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小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き みんなのレビュー

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みんなのレビュー10件

みんなの評価4.1

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (4件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本

作家というのは、読み手に、なんとまあ強い気持ちを抱かせるものなのだろう。

2020/09/06 22:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る

作家・庄野潤三が選んで編んだ小沼丹の作品集。本書には、61篇の掌編と最後に庄野潤三さんのあとがき...といってしまうにはもったいない、これも珠玉の一篇が収められている。
中盤、1980年後半ごろ話によれば小沼さんは病を得たらしい。その言い方を借りれば「半病人になって」からは、夜というより朝の話の比重が増えて、庭を愛でたり、散歩を楽しんだり...何か、庄野潤三作品にも共通する雰囲気になってゆき、日々の「何気ない」を生き生きと描ききる。
この世代の作家の方々は、なんとなく「事件」よりも「何気なさ」を大切にする感じがあって、どちらも、多感な時代を戦争という恐怖溢れた事件の中で過ごし、同じく若い日々に高度経済成長と言う別の事件の体験をした。強力な振り子のような時代を生きて、振り飛ばされることなく強く優しい。だからこそ、見つけて差し出すものは、愛しい普通の日々なのだろうかなどと思う。

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紙の本

「最近、趣味が渋くなってきた。枯れてきたんだよね」という御仁に特にお薦め。滋味にあふれた魅力あるエッセイ集。にしても、装丁同様、かなり渋すぎ。

2002/09/10 19:27

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

『尊魚堂主人』という井伏鱒二を追悼する文集を読んだとき、井伏氏にトリッキーに引き止められて日がな将棋の相手をさせられた人——として、「小沼丹」の名前の印象を強くした。本書の39ページに、コントみたいな掛け合いで夜まで繰り広げられたその日の対局の顛末が書かれている。
 午前中、井伏邸に立ち寄った著者が、上がってお茶をご馳走になっていると、今日中に書かなくてはいけない原稿があるという井伏氏が「ちよつと指すかね」と将棋盤を出してくる。危ない予感はするが、「一番だけと云ふことで指したら僕が勝つた」——お辞儀をして帰ろうとすると、井伏氏は駒を並べて悪かったところをつぶやいている。「君、三番勝負さ」と言うので、覚悟を決めて二番指すと小沼丹は二番とも勝ってしまう…。
 そのあと勝負がつづき、井伏鱒二は「原稿なんて…」と乱暴なことを言い出す。
 一日の終りの井伏氏の態度がまた、くっくと笑えるのだが、こんなに内容を書き出してしまった。これ以上は、もう書くまい。

 小沼丹と親しかった庄野潤三が編んだエッセイ集である。最初の随筆集『小さな手袋』から15編選んで、最後の随筆集『珈琲挽き』からの46編を加えたことが、あとがきに明らかにされている。ちなみに、『小さな手袋』は講談社文芸文庫に収められている。
 今、小沼丹の作品を読むとしたら、この文芸文庫に『懐中時計』(読売文学賞)『埴輪の馬』『椋鳥日記』(平林たい子賞)などが所収されており、手に入りやすいようで(値段は結構高い)、私もどれから読んでみようかと考えている。
 小沼丹の文字遣いは正字旧仮名遣いであったが、この本では新字旧仮名遣いに改められている。「吃驚(びっくり)」という字が何回も出てくる。「差障(さしさわり)」「悉皆(すっかり)」など、これで読みが正しいのか心もとないが、いくつか頭に残る表記があった。真似して使ってみたいが、私が書くと嫌味になってしまう。

 小沼丹は、「日本の名随筆」のような企画の常連として知られ、趣き深いエッセイをいくつも残した。ここに収められた文章の題材は、自分と同じ物書きたちとの気持ちのいい交流であり、出入りする酒場で見聞したことや酒自体の話、酔った結果の忘れ物や落し物にまつわること、体をこわしてからは、庭に咲く花や飛来する鳥たちをめでる様子といった内容である。年配の文学者らしいと言えば、いかにもそれらしい目線の向き先だ。しかし、古き日本文学にイメージされるウェットさはなく、さらりと肩に羽織った麻のシャツのような風合いのユーモアがあちこちにのぞく。
 秀逸なのは、やはり表題作「小さな手袋」である。これもまた酒場で行き合った出来事であり、小沼氏本人ではないが、同席した酔客の忘れ物の話である。7ページと、ほかに比べてやや長めのこのエッセイは、短編小説のような味わいがある。
 人によりけりだろうが、作家というのは家にこもって原稿用紙に向かい合う仕事だから、限られた人と話す平坦な日常が多いのだろう。だから、酒場でちょっと見かけたことを大きくふくらませて創作するようにエッセイを物すのではないか…という考えも浮かんでくる。この作品は、それぐらいドラマチックな出来事で、見聞したことには思えない。
 しかし、人は自分が望むものの方へ少しずつ近づいていく。私ですら、男の人とのロマンティックな状況を常に夢見ていたから、素敵な経験がいくつかあったじゃないか。そんな思い直しをしながら、短編小説のような出来事を志向していたであろう小沼丹という作家の文章に酔う。

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紙の本

初めて気合いを入れて読んだが、滋味溢れた文章と内容に感心!

