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高い評価の役に立ったレビュー
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2005/09/18 23:40
大いなる無意味
投稿者:佐伯シリル - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルどおり、どうしようもなく不幸な子供が、さらにどうしようもない不幸の中で死んでいく物語である。かといってこの物語は決して悲劇ではない。主人公は間違いなく不幸なのだが、読む側にその悲惨さは伝わってこない。読後に涙が出るわけでもなし、苦い後味に気分が曇ることもない。救いのない不幸の奥に人生の教訓や知恵が秘められているかと言うと、どうやらそれも無さそうだ。
何ひとつ得るもののないノンセンスでデカダンな物語。
それこそがゴーリーの真骨頂であり、この大いなる無意味、書物のトマソンとも言うべきゴーリー・ワールドを前にして「作者は何を伝えたかったのか」という推薦図書感想文のような自問自答や、ハッピーエンドの凡庸さに対するアンハッピーのインパクトを云々するのはやめたほうがよいだろう。『不幸な子供』はその不幸のせいで印象深いのではなく、不幸が見事にあっさりと無意味化されているゆえに印象的なのだ。
読書から実人生の糧を求める人には向いていないが、在るものをただ在るものとして愉しむことを知っている人にはお薦めの1冊である。
低い評価の役に立ったレビュー
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2001/10/02 22:17
その不幸を自覚、それをバネにして何かを産み出す者も現われるが、「その逆はない」というのがぼくの持論
投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ぼくはゴーリー贔屓なので、『ギャシュリークラムのちびっ子たち』『うろんな客』『優雅に叱責する自転車』(いずれも柴田元幸訳、河出書房新社)の既刊3冊、すべて紹介し、「他の作品も出して欲しい!」と書きもした(『読書狂いも ほどほどに』双葉社所収)。その願いが通じたのか、さらに、彼の絵本3冊の刊行が決まった。『不幸な子供』(9月)、『蒼い時』(10月)、『華々しい鼻血』(11月)の順に出るようだ。しかも、既刊本3冊の判型は1990年代の新装版(小型本)からの翻訳だったが、今回の3冊は、初期の私家版(倍の版型)になっている。9月刊行の『不幸な子供』も、ぼく好みの絵本で、またしても痺れ直した。本書はゴーリーの8冊目の絵本、刊行は1961年である。「訳者あとがき」によれば、モチーフはレオンス・ペレ監督のフランス映画『パリの子供』(1913)。映画の内容は「孤児となった女の子がつらい寄宿舎に耐えかねて脱走、無頼漢にさらわれるが、ラストは死んだ筈の父親との再会があり、めでたしめでたし」というもののようだ。訳者はさらに、いずれにしても裕福な子供が不幸のどん底に突き落とされた末に幸福を取り戻すといったストーリーは、ヴィクトリア朝の物語の定型であり、ディケンズ『骨董屋』のリトル・ネルや、ストウ夫人『アンクル・トムの小屋』のリトル・エヴァなど、可憐でひよわな少女がはかなく死ぬ話にしても、これまた、もう一つの定型と言う。『不幸な子供』はハーヴァード大学の友人バニー・ラングに捧げられている。彼女は詩や戯曲を書く魅力的な女性で、ゴーリーも大いに気があったらしいが33歳で他界する。また『不幸な子供』という名のレコードも出ているというから驚く。作曲はマイケル・マントラーで、カーラ・ブレイ(p、他)、ジャック・デジョネット(ds)らをバックに、ロバート・ワイアットがゴーリーの『不幸な子供』『うろんな客』を歌っているという。LPは1975年、現在はECMからCDが出ている。さっそく聴いてみるつもり。いつものようにストーリーは紹介しないが、『不幸な子供』、実にぼく好みの絵本、不幸の連続話で、まったく救いがない。絵も、たまらなく良い! なぜ不幸話が好きなのか。幸福な話はドラマにはなりにくく、なっても陳腐に堕しがちだが、不幸であればあるほど、話は盛り上がり、読者の心にも永遠に染みつくからだ。それに、実人生を取ってみても、おおむね気付かぬだけで、アンハッピーの人が多いような気もする。しかし時に、その不幸を自覚、それをバネにして何かを産み出す者も現われる。そして、「その逆はない」というのが、ぼくの持論でもあるからだ。小説にしろ映画にしろ、人はハッピーエンドを望むがゆえにそうするが、ぼくはそのことにも不満なのだ。実社会では「悪」のみが勝利するにもかかわらず、フィクションになると、なぜか勧善懲悪だからだ。