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医者という人の生死に関わる仕事につき、自らも精神を病んでしまう妻。新人賞を受賞したものの次が思うように書けない夫。山の人となり前時代的な生活を続けているおうめ婆さん。病の再発から再起した小百合ちゃん。暗くなりがちな登場人物の設定だがそうならないのは、自然が圧倒的だからなのかもしれないですね。
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評価は5。(図書館)
内容(BOOKデーターベース)
作家としての行き詰まりを感じていた孝夫は、医者である妻・美智子が心の病を得たのを機に、故郷の信州へ戻ることにした。山里の美しい村でふたりが出会ったのは、村人の霊を祀る「阿弥陀堂」に暮らす老婆、難病とたたかいながら明るく生きる娘。静かな時の流れと豊かな自然のなかでふたりが見つけたものとは…。
作者自身の体験を女医に置き換えて書かれた話だそうだ。
阿弥陀堂をまもる老婆や孝夫の祖母の慎ましい生活や、何ごとも自然に任せ自然に背かない人生が淡々としてい非常に清々しかった。
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映画化もされた名作。わたしはこの作家の作品を読むのは3回目であるが、やはりこの静謐な世界は非常に好みである。作家である主人公とパニック障碍を患って田舎の診療所に赴任してきた女性医師の夫婦をメインに描いていて、これは完全なフィクションかとも思ったのだが、一部は実体験を取り入れた、半私小説なのかもしれない。著者が病気になったということは知っていたのだが(そのため後年登山に傾倒するようになり、近年の山岳小説につながる)、Wikipediaによれば著者の年齢はちょうど学園紛争激しい頃に受験を控えていたという作中の設定と合致するし、なにより著者の本名は「霜田(しもだ)」らしいので、まったく無関係に上田姓を登場させるわけもあるまい。作家としてスランプだった時期の経験を夫に、医師として多忙を極め身体に異常を来した経験を妻にそれぞれ仮託して書き上げたものと推察される。さて、そういった背景はともかくとして、作品自体も非常にすばらしいと思う。谷中村は都会に生まれ育ち、パソコンやスマートフォンをバリバリに使いこなすわたしからしたらとんでもない田舎でしかないが、それでもそんな田舎でさえも嫌悪感を覚えさせず、むしろ憧憬すら抱いてしまうのはやはりこの筆致のなせる業であろう。阿弥陀堂に住まうおうめ婆さんの設定がまたすばらしく、たとえば美智子は病を患っており、ほんらいであれば暗いムードが物語を支配してもおかしくないところ、それを中和させるような不思議な雰囲気を放っている。一言一句にも含蓄があり、無学で貧困なのであろうが、人生の手本にしたいようなすてきな老婆である。時代劇によくべらんめえ口調でなにごともガハハと笑い飛ばして片づけてしまうようなキャラクターが登場するが、おうめ婆さんも性質は違えど役割的にはおなじような感じであろう。このような魅力的なキャラクターを造形する筆者には頭が上がらない思いである。小百合ちゃんもおなじく魅力的である。ただ、単純にハッピー・エンドで良いのかという疑問はある。執筆当時になかった言葉を使えば、この作品の舞台は「限界集落」である。もちろん戦時中でも一般家庭には時として笑顔があったように、限界集落でも毎日の通常の営みがあり、そこには喜怒哀楽さまざまな表情があるであろう。しかし、長期スパンでみれば絶対に「暗い未来」が待っているような場所であって、そういったところでもひたすらニコニコ、というのはリアルであろうか。わたしは、あえて小百合ちゃんか、おうめ婆さんか、誰かが亡くなっても作品としては良かったのではないかと思う。最後に妊娠までされてしまうと、読者としてはこのあと元気な子供が産まれ、ついでに主人公もとうとう作品を書き上げて雑誌に掲載され、というような絵に描いたような平和な明るい未来しか想像できなくなってしまうが、『阿弥陀堂だより』という小説をずっと書いてきて、伝えたかったメッセージははたしてほんとうにこれで良いのであろうかという疑問は拭えない。
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南木さん、初作品です。
信州の山里で祖母に育てられた主人公・孝夫が医者である妻と連れて
故郷へ戻って来たところから物語は始まりました。
その村には、村人の霊を祀る「阿弥陀堂」があり、
一人身の高齢者がその堂を守ることになっていました。
孝夫が幼い時から阿弥陀堂守をしているおうめ婆さんは
質素な生活をしつづけている高齢者です。
孝夫の天寿をまっとうした祖母もこのおうめ婆さんも
おかしくなるぐらいに欲がなく、
あきれるほどしぶとく大地に根付いた生活をしていました。
医者の妻は心の病を持っていましたが、、
村でのんびり生活をして、
新鮮な野菜と澄んだ空気のある毎日を過ごすうちに、
だんだんとたくましく強くなっていました。
阿弥陀堂で知り合った難病の娘の病を救おうと、
一度は退いた自分の専門分野の医療と
孝夫の妻は向き合います。
美しい信州の自然を背景に
電化製品に頼らない厳しい自給自足生活を続ける孝夫夫婦ですが、
人として生きるうえで
大切なものをしっかりと持って幸せに暮らしている様子に
ほのぼのとしたものを感じました。
「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」
という、おうめ婆さんの信念は
昔の日本人誰もがもっていた信仰心なのかもしれません。
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おうめばあさんには何か実在のモデルがあるのだろうか?
