力で統率する。地下に潜ったかと思ったら、今度はとてつもなく高い場所に上っていく......世界は横にだけではなく縦にも見渡せるのだ。そして悪夢と解放を示す〈落下〉と〈飛翔〉——宮崎は本当の表現とは一つしかなく、それを探しているのだと言う。
ちくま新書から上梓した『宮崎駿の〈世界〉』は、そんな彼の膨大なそのつどの発言の中から引用・コラージュしつつ、作品のありようを織り交ぜながら時代に即した視点から批評しようというものだ。
大塚康生氏は著書『作画汗まみれ』の中で、アニメーションは動きの機械的なトレースではなく、「らしさ」の表現であり、物事を描き写し動かす時に初めてアニメーターの力量が試されるのだと語っている。私はこれを読んで、優れたアニメ作品そのものが、我々の普段の何気ない動き、そして外界に対する観察力への批評的行為であることに目を開かれた。
今度の本ではその「言葉による実践」を目標にしている。
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「宮崎駿の<世界>」
2001/10/10 18:15
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投稿者:新田隆男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年の宮崎駿は、『千と千尋の神隠し』が『タイタニック』の持つ日本興行記録を破ったかどうかのみで語られるかも知れない。ヒットメーカーは数字でしか語られなくなる。だが、宮崎駿ほど作家性の高い監督は今や日本には存在しないし、子供も大人も老若男女が劇場に駈け付けるといっても、その映像はディズニー的なものとは一線を画しているのだ。しかも『ルパン三世/カリオストロの城』から『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』に至るまで、同じことを繰り返したがらず、絶えず変貌を続けている。作家性が高いにもかかわらず、評論家泣かせ、非常に語りにくい、というのが宮崎駿の特徴でもある。
本書は、圧倒的な好評で迎えられるか、あるいは無視されるしかなかった宮崎作品に直球勝負を挑む評論。まずはスタジオジブリ作品を詳細に検証し、そこから東映動画時代へと遡って、ルーツを探る。もちろん、それはバイオグラフィー的な紹介ではなく、そこに登場する少女の描写、そして物語の世界観を常に「縦の構図」で描き出す手法を探る旅でもある。ちなみに、近年の宮崎作品で凄いのは、アンチ・クライマックスへの志向ではないかと思うのだが、本書を読み進めるうちに、『千と千尋の神隠し』という作品が、宮崎駿のインナースペースではないか、という説にも納得できた。手すりのない急階段を一気に駆け下りたりする、久々に「らしい」場面があるにもかかわらず、なぜ原画の修整まで自分でやるという形態から自由になり、作画監督を若手に任せたのか、なぜ10歳の女の子が主人公なのか。今やっとおじいちゃんとして「己の中にある少女への思慕と向き合う距離が出来た」のではないか、という指摘は鋭い。
『千と千尋の神隠し』は「一時の戯れ」の映画なのだ。だから、物語の向かう先などいらない。通常240ページと言われる新書が333ページにもなった渾身の一冊だ。
(新田隆男・エンタメ探偵 2001.10.11)
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以下で言及しています。http://blog.livedoor.jp/subekaraku/archives/7853213.html
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10月25日読了。宮崎駿の作品と、それを生み出す彼の特異な個性について評論した本。作品を外側から見るのではなく、その味わいを深く楽しんだ上で語ると言うのが著者の姿勢のようで、宮崎アニメ各作品のあらすじ・抜粋が記載されている。宮崎駿の抱える矛盾、そのアニメが無意識に発散する思想、エロスについてはほうぼうで語られていることとは思うが、この本は彼の映画があらゆる人を強くひきつけるのは、「常に到達点でもあり出発点でもある」、躍動する瞬間瞬間に集中してそれをとらえようとする、宮崎監督の資質にあるのでは、と分析している。以前読んだ本では、突貫工事で作品を仕上げるジブリの製作体制に原因を求めていたが。この本の考え方もなかなかうなづかされる。
