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本書は、1996年に京大文学部で開催されたシンポジウム「創設期の京大文科《東洋学者群像》」をきっかけとして編集されたもの。京大文学部で東洋学を講じた8人について、業績と今日における評価がまとめられている。
敬服したのは羽田亨。広範な学問領域が示唆するように、彼には大局を見る目があったに違いない。偉大な研究者だからこそ、京大総長・東方文化研究所所長という学問の土壌を育む重職を果たせたのだと思う。
<メモ>
○狩野(かの)直喜【支那語学支那文学】
・東方文化学院理事
・京都研究所主任(所長)
・中国を内側から見る
・敦煌学・俗文学
・学問のための学問
→外務省の要望を拒否し、政治から学問の独立を守る
→(1938年)京都研究所は東方文科学院から独立して「東方文化研究所」へ。狩野辞職。
・人文研分館に銅像有
○三浦周行(ひろゆき)【国史学】
・日本中世史(鎌倉時代)
・史料実証主義
・(1908年)史学研究会発足(京都における史学系初の学会)
→機関誌『史林』の発刊・編集にあたる
・古文書室開設
・京大文学部に三冊日記有
○内藤湖南【東洋史学】
・東京に脱走→仏教雑誌『明教新誌』編集
・政教社機関誌『日本人』編集
・『大阪朝日新聞』論説記者「京都大学に文科大学を設置すべし」
(1901年)「京都大学図書館一覧記」
・中国好き
・石刻の拓本は人文研に移管
○濱田耕作【考古学】
・近代考古学の父…モンテリウス型式学をもたらす(方法論の提示)
・京大総長
○羽田亨【東洋史学】
(1)北アジア史(満蒙史)(2)西域史・中央アジア史・敦煌学(3)東西交渉史(4)民族学
・こわい先生
・指導教官:白鳥庫吉(くらきち)
・東洋史を本籍地としつつ、言語学の助教授として11年間勤める
・(1936年)京大附属図書館長
・(1938年)京大総長
→(旧)人文研の創設
・自らの仲介で住友家から清風荘をもらいうける
・(1945年)東方文化研究所所長
・カルピス食品会長の三島海雲との友情
→羽田記念館(三島海雲記念財団寄贈)
○小島祐馬(おじますけま)【支那哲学史】
・中国「思想」史を主張
・『支那学』創刊
・完璧主義→寡作
・社会思想史的研究(思想を社会の産物ととらえ、社会科学の方法を導入してその歴史的意義を考究)の礎を築く
・(1938年)京大総長濱田耕作が在職のまま死去
→文部大臣荒木が総長任命権の収奪をはかる(総長任命権問題)
→小島らが折衝にあたり、収奪を阻止
○宮崎市定(いちさだ)【東洋史学】
・内藤湖南・桑原隲蔵・羽田亨・狩野直喜に師事
・実証的研究
・通史(中国史を体系化し世界史のなかに位置づけ)
・西アジアへの「異常な親近感」
→自らの書斎を「イスラム文化研究所」に擬す
→京大文学部への西南アジア史の講座設立を提案
・フランス滞在中に蒐集した洋書・地図
→京大附属図書館〈宮崎市定コレクション〉
・停年退官後30年文筆活動
○吉川幸次郎【中国語学中国文学】
・非スポーツ型
・狩野直喜の最初の弟子=青木正児(まさる)、最後の弟子=吉川
・東方文化学院京都研究所所員
→図書の蒐集・整備(宋版のような稀覯本よりも、実用的な価値の高い清代の善本を蒐集)
(1)中国服着用、(2)中国語で論文執筆、(3)中国語音で直読
・小川環樹とコンビ
・杜甫
・『新唐詩選』
→「時に感じて花も涙を濺ぎ、別れを恨みて鳥も心を驚かす」訓読