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紙の本
三八年めの「ずばり東京」
2002/09/08 18:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
故開高健の傑作ルポタージュ「ずばり東京」が書かれたのは昭和三八年の秋から翌三九年の晩秋にかけての一年間であった。深夜喫茶や羽田空港、はたまた予備校に「トルコ風呂」と当時の世相を舐めまわすように、開高独特の、芳醇にして軽妙な文体が東京を描ききっている。文庫版の「まえがき」で開高はその頃のことをこう書いている。「当時のトーキョーは一時代からつぎの時代への過渡期であったし、好奇心のかたまりであってつねにジッとしていられない日本人の特質が手伝って、あらゆる分野がてんわわんやの狂騒であった」。そういった時代だったからこそ、開高の饒舌がぴったりはまったともいえる。
それから三八年が過ぎた。その開高健ももういない。開高が「超世の慶事」と皮肉った東京オリンピックを一里塚にして、日本経済は高度成長を遂げていく。それが泡沫となっていることさえ気がつかなかったのは、開高の出世作「パニック」の鼠たちそのものであった。いったんはじけた泡はそのまま戻ることないまま、失われた一〇年などと気取って云われても、要は不況そのものなのだ。そんな時代に書かれたのが大田垣晴子の「東京リラックス」である。
初出誌が「クレア」という女性誌ということもあって、ここに描かれた世界はエステやリラクゼーションといった女性の世界だが、ここにも三八年という時の流れを感じる。男の世界から確実に女の世界に変わっている。疲弊しているのは男性ばかりで、女性はまだまだ元気だ。大田垣の漫画はそんな女性たちの貪欲さも描いているといえる。表現方法もそうだ。開高が三八年前に「ずばり東京」を描いた時にも、独白体や会話体と文体を変えたが、漫画はさすがに書かなかった。表現方法としてまだ完成されていなかったといえる。今では漫画はあらゆることを表現できる文化になった。開高がいれば、大田垣の作品をどう評価しただろう。
開高は「ずばり東京」の最後にこう書いた。「東京には中心がない。この都は多頭多足である。いたるところに関節があり、どの関節にも心臓がある」。そのことは三八年経った今でも変わらない。大田垣が描いたそれぞれの場所が関節であり、心臓でもある。そして、まちがいなく、ずばり東京である。
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