2002/04/16 22:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 早大仏文科に籍を置いていた頃、英語教師の一人に小沼丹がいた。教材はペンギン版、ジョイス『若き芸術家の肖像』だった。彼もまた、やる気のない事務的な教師で、授業は毎回購読のみ、ジョイスに関する講義もなく、小沼丹自身の話も、一度も出たことはない。学生を馬鹿にしていたのかもしれない。
 その昔、「村のエトランジェ」(同名の単行本はみすず書房)が芥川賞候補になったと知るぼくは、何度か、お茶にでも誘って話を聴こうかなとも思ったが、当時は前衛小僧、彼のような作風は軽んじていたため、結局は安部公房に紹介状を書いてもらっただけだった。しかし、その安部公房、何度か自宅に電話を入れたが、見知らぬ小僧に会う義理はなく、時間もなかったのだろう、実現しなかった。
 その後、文芸誌『海』編集者時代も、小沼丹にはエッセイすら頼まなかった。晩年は、現役の長老が少なくなり、相対評価で評判も多少上がり、小沢書店から『全集』(全五巻。完結したのは一九八〇年)も出たりしたので、一度、真面目に読んでみようと思っていたら、一九九六年、七八歳で逝ってしまった。
 本書は「大人の本棚」と銘打たれたシリーズの一冊で、小沼丹の旧友庄野潤三が編んだ「短篇・エッセイ集」である。
 内容は『小さな手袋』(小沢書店、一九七六年)から一五篇、最後の随筆集『珈琲挽き』(みすず書房、一九九四年)から四六篇が採られている。
 彼のエッセイや短篇、気合いを入れて読むのは初めてだが、滋味溢れた作風で感心した。中でも珠玉の短篇と呼びたい「小さな手袋」には心打たれた。
「或る寒い晩、或る酒場の止まり木に尻を載せてゐたら、隣に知らない男が来て座つた。頭が禿げ上がつてゐて、赤い顔をしてゐるからどこかで飲んで来たのかもしれない。ぎよろりとした眼で此方を睨むと、ビイルと注文して、仏頂面をして飲み始めた。ビイルを注いだ痩せた女が御愛想のつもりか、こちら、始めてですの? と訊いたら黙つて点頭いた。それから、——茲は何て云ふ店だ?と女に訊いた。
——「あしび」ですの。どうぞ宣しく……。
——あしび? どうぞ宣しくなんて云つたつて、俺はもう来ない。
 仏頂面した男らしく、云ふことも愛想が無い」で始まる。
 カウンターの外の椅子に坐った女が、男が床に落としたものを拾う。それは赤い毛糸の手袋の片方だった。男は慌てて外套のポケットを探り、包装紙と一緒に、もう片方が出てきたのでほっとする。
 痩せた女が、「お孫さん用ですか?」と訊くと、「子供のだ」といい、これで三つ目だ、買っても、すぐなくすからだと答える。
 痩せた女は、「もうすぐ春だから、手袋も要らなくなりますね」と話す。
 「あんたも子供がゐるのか?」との問いには「ええ、まあ……」と、女は言葉を濁した。男はさらにビイルを注文し、結婚式の帰りだと言い、「さう云へば、俺の土産はどうした?」と訊く。
 男はここから電車で一時間以上かかる町でパン屋をしており、彼はもっぱら店裏でパンを焼く係りらしい。
 男はまた、三十年ぶりの中学の同窓会が楽しみだとも語る。
 雨は小降りになっていた。
 男は時々家の近くの店で飲むが、そこの親爺と鮒を釣った話もする。
 男が店を出た後、客が手袋の入った包みを見付ける。痩せた女は、子供がなくすのかと思ったら違うのね、と言い、「あたしにもね、このくらゐの子供がゐたのよ、二年前に死んだけど……」。
 一九五九年三月、小沼丹、四一歳の作品である。

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2007/01/27 10:24

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2007/09/17 12:48

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2009/02/02 21:56

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2010/04/20 15:57

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2013/04/14 17:23

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2013/07/21 20:09

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2019/03/03 20:56

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