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今回のシリーズで印象に残ったのは、伊達政宗による100万石への挑戦でした。最初は土地を確保することで100万石を目指したのですが、それが叶わない、時代が変わったことを悟ってからは自国領地の生産性をあげることで、実質的な100万石を達成すべく戦略を時代に応じて変更したことでした。
また、鈴木商店を大きくした金子氏も、最後まで安易な人員解雇をすることなく、将来を見据えた会社作りをしていた点に魅力を感じました。
邪馬台国の女王卑弥呼、動乱の中国に使者を出す
・卑弥呼は鬼神を崇拝する呪術にすぐれており、祭祀者として人々の心をつかんだ(p34)
・卑弥呼は魏の力を利用(親魏倭王という金印を受領)して、倭国に平和をもたらした(p57)
・魏は蜀を263年に滅ぼしたが、2年後にクーデターにより晋が建国、280年に呉を滅ぼして中国を統一、316年には北方民族の侵入により晋は滅亡(p60)
そして「日本」が生まれた/白村江・古代最大の対外戦争
・663年8月28日、日本(倭国)が朝鮮半島の白村江において、唐・新羅連合軍により大敗を喫した(p71)
・前方後円墳は日本固有と言われていたが、近年韓国南部において、同型の古墳が見つかっている(p73)
・661年斉明天皇が急死してしまい、その意志(百済救援戦争)を受け継いだのが皇太子の中大兄皇子であった(p98)
・白村江敗戦後には、庚午年籍という戸籍作成、唐の都城制にならって飛鳥から藤原京への遷都(694)、律令国家への基盤固め(p102)
・白村江配線は、第二次世界大戦で帝国海軍が壊滅したのに匹敵する、唐が送ってきた使者は2000人もの実働部隊とともに日本へ滞在した(p102)
伊達政宗、百万石への挑戦
・政宗は秀吉の命令を無視して、1589(天正17)に会津の大名、蘆名氏を滅ぼして会津を本拠地とし、114万石を支配する東北最大の大名となった(p120)
・政宗は秀吉から、会津・岩瀬・安積を取り上げられ、ふるさとである伊達郡等の6郡も没収されて、宮城県の位置に転封され58万石となった(p123)
・家康の要請に従う行動をとる(上杉軍と戦う)一方で、家康に味方する南部氏の領内にも兵をだしていた(p129)
・江戸時代の中頃には仙台藩の石高は実質的に100万石となった、政宗の死後80年後のこと(p148)
昭和失言恐慌発生の時/巨大商社・鈴木商店の栄光と挫折
・海上兵力で劣るドイツは、潜水艦を使って敵国の商船を狙う通商破壊戦を展開、1日に5万トンもの船が沈められて、深刻な船不足が生じた(p167)
・鈴木商店の経営者金子は、工場閉鎖・社員解雇には同意せず、銀行からの借金で赤字を穴埋めする道を選んだ(p174)
・台湾銀行から鈴木商店への融資は、総貸出額の44%を占めていた(p177)
・太平洋戦争終結後に、金子が生み出した会社から、神戸製鋼・石川島播磨・帝人・日商岩井が育っていった(p198)
世界を制したハリウッド映画/「風と共に去りぬ」公開の時
・主演女優を決めるために1400人が応募したが、決めることができなかった(p212)
・主役不在のまま撮影を開始した、代役女優によって顔を隠しながら撮影した(p214)
・当時最先端の特撮技術が使われていた、巨大な屋敷は合成技術によるもの(p220)
・1939年12月に映画はついに完成、制作費が300万ドル、4時間30分の長さであった(p234)