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大学に入ってから日本の劇場経営のヤバさや、外国の芸術支援制度が如何に潤っているか、ということを知った矢先に読んだ本。いい本です。っていうか、このとおりになれよ。と思う。平田オリザめ…!!がんばれよこのやろう
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私の進路を決定づけた1冊。
この本に出会った結果、大学院への進学を決意しました。
日本人は、伝統文化を守る、ということにかけては優れた能力を発揮しますが、
「攻め」の姿勢・意識というのは、極めて希薄に感じます。
もっとも、経済状況と反比例に考えられがちな存在である芸術が、
実は日常において重要な役割を担っている事を根底から理解しないかぎり、
日本におけるその地位はあくまで「高尚な存在」程度の疎遠な関係でしかないのでしょうが。
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タイトルはなかなか気宇壮大だが、中身は基本的に、いたって地に足の着いた現実的なものである。演劇という著者の専門分野にひきつけて具体的に現状の芸術行政・文化行政の問題点を整理しているが、その射程は演劇以外の芸術全般に及ぶ幅広さをもつ。
http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20070313#p1
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初めて私のやってる学問と、その学問はとても広いのだけれど、その中で私がやりたいと思ってる分野
でためになる!な本を読んだ気がした!!
突拍子のない部分はあるけれど、たしかに芸術を自分の生活のなかにとりいれるって、大事。
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芸術に対して理解のない日本において、芸術の重要性を声高に叫んでいる本です。
私も感じてはいましたが、実際最前線で活動している方の意見がききたくて読んでみました。
「芸術」だから美術や音楽を想像していたんですが、「演劇」からのアプローチで、新鮮でした。
ただ、アートマネジメントを理解してたらもっと面白かったんだろうなとは思います。
あと、あとがきにも書いてらっしゃいますがあくまで平田さんの個人的意見です。
だからこそ正直ベースで語れていてそれが入ってきやすかったです。
普段から芸術はもっと公共性を持つべきだと思っていらっしゃる方にはおススメです。
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-読前-
「芸術文化環境論」という講義で先生が参考テキストに挙げていた。
「このくらいは読んどかないと」なくらいのレベルらしい。
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[ 内容 ]
日本再生のカギは芸術文化立国をめざすところにある!
著者は人気劇作家・演出家として日本各地をまわり、また芸術文化行政について活発に発言する論客として知られる。
精神の健康、経済再生、教育等の面から、日本人に今、いかに芸術が必要か、文化予算はどう使われるべきかを、体験とデータをもとに緻密に論証する。
真に実効性ある芸術文化政策を提言する画期的なヴィジョンの書。
これは芸術の観点から考えた構造改革だ。
[ 目次 ]
序章 芸術の公共性とは何か
第1章 地域における芸術文化行政
第2章 経済的側面から見た芸術文化行政
第3章 教育と芸術文化行政
第4章 文化権の確立
第5章 文化行政の未来
終章 芸術の未来
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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演劇好きにとっては、本当にこれが実現されたら、どんなにいい社会なんだ、とニヤニヤしながら読める本。
あまりに夢のようで、でも、平田オリザが言うと、実現できるかも、とその気になってしまう。一演出家の妄想なのにね。
芸術保険は、チケット代の高さに泣いたことのある私にはものすごく魅力的。でも、個体保存の欲求(最下層最低限の欲求)が満たされた状態でないと芸術を楽しむ心の余裕なんてないだろうから、まずは芸術を楽しめる心を持てるように、経済回復すればなぁ。
今みたいに一部の人だけの芸術じゃなく、芸術が地域や社会に自然に根付いたら素敵だとは思うけど、道のりは遠そう。
駒場アゴラ劇場が平田オリザの実家だとは。。。これにはほんとにびっくり。1億円以上の借金を背負って23歳でスタートした彼の演劇人生って小説よりおもしろそう!