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宮崎 駿監督の初期の作品の一通りのあらすじと解説がぎっしり。
活字得意な自分でも読むのちょっと大変な情報量でした。
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著者が淀川長治を思い出す語り口で、宮崎駿を語り下ろしてゆく。宮崎駿を語る著者は淀川長治もそうだが著者も作品への愛が溢れてており、著者の宮崎駿体験を追体験できるような構成になっている。宮崎駿は左翼と勘違いしがちだが、徹底した理想主義者。『どうぶつ宝島』を通して、妻への愛の告白と同時に、アニメ作家としての生きる決意を語っている部分に感動。その後の手塚治虫の『新宝島』に自分の作品をケガされたと憤慨する宮さんがカワイイ。
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『未来少年コナン』や『ルパン三世カリオストロの城』などの初期作品を経て、『風の谷のナウシカ』から『千と千尋の神隠し』に至る、宮崎アニメの作品紹介を、ていねいにおこない、その魅力を語った本です。
「あとがき」で著者は、本書では「作品を体験し直す」という快感にこだわったと述べています。宮崎アニメといえば、「自然」や「少女」といったテーマを軸に語られることが多いように思うのですが、著者は生粋のアニメオタクらしく、宮崎作品の中の人物の動きやメカニックのフォルムなどにも注目して、アニメを「見る」ことの楽しみを甦らせています。
ただ、ミクロな部分への着目が目立つぶん、本書のタイトルになっている「宮崎駿の〈世界〉」が全体として何であるのかということが分かりにくく、新書にしてはかなり大分の本書を読み終えた後、けっきょくどういうことなんだろうという疑問を持ってしまいました。
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[ 内容 ]
アニメ作家・宮崎駿の仕事は「監督」という枠に収まるものではない。
大気の流れからメカ、建物、動物、人間、草木、そこに流れていた歴史まで。
画面上のすべてを自らの能力で統率する。
地下に潜ったかと思ったら、今度はとてつもなく高い場所に上がっていく…世界は横にだけではなく縦にも見渡せるのだ。
そして悪夢と解放を示す“落下”と“飛翔”―本当の表現とは一つしかない、それを探しているのだと言う宮崎駿。
そもそもアニメーション自体が「らしさ」の表現であり、我々の何気ない動き、そして観察力に対する批評である。
やがて、宮崎作品とともに生きてきた我々の時代とは何だったのか、あるいは彼が時代に何を残してきたのかが見えてくる。
[ 目次 ]
第1章 スタジオジブリ作品を振り返る
第2章 少年と泥棒と探偵と―初期作品をたどる
第3章 漫画映画の伝統から「日常生活の冒険」まで―宮崎駿前史
第4章 「心を白紙にしてくれる映画」―宮崎駿論
第5章 フレームを超えた表現を―『千と千尋の神隠し』
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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切通理作「宮崎駿の〈世界〉」ちくま新書
・元本は2001ちくま新書
第1章 スタジオジブリ作品を振り返る
第2章 少年と泥棒と探偵と―初期作品をたどる
第3章 漫画映画の伝統から「日常生活の冒険」まで―宮崎駿前史
第4章 「心を白紙にしてくれる映画」―宮崎駿論
第5章 フレームを超えた表現を―『千と千尋の神隠し』
・2008ちくま文庫(以下、増補)
第6章 すべては動いている―『ハウルの動く城』
第7章 はじまりの方へ―『崖の上のポニョ』
