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紙の本
実像に迫る資料批判
2004/04/17 00:35
12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
支那事変が勃発した昭和十二年、日本軍は上海を激戦の末に占領したのち、国民政府の首都「南京」に進軍した。首都を落とせば戦争が終る、「終らせたい」という一念のもと、長雨による泥沼のなか一分一秒を惜しむ必死の強行軍であったといわれる。昭和十二年十二月十三日、ついに首都「南京」は陥落。しかし、戦争は、終らなかった。
南京陥落後、日本軍による三か月間にわたる軍事占領期間に「南京大虐殺」があったとされる。戦後、南京で行われた国民政府国防部戦犯軍事法廷では三十万人以上の中国人が殺害されたと判決、東京での極東国際軍事裁判では十万人以上であったと認定されている。
本書は、その判決書の内容の分析、証拠資料の整理を行い、どのような論理の積み重ねで「南京で大虐殺があった」と認識されたのか、それを「常識」で捉えなおす試みとなっている。
「南京大虐殺」について、まず知りたかったのは次の二点であった。
1.裁判での証拠資料はどのようなものであったのか。
2.遺体の処理はどうしたのか。
これらの点について本書にある情報は次のようなものである。
1.「南京事件」を世界に最初に知らしめた資料に、マンチェスター・ガーディアン特派員のティンパーリーが著した「WHAT WAR MEANS:The Japanese Terror in China(London,1938)」というものがある。この資料は、裁判開始の前提となり、これを維持する基本的枠組みとして機能し、重要資料として「判決書に特筆された」ものであったという。裁判当時は、ジャーナリストという第三者的立場からの告発であると見なされていた。
しかし、本書によればティンパーリーとは実のところ国民党中央宣伝部顧問であった。
2.日本人の遺体は日本人によって、中国人の遺体は中国人によって手厚く埋葬された。判決書によれば、「大虐殺」による遺体埋葬の事実は、中国による「敵人罪行調査報告(略記)」に基づき、紅卍会による埋葬数が43,071体、崇善堂による埋葬数が112,266体であると裏付けられる。この厖大な遺体の数が裁判の決め手となったようである。
崇善堂提出の埋葬統計表によれば、一月から三月までが7,549体、四月の一か月で一挙に五十倍の104,718体になっているという。埋葬された地名は記されていない。著者が調べた当時の報道資料によれば崇善堂の自動車所有台数は1台に過ぎなかった。
「南京大虐殺」は無かったと著者は捉える。
しかし、南京市西北郊外の幕府山一帯で降伏した二万人近い戦争捕虜の処刑が行われた可能性は否定されていない。食糧が無かった。餓死と隣り合わせの究極の選択。兵站線の確保を重んじない日本軍が招いた悲劇の実体とはいかなるものであったのか。
紙の本
歴史を学ぶって、難しい(嘆息)
2001/11/27 17:31
14人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕は戦後生まれだから、当たり前だけど南京大虐殺を見てない。だから、見たことがないものは信じられませんとか、関係ありませんとかいいたいところだけど、そうもいかない。なにしろ僕は「国際社会から南京の大虐殺を告発されている日本国民の一員」(二〇ページ)なのだ。おまけに南京大虐殺があったか否かをめぐっては、今も議論が続いてる。それじゃ実際のところはどうなんだろうか。冷静に客観的に南京で起こった出来事を確かめるには、一体どうすればいいんだろうか。「南京事件研究にまつわる政治性から一定の距離を保つこと」(二〇ページ)を意図して「歴史研究の基本に立ち戻る研究」(二一ページ)を試みるっていうこの本を読んでみよう。この本は、おもに、南京戦犯裁判で重要な証拠として採用された資料を再検討し、綿密な読解のあとに次のような疑問を投げかける。英紙『ガーディアン』特派員にして中国国民党の支援者だったティンパーリーが書いた書物に信憑性はあるか。当時南京にいた欧米人が残した記録に「大虐殺の進行を彷彿させる報告はない」(八七ページ)けど、これをどう考えればいいか。死者三〇万人説のもとになった資料はでたらめな算定にもとづいてるけど、信憑性はあるか。
さて、この本の著者の北村さんがいう「歴史研究の基本」とは、「南京での大虐殺が在ったか無かったかを性急に議論せず、南京で大虐殺があったという認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認する」こと、「証拠資料を常識に基づいて検討」(二一〜二二ページ)すること、この二点だけど、これは正しいんだろうか。まず、たしかに「性急に議論」する必要はないと思うし、南京で起こった出来事が「大虐殺」って呼べるか否かは判断が難しいし、実際の作業は気が遠くなるほど大変かもしれないけど、歴史研究の基本のきは「在ったか無かったか」を確認することじゃないんだろうか。それから、北村さんは「社会生活を営む大多数の人間」には常識が「備わっていると信じる」(二二ページ)っていうけど、常識ってそんなに一般的なものなんだろうか。この二点を踏まえれば、本当に歴史研究から政治性がなくなるんだろうか。歴史家各々の立場がにじみでてくることは、考えなくていいんだろうか。そんな疑問を抱えながら、僕は本文を読み進めた。
それじゃ北村さんの読解に説得力はあるだろうか。ティンパーリーをめぐる議論では、「はず」とか「感がある」とかって言葉が連発されるけど、これって推測じゃないだろうか。そういうと、常識で考えればわかるっていわれるかもしれないけど、推測を常識で補強すれば真実がみつかるんだろうか。これが「実証に徹しようとする」(一八三ページ)ってことなんだろうか。欧米人の記録に虐殺の記録がないことと大虐殺がないことをイコールで結ぶのは乱暴じゃないだろうか。そういうと、ここでもまた常識って言葉が持ち出されるんだろうか。この本では、虐殺の存在に否定的な資料は無条件で肯定され、肯定的な資料はあらさがしの対象になるけど、これってアンバランスじゃないだろうか。それともこれが常識なんだろうか。ついでに、北村さんは日本軍が国際法に反して中国人捕虜を大量に処刑したことは認め、それは食料の確保に悩んだ「日本軍の悲鳴」(一一四ページ)だっていうけど、諸兄の背後に悲鳴を聞くのが常識なんだろうか。北村さんの耳には処刑された中国人の悲鳴は聞こえてるんだろうか。死者三〇万人説に対する批判は説得力があるけど、人数がそんなに問題なんだろうか。それが常識なんだろうか。
僕は読めば読むほどわからなくなった。結局、南京では何が起こったんだろうか。歴史を学ぶって難しい(嘆息)。[小田中直樹]
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