アートマネージメントに興味がでてしまった。
そっち方面の本も読んでみたい。
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文科省と文化省 イベント 伏線の確率とバランス 桜美林の学生寮、及びその周辺 大学での有料公演 芸術創造推進事業 演劇図書館 サービスの需給 演出家それぞれの政策 芸術保険制度
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オリザの妄想は演劇経験のある自分にもピンとこない。芸術の必要性については言及しないほうがいい。必要ならいらないから
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文化行政について学びたいと思い、読んだ。著書の平田オリザは演出家だが、大学でも教鞭をとっている。
一言で言うと、大変勉強になったし、衝撃を受けた。
これからの文化の位置づけ、文化の公共性、文化行政のありかたなどについて書かれているが、本質的な目線で多くの問題提起と、斬新なアイデアが盛り込まれている。
日本は経済大国を目指して、奇跡のような高度経済成長を成し遂げた。しかし、その過程で忘れ去られていったのは、「文化」という目線ではなかったか。ヨーロッパに行くと、自国の文化をとても大切にしているのがわかる。特に世界遺産の8割を所有するイタリアは、文化行政が進んでいるし、自国の文化に対して強気だ。例えば、ピサの斜塔の修復費を近隣国に出させたりしている。
ネットワークの時代、日本は今後どのように舵を切っていけば良いのか。言語の壁を越え、アジアとネットワークを築くには、文化がカギを握っている。
グローバル経済の時代、日本はどのように世界と戦っていけば良いのか。自国の文化を大切にし、自国文化の誇りを持って戦っていくしかない。自国の文化をないがしろにするような国は、世界が相手にしないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=36NCa31nUlM
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2001年に発行された書籍。
本書で指摘している点で、現在改善されているものも多いかもしれない。
芸術が市場原理に任されると、経済生活に有用で機能的な芸術しか、
地方都市には残らなくなる。
芸術を享受する際の地域格差や所得格差による不公正の是正に対して、
医療や経済生活と同様に、芸術保険制度をもうけることを提案している。
観る側からすると、とても魅力的な制度だ。実現してほしい。
直接的に若手劇団に助成できるシステムとして、
劇場に助成を行い、劇場の芸術監督がその助成金の使い道に
責任を持つことが適切な方法ではないかと述べられている。
2001年の時点でこのようなやり方がどれほどあったかは知らないが、
現在では劇場主体で活気ある若手劇団の公演を行う劇場も多い。
ラインナップから想像すると、東京芸術劇場は
こういった形での運営を行なっているのではないだろうか?
その他にも、若い世代の魅力的な公演に力を入れている劇場も、
いくつか思い当たる。
「芸術文化はなくても死なない」という言葉に対して、
三万を超える自殺者に対して、「心の教育」を叫びながら、
具体的な施策がなかったことを挙げている。
昔から、人間の精神の問題は、芸術と宗教が担ってきたと述べる。
芸術の創造と鑑賞に、時間とお金をかけて取り組むことは、
人の精神的な支えになると私も思う。
ただ、そのことは、かなり時間を要することであると思うし、
効果を測定するのも難しそうだと思う。
自分の言葉に落としこんで、多くの人に伝えたいと思った。
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平田オリザの政策提言。
かなり大風呂敷を広げているのだが、荒唐無稽に思えないところがこの人のすごいところ。
論理展開がわかりやすく、かつ劇場を取り巻く現状や政策にかんして熟知している著者ならではなのだろう。
芸術の効用として、社会の他妖精の書くほや対話能力の育成が重要なのである。
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どんなに銭湯が経営難でも、廃業すれば公共性をたてに非難される。銭湯の主人も大変な時代なのだ。
言葉を換えれば、私たち現代人は公共性という鎖に縛られて生きている。
だからあらゆる公共性の問題は「ある」「ない」の文脈ではなく、「強い/弱い」「高い/低い」の文脈で語られるべき事柄だということになる。