2015年ごろのWOWOWトークライブで、町山智浩・切通理作が宮崎駿を語る、という動画がyoutubeにある。
どちらかがどちらかの本を編集していた関係らしい。
というかこの世代の編集者は、全然裏方ではなく表方、それも同じ趣味嗜好で馴れ合っているので関係に見分けがつかない。
ブルーレイボックスが出て町山がブックレット?を書いたので、その販促も兼ねてお友達の切通くんに来てもらおう、という経緯だと思われる。
書いたばかりの町山の熱が比較的高く、切通は過去に書いたものを思い出しつつ、という雰囲気。
キャラの名前を間違えるなどあるが、なかなか面白い映像。
ところで私は1983年糞田舎に生まれた。
小学校の友達と、テレビ再放送でコナンを見て、ジムシィがたばこをふかしている場面でゲラゲラ笑っていた記憶がある。
その後ふつうにトトロや魔女宅やに触れ、紅の豚は少し大人っぽいと思っていた。
この新書が出たときは18歳。新刊で買って、読んで、へー作者コナン好きすぎじゃん、コナンに構成割きすぎだし、と辟易したものだ。
んで十云年後に読み返してみて、じわーっと既視感・懐かしい感じ。
そりゃ一度読んだことがあるんだもの、懐かしいのは当たり前で、既視感というのは変。
思い出したのは、直接に本書とは関係のない、フィルムブックという文化のことだ。
中高生のころ、普及していたのはVHS。とはいえ購入すると1万を超える。だからレンタルして目に焼き付けておく。手元に置くのは画面キャプチャーを構成した本、だったのだ。
詳しい筋や台詞集を読むことで映像を思い出す、という。
そのスピリットが本書にも貫かれている。
本書おそらく6割くらいは各作品のあらすじだ。
2001年当時はDVDが普及し始めていたはず?……いや糞田舎にはまだだった……。
PS2がプレイヤーを兼ね、自宅用プレイヤーの多くにはHDDがついていなかった、と覚えている。
当時私はレンタル屋で当然のようにVHSを借りていた。
今のように映像を所有することはなかった。
だからこそ重宝したのが本書だった……、かもしれないが、DVDでいつでも映像を見られる今や、かったるい記述多し。
しかも構成の妙。いや、変。というか不自然。
編年体に直せば、前史3章→初期2章→全盛期1章→千と千尋上映後日が浅いから薄い記述の5章→それらをふまえて作家論4章。
いってみれば読むべきなのは4章だけだ。
新書版は「千と千尋」のブームに乗っかった本だっ��のだ。(ちなみにちくま文庫化もポニョ便乗本)
こういう経緯があるので、駿あらすじブックとしても中途半端、駿論としてもやや薄味。
また個人的には、1段組みと2段組みの使い分け(られていなさ)も気になる点。
2段組み部分は完全にあらすじに特化しているかと思いきやそうでもなく、1段組みで各論かと思いきや後半のあらすじに言及されていたりと、法則性薄い。
結果中途半端。切通さん、顔立ちや、ネオ書房で中沢健を取り上げるところなどは好きなのだけれど。
と、糞田舎に逼塞し続けている者がいくら偉そうに書いたところで意味がないので、以下、有意義な部分をピックアップして未来の自分に託そう。ほとんど4章。
・トトロ。「銀河鉄道の夜だって痛ましい。宮沢賢治がどうしてカンパネルラなんて異国の名の主人公にしたのかと思うとね、近代に傷ついていたんですよ、やっぱり」
・魔女宅。原作の児童文学よりも近代人の苦悩が描きこまれている。キキの活躍はブラウン管を通して広まる。駿初めてのテレビという小道具。
・もののけ。アジールの人々が自然への畏れの喪失と共に居場所をなくす「全過程を取り上げた」。原水爆などなかったころでも、小さな村単位では世界の滅びのような出来事は何度もあった。
・コナン。ラナの髪は絶対に紺色にすると駿主張。セーラー服の女性への憧れではないかと色指定の保田。高いところからラナを抱えて落ちても、足がビビビーン、となってガニ股で走れる。ここに押井守は違和感。駿としてはアンチ宇宙戦艦ヤマト。
・カリオストロの城。上下2層構造は、ナウシカやラピュタへつながる。
・ホルス。「宮崎アニメは、少年が異性の自分を〈兄〉から奪還する物語」
・ハイジ。画面構成とは、キャメラに写っていない場所についても。→ロケハン
