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[上下巻を通じてのレビュー]
(数年前に読んだ時の記憶によるレビューのため、記憶違い等はご容赦願いたい)
本書はスタートを第一次世界大戦末期に生じたドイツ革命による皇帝ヴィルヘルム2世のオランダへの亡命に、終わりを1944年7月20日のオルプリヒトやトレスコウ、シュタウフェンベルクらによるヒトラー暗殺計画の失敗に据え、国防軍(Reichswehr)の前身たる国軍(Reichswehr)の誕生から死までをつぶさに描き出す。
ドイツ革命やスパルタクス団の蜂起、バイエルンの動きなど、第一次世界大戦末期からその後にかけての「ライヒ」はその統一すら危ぶまれる状況であった。そのような状況で「ライヒ」がかろうじて維持されたのは軍隊の力に依るところが大きかった。
混乱を極める事態に呆然とするエーベルトのもとにかかってくるグレーナーからの一本の電話。このシーンはとみに叙述が小説的になり、非常に印象深いものであり、一番好きな部分かもしれない。この一本の電話がワイマール共和国と国軍のその後の関係を決めたのである。
ワイマール共和国においてかくして「国家の中の国家」という圧倒的で不動の地位を獲得した国軍が(国軍が同意しない場合、政府は安定を維持できないほどであったことが描かれている)、その「窮屈な現状」を脱するために、自らその地位から降りていき、政治に手を染め、手のひらでナチスを踊らせるつもりがいつの間にかナチスの手のひらで自らが踊っていくようになる場面はその破滅的結果を知っているにも関わらず、手に汗握るものがある。(余分ではあるが、一言添えると、その記述は詳細にして膨大なので、実際に読んでいる間は手に汗は握らない。あくまで、本書全体を概観した場合の話だ。)
原著は1961年のもので、現在より1945年の方が近く、現代的な観点から見て叙述が古いと感じさせるものがある。
例えば、そして特に印象的だったものであるが、チェンバレンの融和政策を両手離しで称揚していたと思う。現在ではチェンバレンの融和政策は必ずしも間違いではなかったと再評価されているらしいが、ここまでは言わないだろうという内容だ。
ウィーラーベネットはナチス政権下のドイツに滞在していた時期があるようで、「酒場で聞いた話だが」といった叙述があるのは、彼にとって、これはまだ歴史になるかならないかという段階のものなのだなと感じさせる。
また、本書の序文に現在(1961年)のドイツへの疑いの眼差し―それは、第一次世界大戦も第二次世界大戦もドイツが引き起こしたもので、いつまたドイツが国力を回復して戦争を仕掛けてくるかわからないという意識・歴史観の現れである―が向けられているのも面白い。
かように、「研究文献」でありながら、現代においてはウィーラーベネットが生きた戦後の歴史を研究する上で立派な「史料」ともなりうる1冊だ。