そこで逆に、まず第一に問題なのは、いまだに「芸術の公共性」の問題が、芸術の世界の中で、「ある」「ない」の文脈で語り続けられているという点だ。(p.27)
芸術の公共性を考えるときに一番重要なことは、公共性の区分の問題を細かく議論することではなく、「いま、日本において、芸術の公共性はどの程度のものなのか」「そして、それは、高まりつつあるものなのか」という点だろう。
ここでも結論から先に述べてしまえば、私は、現代の日本社会において芸術の公共性は非常に高いと思うし、また、それは今後更に高まっていくものだと思っている。(p.30)
かつての商店街には、ただの経済行為ではなく、一見無駄に見える交流の時間があったはずなのだ。その経済行為から離れた無駄な空間や時間が、地域の豊かな文化を育んできた。しかし、車で乗り付け、買い物だけを済ます機能的なショッピングセンターには、その無駄を許容する場所はない。インターネットによる通信販売などがさらにその勢いを加速するだろう。
かつては、地方にこそ、「無駄」なもの、「無駄」な時間、「無駄」な空間が溢れていたはずだ。伝説、伝承、お化け、鎮守の森、祭り……。しかし村落共同体が崩れ、全国一律の近代化を達成した現代日本においては、そんな無駄なものは、どこを探しても見つからない。神話や伝承は、すべて人類学者の調査するところとなり、貴重な風習だけが「文化財」として手厚く保護されていく。祭りは形骸化し、観光客集めのためのイベントと化す。だが無駄な場所や時間を失った地域は、価値観も画一化し、重奏性を失って安定性を欠く。(p.39)
芸術家は、基本的には、いつも「ブラブラしている」ように見え、経済生活の表層にとっては無駄な存在だろう。しかし、それは同時に、共同体にとって、どうしても必要不可欠な存在なのだ。無駄のない社会は病んだ社会である。すなわち、芸術家のいない社会は病んだ社会だ。かつては村落共同体に芸術家が遍在していたが、共同体の崩壊とともに芸術家の存在も消え失せた。だから、現在の日本は病んだ社会だらけということになる。
多様性、重奏性のある社会は民主主義の根幹である。それを保証するためには、どうしても芸術家の存在が地域社会のなかに必要なのだ。(p.43)
人はもはや、そこに住んでいるからというだけで共同体の成員になるわけではない。その共同体が掲示する価値観に共感できるものがなければ、しなやかな帰属意識は生まれない。さらに、その価値観も一様ではなく、多種多様でなければならない。ここに芸術文化行政の難しさがあり、また可能性がある。(p.58)
「より多くの人に確実な満足を与える」という目標は、もはや公共性ではなく市場原理によって達成されるべきものだということだ。消費社会における公共性は、市場��理では達成できない、あるいはそこからこぼれ落ちてしまう、しかしながら市民一人ひとりにとっての切実な欲求をくみ取るところにのみ存在する。(p.72)
もはや芸術文化は、限られた余暇に楽しむべきものではなく、人間の生活になくてはならないものなのだ。いま人々は、余暇を労働のためのものではなく、リフレッシュの時間とはとらえていない。人間は、芸術やスポーツを楽しむために生きているのであり、そのために働いているのだ。そしてその労働さえもが、文化化されていかなくてはならない。このような社会においては、休暇も、芸術文化やスポーツの楽しみを享受するための最低限の時間の確保という視点でとらえられるようになるべきだろう。(p.156)
この莫大な借金と、小さな小さな劇場は、私に多くのことを教えてくれた。
アゴラ劇場の経営にあたって私が考えたのは、サービス業としての劇場経営を突き詰めていこうということだった。当時、小劇場ブームの中で、劇場の数は不足気味だった。劇場の支配人、小屋番(劇場の管理者)はたいていが威張っていて、「貸してやる」という態度がありありと見えた。私は、この点を改めて、使う側の立場に立った劇王をつくろうと考えたのだ。
ちなみに、このような態度は、まだ現在でも、公営、民営を問わず多くの劇場で見かけることができる。劇場が各種の危険を含んでいるために、その公共性を念頭に置かなければ、すぐにでも人々を管理する場に陥りやすい性格の建物だからだろう。(p.197)
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夢のような世界、この夢のような世界の提言からもう15年経ってしまっている。芸術文化行政という言葉に耳がぴりぴりとする行政職員。
この夢物語を現実にしていくかどうかは、ほんと、わたしたち市民にかかっている。
芸術は、演劇だけではない、その演劇だけではないものも巻き込んでゆけるか、どこまで巻き込めるのだろうかに、この世界の将来がかかっているような気がしています。