(んで、以下4章。)
・ストップモーション、スローモーション、数日後、という描写をしない。登場人物の動きや決断を、視聴者が同じ時間の流れの中で意識する。連続する兆しの動態。極端な強調やモノローグを、過剰な表現主義として避ける。モノローグの代わりに風。
・スタッフ曰く、隅から隅まで宮崎駿のチェックの入った、壮大な工房で作った、個人映画。
・身体の解放。お笑い番組は嫌いだ。ワッハッハという発散する笑いと、だんだん楽しくなる笑いなら、後者。
・過去や予め用意された逆境は描かれないが前景化しない。映画の中の現在だけに対応し、その瞬間を味わいながら生き抜く、その姿自体ユートピア。
・自然に帰れというメッセージではなく、実際に自然の中で生きることがこんなにも魂が解放されるのかという体験。トトロとか。社会番組より絵本自体で森の空間と戯れる。
・「決意の持続」「落下の決意」と飛翔。
・飛ぶのは少女。もてないという自意識。「少女をかついで走れたらいいなあ」悪役=さらう側=ルパンやドーラ一家やモリアーティ教授やマンマユート団を、悪にできない。
・「母性」との距離。「母性」を求めながらも「少女」という迂回路を取らざるを得ない。
・女性学研究者いわく、「少女」という概念自体が性差別。男基準、周縁的場所、語られる対象であって、語る主体と切り離されている。富野由悠季いわく宮崎勤はホラービデオよりも「宮崎駿さん」が好きだった。
・「少年」は実は誰にも相手にされていない。透明化。
・終末、戦争、廃墟は「いい世界」。甘美な終末。
・連帯感、社会主義、つっかえ棒。圧制からの回復。
・風土としての思想。人身売買や迷信や家父長制といった農村の風景が嫌いだったが、照葉樹林文化を知ることで、風土としての日本の豊かさを分けて考えるように。モチや納豆のネバネバ好きに。
・高畑勲いわく、宮崎アニメはうまくできすぎているせいで、観客から現実への批判力や現実を変えようとする意志を奪うのではないか。単純に宮崎=明るい、高畑=暗い、ではない。高畑は敵と味方を対比させつつ第三の道を示す。宮崎は絶望的な未来像。そこには自然観の違いがある。高畑いわく、農耕するための自然には懐かしさを感じる。宮崎いわく、田園は他の植物が生えるチャンスを奪う不毛の地、人間の傲慢、ただの荒れ野のほうが自然界から見ると生産力が高い。人間は汚れ。人間として生まれた瞬間に、自然から切り離される。ポスター的には青い空白い雲だが、実は死んでいる空間に立っている。人間の営みを必要としながらも、どこか同じ地平に立ちたくないという自意識。
・80-90年代にかけて駿はアニメと漫画。ナウシカ終了で、漫画で描いていた領域もアニメに統合されたのがもののけ姫。ナウシカ漫画はロシア文学のようだ。映画と漫画では戦争観の違い。「いやだったんですよ、あのマスクが。嘘だと思って描いてた」「生きることと、理解することは違うことなんじゃないか」ヴ王はジコ坊主と同じく、自分のやっていることのくだらなさを自覚している。アニメは爽快感こそが命脈、漫画ナウシカでは生理的な資質が思想化されていく過程。連続する兆しの動態、心を白紙にしてくれる映画。
(んで5章。)
・行きっぱなしの、途方に暮れる映画。悪趣味さは世界観の不統一。すべて千尋との関係で世界ができあがっている。思春期前期10歳という影が薄い季節。
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宮崎駿監督の初期の作品、特に未来少年コナンの記述が多いですね。ルパン三世などは、宮崎駿監督がこんなに関わっているのかと知ることができました。宮崎駿監督作品と事件との関係など、ファンとしては触れることが難しいところにもアプローチが当たっています。
世界というタイトルですが、世界観というよりも初期作品の解説書のような感じです。
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宮崎駿さんの仕事について、非常に丹念に情報を抜き出しまとめられた、大変労力がかけられた一冊だと思います。 新たな知見、というわけではないですが、宮崎作品を考えるうえで、重要な一冊だと思います。