時代を遡れば、田舎には、こういう「人から切り離されて共同体のために自分を捧げる存在」はあったと思うけれど。
子どもを授かるという終わり方が、帳尻が合わないように感じた。子どもを産み育てるってもっともっと犠牲が大きいものでは?心を病んだとはいえ仕事をある程度順調にこなせてきた女性が後半において子どもを授かる、っていうのはうまくいきすぎのような。作者男性だからかな。私がひがみ根治強すぎですね。
ダイヤモンドダストのような終い方をどこかで期待しておりました。この作者にはそっちの方が似合うのでは?
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売れない物書きとキャリアウーマン医師の妻、妻が体調を崩し、夫の故郷の田舎村に帰る。自然、田舎の人達に触れながら第二の人生をゆっくりとでも健康に歩んでいく姿を描く。
知人に「オススメ」と言われもらった本、座禅をやっていることもあり、タイトルにも惹かれ読んでみる。
父も田舎暮らしをしていて、私もリタイアしたら田舎暮らしもいいなと思ったり、物語の自然とふれあう良さもわかるのだけれども、全体としては物足りなさを感じたかな。
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ミステリーばかり読んでいた身には起伏のない展開がしんどかったが、次第になじんでくる。幸せに生きるとはどういうことか、どのように死に向かっていくのか。医者でもある著者が抑えた筆致で問うてくる。しかし私には、ここに出てくるどの人の生き方もできないな。
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人生の折り返しに差し掛かり、故郷の集落に戻った夫婦の生活を描いた物語。
おうめさんの飾らない、それでいて核心をつく言葉が深く心に染み入って、何度か涙を拭った。
季節が巡り生命が芽吹きまた枯れていく、それをあるがままに受け入れることの美しさを感じた。
心に柔らかな温もりが灯るような一冊。
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六川集落出身の孝夫が結婚し妻を連れて移住してくる。そこで暮らしながら出会う人との触れ合いが描かれている。
タイトルでもある阿弥陀堂は、山の中腹にあるお堂で、選ばれたお婆さんが守っていくしきたりになっている。
96歳のおうめ婆さんはそこに住み、祖先の霊を守っていてくれるのでそのお布施として村人は食料や燃料を運ぶ。
病んでいた人々がおうめ婆さんと、この村での暮らしで元気を取り戻していく。
映画化もされている。
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地に足がつく….というか、土地に根付いて身も心も健全に生きたくなるな。
『器に合った分の、それもなるたけいい話を聞いていたい』
このSNS時代にグッと来る言葉だ。
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小さな山奥の村、その山里の山の方の阿弥陀堂に暮らす老婆。祖先の霊を守ってくれる老婆にお礼として、老婆には食糧が運ばれる。
40年、50年この閉ざされた風景から一歩も外に出ないで暮らしてきた老婆。
都会で精神的に病んだ妻と売れない作家の自分。口の聞けない若い女性。圧倒的な大自然のなかで、生きるとは何か、考えさせられる名作。
田舎で暮らし、病気と単なる身体の故障の違いとは、心が病んでるかどうかであると気づく妻。
深いですね。
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心を病んだエリート医者の妻と作家兼ほぼ主夫の主人公。田舎っていいな。闇雲に頑張り続けることだけが人生ではないと思った。
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新聞で南木さんの書いた文章を読み、興味を持って読んだ。
コロナ禍の中で重たい内容ではあったけど、最終的には晴れやかな気分になったのでよかった。生と死、死生観。所詮、人の命も自然の一部の流れ・・。
まあ、でも次は軽めの小説を読みたい気もする。
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難病の小百合ちゃんがおうめ婆さんを取材して村の広報に掲載する『阿弥陀堂だより』の短くも優しい記事文が、疲れた心に沁みてくる。
医師である主人公の妻の心を病むまでの仕事ぶりはすごいし、売れない作家でダメな感じと見える主人公の、故郷の山に移住して妻を再生させるまでの献身ぶりは素晴らしい。
ダイヤモンドダストと違い、結末が死ではなくそれぞれの障害を乗り越えて生きていく、と言うのがまた良かった。
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阿弥陀堂だより(文春文庫)
著作者:南木佳士
発行者:文藝春秋
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
第100回芥川賞受賞作品