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ドイツにおける「憲法パトリオティズム」をめぐる論争を手がかりとしながら、「熟議の民主政」の理論構築を図る研究。とはいえ、全4章からなる本書は、戦後ドイツにおける政治理論・社会理論のみに焦点を絞るものではない。まず、第3章と第4章において、政治資金規制とイニシアティヴをめぐるアメリカ連邦最高裁の判例解釈をメインとして取り上げながら、表現の自由を権利として確保し、市民がそれを行使する公共の場を構築することと、国家ないし州による法的規制の緊張関係が鋭く析出される。もちろんその際にも、法人の基本権を認める法理論が存在する日本や、現在の国会を「唯一の」立法機関として認める日本国憲法の解釈をめぐる問題(日本国憲法をフランス第五共和政憲法と同じ「半直接制」と解釈する)が意識されている。もちろん、そのような具体的事例の分析に際しても、(ヴァイマル期以来の)ドイツ国法学や社会学、さらにはアーレントの議論が下敷きになっている。特に第2章では、ルーマン、ハーバーマス、アーレント、ヘラーの議論が批判的に吟味され、この4者の理論と哲学に熟議の民主政の理論構築に向けた手がかりが見出されている。基本的に本書が対決するべき相手方として想定しているのは、カール・シュミットとルーマンと言ってよいだろうが、それも彼らの議論を綿密に検討して、政治的決定(ないし討論)への市民の参加という熟議の民主政の根本理念がイデオロギー化する可能性を炙りだした理論家として捉えていると思われる。その点で、「熟議の民主政」の理論構築のみならず、過去の理論家とどのように対決していくのかという問題についても、多くの示唆を与えてくれるだろう。