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紙の本
もはや悲しみは疾走しない
2002/09/12 00:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
九月十一日の朝日新聞朝刊の<天声人語>は、一年前のニューヨークテロ事件に関連したコラムだった。その冒頭で、天声人語子はモーツァルトの「レクイエム」を取り上げて、こう書いている。「<疾走する悲しみ>と評されることもあるモーツァルト音楽の中でも<レクイエム>は特別だ。最晩年の作品で未完に終わった。もはや悲しみは疾走しない。ひたすら深く沈んでいく。あの曲を聴くと、悲しみの前にしばし言葉を失う」。
この本は、開高健を兄事した著者が、十三年目にして初めて喪失の悲しみを文章にした作品である。スキャンダルに陥りそうな話題をさりげなくかわしながら、著者が書かんとした開高はあくまでも大きく、どこまでも深い作家の姿だった。そういった著者の自省の表現は、開高の死後まもなく書かれた多くの<開高健論>とは一線を画している。それは、著者の開高に対する深い愛の結晶といえる。
深く沈んでいくしかない悲しみ。疾走しない悲しみ。
著者は開高の名作「夏の闇」に登場するヒロインにモデルがいたことをやんわりと書いている。そして、そのモデルは開高が作品を書く前に亡くなっていたことを知る。「夏の闇」のモデルが著者がやんわりと書いた女性だとしたら、開高は愛する女へのレクイエムとしてあの名作を書いたことになる。書くことの残酷。書かざるを得ない悲しみ。開高が模索した小説とは、あの「夏の闇」で昇華していった悲しみだったのではないか。作家とは、言葉を失う悲しみを前にして、それでも言葉を紡ぎ出さないといけない残酷な生業なのかもしれない。
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