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本棚にあるのは昭和44年8月10日第22刷。正確に言えば、筑摩書房の世界文学体系第53巻収録の生野幸吉訳で読み返し、ところどころ大山定一訳を参照しながら再読した。大学に入ったはいいが、授業も始まらずぶらぶらしていたときに読んだ本。改めて再読してみると、この何とも表現しにくい不安感は、ひょっとすると若者の特権であるのかもしれないという気がしてきた。
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リルケが7年の歳月をかけて完成させた小説。ページをひらくとマルテが歩いたパリの町の空気がどっと押し寄せてくる感じがする。彼の目にするものは盲の新聞売りや、舞踏病のじいさんや、もとは家だったのに今は瓦礫の山になっている光景といったすさまじい退廃、惨めさ、貧困……ではあるけれど、マルテの瞳はそこで止まらずに彼らが祝福された者であることを発見する。
二十歳の頃に読んで、なんだかんだでこれで3度目くらいになるかもしれない。当時のほうがマルテの孤独な文体に深く同期できていたような気がする。いつでもどこでも開ける本じゃあない。妙になつかしい気分になるんだなあ。
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果たしてこれを物語としてよいものか。
なんて孤独で乾いているのか。まるでランボーが書きえないものを書こうとして時空から立ち上がり、筆を折ったみたい。きっとこれを書き上げたリルケも筆を持てなかったに違いない。
ゲーテは理解されないのを知ってことばを選んで紡いだ。だが、彼は理解されないのを知りつつも、あえてことばを変えなかった。表現や訳、ことばが難解なのではない。彼が書こうとしたそのものが難解なのだ。普通の三文作家なら挑むことさえ思いたてない、そんなものを書こうとしたのだ。こんな世の中ですべてのひとに理解される方が恐ろしい。
たったひとりで、ことば以前の存在を追い求めて、マルテはパリを彷徨う。孤独は悲しかったりさびしかったりするものではなく、孤独であり続けられるそのことが難しい。彼は「わかって」しまったひとだった。書かれているものは断片的な手記ではなく、すべて「心」の一縷の流れから生まれたきわめて連続的なものなのだ。
書くにつれて、徐々にリルケとマルテの境界が溶けていく。これだけ壮大な独り言だ。区別できる方がおかしい。マルテがリルケであり、リルケがマルテなのだ。
絶望や悲しみよりももっと遠い、真実に至るために孤独であり続けることの難しさ。受難。これが狭き門なのだろう。ジッドが共鳴するのにも納得がいく。
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久々に主だった筋のない、断片を繋ぎ合わせたタイプの小説を読んだ。そうして思うのは、私はこういったタイプの小説に非常に安堵感を覚えるということだ。人生は物語ではない。断片を継ぎはぎしたものである。そう言った方が私の実感と合っているし、結局のところなまの人生をより広く肯定しているように感じられる。
内容であるが、意外と明るい。死という絶対無の恐怖に怯えながらも、全体としては生への肯定が貫いているという印象を受ける。特に終盤などはそうである(ちなみにストーリーらしきストーリーがないにも関わらず、終盤にかけて明らかにボルテージは上がっていき、興奮する)。ところが並々ならないのは、この生の肯定を産み出しているのが死の恐怖なのだということである。〈僕たちにとって、死の恐怖は強すぎるに違いないが、それでも本当は僕たちの最後の力だと、僕はそんなふうに考えている。〉この一文には大変な衝撃を受けた。
他にも閃き悟すような言葉がたくさんあった。それらはまさに一瞬にして閃光をもたらす詩の力と、蓄積の末に静かなる地響きをもたらす小説の力の合わせ技という感じがした。これは何度も読み返すと思う。
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作者自身が散文を目指して執筆しているのだからこれはもう読みにくて当たり前です。第一部はマルテのパリでの生活や幼児期の思い出を描いておりそこそこ読めましたが、後半、特に歴史と絡めて語る文面がとても読み難い。詩人なる作者の作品であるがゆえ詩を連ねたような文章により解釈を読み手に任せるような場面の連続で、歴史にも詳しくない者としては終盤はかなり読み飛ばしてしまいました。
素敵な文章表現に酔える人、沢山の時間をかけて読むことを苦痛に思わない人向けでしょうか。
また、難解な本に慣れる事で読書の幅が広がるかもしれません。
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断片的感想、備忘ノート、散文詩の一節、過去の追憶、目にした風景の描写、日記、手紙などを一冊にまとめあげた手記体の小説。風景描写、あらゆる想念、思考、追憶など、とても緻密で密度が高く、一寸の隙もない。だけれども文章はもたつくことなく、迸るような勢い、速さがある。そして時にはゆっくりと、緩慢になる瞬間もある。まるで音楽のように。人々の他愛のないお喋り、或いは悲しみや絶命の絶叫、パリの騒音として。人が生きていることの旋律がページから、文章の行間から、立ち上り、響いてくる。雑音をも含む寂寥と美しい音楽として。読み始めは風変わりな印象からシュルレアリスムの自動筆記のように感じたけれど、読み進めるうちに絵画、あるいは写真のように思えました。一枚一枚、並んだそれらは最後、見終わった時に全体を眺めて見ると巨大な一つの絵画になっている――それはマルテという人の肖像画だ。不安や孤独、眠れぬ夜の絶望的な陰影と優しい母の光のランプ、色褪せた追憶の淡い色彩とで描かれたマルテの顔だ。そのモザイクの中にリルケ本人の顔も隠され、だまし絵の如く描かれている。
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こういう作品は、若く感受性が鋭敏なときでないとだめなのだろう。
半年前に読んだ本だが、なにも印象に残ってない。
30年前に読んだ時には、もっと心に残るものがあったはずなのに。
たぶん20代、遅くとも30代までに読むべき本なのだろう。
逆に、歳を取らないと味わえない本もあるから、それはそれでいいか。
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難しかった。正直意味は理解できていない。
リルケが力の限り産み出した作品なんだろうということは分かった。
なかなか理解できるものではないと思います。
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本作は小説に分類されるが、実際に読んでみると通常の小説のように、物語としてまとまりがなく、淡々と主人公が見た風景や回想が一方的に描写される。主人公マルテの心情に関しても、特別変化はなく、ただひたすら孤独に苛まれる様を読者に見せつける。そのため、本作は予想外の展開や刺激的な話を求める人にはおすすめしにくい話であるが、その一方で、周囲に馴染められず、一人である人が読むと何かしら共感できる箇所があると思われる。ひとりで過ごすからこそ見えてくる世界があるのかもしれない。