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紙の本
硝子の透明さのなかで展開されていく、酷薄な滅亡の美しさ
2004/05/25 19:15
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
カバー画に描かれているのは、白い砂浜と打ち寄せるエメラルドグリーンの波、青い空と低くたれ込める灰色の雲。そして「グラン・ヴァカンス」というタイトル。
私はまずここからJ・G・バラードの小説を連想した。たとえば「ヴァーミリオン・サンズ」と呼ばれる連作短篇のシリーズ。頽廃的な空気の漂う砂漠のリゾートに集う人々が、歌う植物の歌を聴いたり、音響彫刻に興じたりするという幻想的な小説群である。または彼の近作で展開されている、死んだように生きている完全セキュリティのリゾート地といったイメージも浮かんでくる。
しかし、「グラン・ヴァカンス」を読んでいくうちに、これは飛浩隆による「結晶世界」なのだと思うようになった。バラードの「結晶世界」は、ある森のなかで、木も鳥も鰐も人も、すべてが水晶に変わっていくという、驚嘆すべき破滅の姿を描き出した異形の傑作であり、私が読んだなかで最も印象深い小説だ。
では「グラン・ヴァカンス」はどうか。この物語の舞台は、大途絶という事件以降外部の人間がまったく訪れなくなった、仮想リゾートである。そしてこの物語に登場する人々はすべて仮想リゾートの駒として作られたAIなのである。外部で何が起こったかわからず、ただそのなかで暮らすAIたちは千年にも渡る夏を繰り返している。
永遠にも近い停滞が、この夏の区界、<数値海岸>(コスタ・デル・ヌメロ)を領している。
人工知能たる仮想リゾートの人々は、みずからが作られた存在であることを知っている。自分の過去なるものが捏造されたエピソードに過ぎず、訪れてくる倒錯したゲストたちのために設えられた好餌でしかないことも知っている。それでも彼らは記憶を持ち、意志を持ち、感情を持っている。美しく見える仮想空間にも、隠された暗部が脈打っている。
そこに、ある日突然<蜘蛛>と呼ばれる異形の怪物が進入してくる。いつもは仮想空間の補修をしている<蜘蛛>にも似たその怪物たちは、仮想空間をあっという間に黒く消し去ってしまう。突然の襲来にとまどう人々は、あっさりと喰らいつくされ、なぶり殺しにされていく。
永遠かとも思われた夏の海岸が、見る間に崩れ去っていく。
その危機のなかで、AIたちは砂浜に流れ着いてくる魔法の石<硝視体>(グラス・アイ)を使って、<蜘蛛>に対する反撃を開始するのだが……
バラードの諸作は残酷な美しさを湛えた破滅の物語だった。この作品もまた破滅の物語である。残酷、酷薄、倒錯、官能、苦痛に彩られた地獄の美しさを持つ破滅。人々は殺され、過去の痛々しい記憶をよみがえらされ、死の恐怖を味わわされ、バラバラに解体されても生き続ける責め苦を負わされる。それらの痛みが、硝子の透明さのなかで展開されていく。ある美しさと同居する残酷さに充ち満ちている。
しつこくバラードと比較するのもどうかと思うが、永遠の時間と空間の結晶たるクリスタルとなってすべてが凍りついていく「結晶世界」と比べると、この「グラン・ヴァカンス」の永遠のように見えた一瞬が瓦解していくさまは、まるで逆回しにした「結晶世界」にも見えてくる。
その意味で、この作品はSFの殻をかぶった幻想小説かも知れない。シュールなイメージ、硝子の透明感、気怠い夏の暑さ、倒錯的な性。その雰囲気を支える文章も丹念に磨かれていて、淀みなくリズムを刻んでいくのが心地よい。
十年間沈黙していた「伝説の作家」らしい。この作品も十年かけて書かれたとあるが、続巻はすぐに出るのだろうか。あとがきに書いてあった同人誌で刊行された著者の作品集はすでに取り扱っていなかった。いまは精力的にこのシリーズの番外中篇などを書いているようだが、是非これまでの短篇なども刊行して欲しい。
紙の本
うぉ、今日は珍しく人が評価していない本を、褒めてしまうぞ。うーん、悪い点を付けた人の気持ちが、わからないこともないけれど、やっぱり言葉のイメージ力に拍手だね、続き、待ってます
2003/09/12 19:59
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は、いい加減に読み始めたので、最初のうち状況がよく分らなかった。しかも、耳慣れないことばが〈 〉書きの形で頻繁に出てくる。登場人物?の名前がジュールとジュリーで、少年と少女というのだが、似通った響きなので性別が分らなくなる。普通ならば、いい加減にしろといって投げ出してしまう。何を気取っているのだと、不快になる。
しかし、この作品には、それをさせない何かがある。一つ一つのことばは決して難しくはない。ただ、それが〈流れ硝子〉や〈数値海岸〉となって示されると、実像が結ばないだけだ。これだけで読者の半分は逃げ出すかもしれない。ところが、この優しい言葉で紡ぎ出された複雑な世界は、作品の中に出てくる〈蜘蛛〉のように、読み手を絡めとって離さない。
ネットワークのどこかに存在する、仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の区界〉では、人間が途絶えてから1000年もの間、取り残されたAIたちが、同じ夏の一日を繰りかえしていた。だが「永遠に続く夏休み」は突如として終焉の時を迎える。謎のプログラム〈蜘蛛〉の大群が、街の全てを無化し始めた。わずかに生き残ったAIたちの、絶望に満ちた一夜の攻防戦が始まる。
ジュールは〈夏の区界〉に暮らす、あたかも12歳であるかのような天才少年、ジュリーも〈夏の区界〉に暮らす、誰とでも寝たがる16歳の美少女。彼女のペットは、コットン・テイル。生き物のような視体で、〈テイル〉と呼ばれている。それに謎の老人ジュールが、攻防戦で対峙する。鳴き砂の浜、硝子体、〈流れ硝子〉〈冷たいマルティーニ〉〈絹北斎〉〈割れ鏡〉〈紫苑律〉そして〈耳の渦〉。
なんと美しい文字の連なり、イメージの奔流だろう。だから、訳が分らないままに流されていることが、少しも気にならない。何故、ここにいる人たちはAIと呼ばれるのだろう、どうして〈蜘蛛〉に襲われたところに〈穴〉が生まれるのだろう、どんな理由でジュールは簡単に男に身を任せるのだろう、なぜ、ナゼ、何故、心に泡のように浮かび上がる疑問の数々が、心地よく弾けていく。
気になって、カバーに出ている作品と作者の紹介を読んでみた。え、そんな世界を描いていたの、と思った。決して不快ではない、自分の読み方の粗さを窘められたような、思わず舌を出したくなるような心地よい恥ずかしさ。作者のプロフィールを見て、何度も肯いてしまった。10年ぶりの作品なんだ、しかも斬新なSF的アイデアと端正な筆致から「第2の山田正紀」とまで評されていたんだ。
そう、『神狩り』でデビューした時、天才登場と騒がれ、つい最近も『ミステリ・オペラ』で健在振りを見せつけた、あの山田正紀に喩えられる、それだけでも凄い。いや、クールな山田に対し、飛には他を寄せ付けない言葉に対する絶妙の感覚という武器がある。以前、『蜜蜂職人』を絶賛したけれど、詩を読むような、しっとり纏わりつくような文章は魅力的だ。神林長平とは違った形の、言葉に天性のひらめきをもった作家の1992年発表の異色音楽SF「デュオ」以来の復活を素直に喜びたい。「廃園の天使」シリーズ三部作の第一巻。