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友愛と敵対 絶対的なものの政治学 みんなのレビュー

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みんなのレビュー3件

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紙の本

友敵の彼岸へ向かう政治学

2003/02/18 13:03

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大竹 弘二 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本ではまだ馴染みが薄いデリダ派の哲学者デュットマンの小著。

 最近邦訳の出たデリダ『友愛のポリティックス』の問題意識を受け継ぐかたちでの議論がなされており、デリダのこの著作に興味のある者には必須の関連書であると言える。例えば、前半部の敵対論ではデリダのカール・シュミット読解に沿った解釈が展開されるし、後半部の友愛論は『友愛のポリティックス』で中心的な役割を果たすアリストテレスの言葉「おお我が友よ、友はいない」の解釈をめぐって論が進められている。しかしデュットマンのこの本は、単にデリダの議論を繰り返すだけにはとどまっていない。前半部ではシュミットに加え、カフカの小説『巣穴』やデカルトの『省察』における敵対のモチーフまでもが扱われるし、後半部ではキルケゴールやニーチェ、さらにはハーバーマスの「討議倫理」にまでその射程が広げられている。このように多様な哲学的コンテクストへの射程の拡大は、若き日にドイツの大学で学問的研鑚を積みながらも、デリダとも深い知的交友関係を持つこのデュットマンという哲学者だからこそ可能となった知的営為だろう。

 政治を敵対という観点から見るにせよ、友愛という観点から見るにせよ、それらの概念が負っている長い哲学的伝統を無視することはできない。敵対の概念はプラトンからシュミットまで、友愛の概念はアリストテレスやキケロからカントを経てアレントに至るまで、政治哲学において重要な役割を果たしてきた。問題は、「誰が敵か」あるいは「誰が友か」は単純に決定することができず、そうした決定不可能性の彼岸にはやがて絶対的な敵もしくは「来たるべき民主主義」の可能性が浮かび上がってくる、ということだ。こうした観点から友愛と敵対をめぐる哲学的言説を再検討しなおすことで、デュットマンは、デリダとともに、政治哲学上の重要な問題に新たな一石を投じているのだと言えるだろう。

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紙の本

予定調和的共同体を脱構築する、来たるべき友愛の政治哲学

2002/07/05 18:56

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 こんにち、敵とは誰か。そして友とは誰か。「911」以後の世界において、暴力的で強制的な二者択一が民衆に押し付けられつつあるが、敵対関係といい友好関係といっても、話者が変わればその見え方はたちどころに変化する。デリダ以後の世代でもっとも将来を嘱望されている哲学者の一人であるガルシア・デュットマンは、本書において、敵や友の認知がどのように生成され、他者との関係性において構成され、決定され、つきまとうかを、政治学的に見ていく。本書は、「此岸と彼岸における敵たち:ラディカル化」と「友愛:解放についての試論」の二つの論考からなる。前半部では、カフカやデカルト、カール・シュミットを参照しつつ、抹消することのできない敵対幻想を分析する。後半部では、デリダの『友愛の政治』(未訳)における「最小限の友愛」論や、ハーバーマスの「討議倫理(Diskursethik)」概念を吟味しつつ、友愛の(不)可能性を綿密に検討していく。デリダの脱構築が政治学的、倫理学的にいかに応用され得るか、その地平を見極めようとした本書は、その射程の限界と批判的に対峙し、民主主義のありようを鋭く問う。「〈到来しており、到来し続けている〉民主主義への問いとは(……)改良主義や永続革命論への問い」ではなく、むしろ「無制限な平等の到来」と「無制限な単独性の到来」の一致した二重の到来という「不可能なアクチュアリティへの問いなのである」と彼は述べる。本書はその問いを開いたまま、読者へとバトンを渡すように終わる。若き俊英による、読み応えのある論考である。

※併読をお奨めします→ナンシー+バイイ『共出現』

人文・社会・ノンフィクションレジ前コーナー7月1日分より

(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)

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2012/05/31 15:17

投稿元:ブクログ

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