紙の本
かなりウクライナ被害者史観に偏っている。もう少し中立性を確保出来なかったのだろうか?
2008/04/30 16:52
31人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:温和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
かなりウクライナ被害者史観・嫌露プロパガンダに偏り過ぎ。星1つ。こんな人物が駐ウクライナ大使だったとは、やはり我が国の外交官って駐在先に異様に偏った見解を身に着けるのがスタンダードなのだろうか?
1、ウクライナはロシアとは全く違う。
2、ウクライナはロシアから虐げられ続けてきた。
3、ウクライナはフメリニツキー以来の悲願であったロシアからの独立を、ソ連崩壊時にようやく果たした。
4、キエフ・ルーシはウクライナのものであってロシアのものではない。
通史という体裁はとっているが、これらが本書の眼目だ。確かに一面の真理は含まれているし、ウクライナのナショナリズムを全否定する気は私には無い。だがそれぞれについて突込み所が満載なのも事実だ。
━「ウクライナはロシアとは全く違う。」について━
ウクライナ語とロシア語の距離は、実は日本語の各種方言の差より小さいと言われる。それなのに「ウクライナ語はロシア語と全然違う」「ウクライナとロシアは全然違う民族だ」と謂うのは、ただ単に特定の政治的恣意に偏った認識に過ぎない。無論、全ての民族という概念が一部にそうした恣意性を盛り込むのは当然なのだが、ウクライナという概念についてのみそうした恣意性に対する疑義を一切差し挟まないのは不公平というものだろう。しかも西ウクライナとコサックを一まとめにしてウクライナ人の祖形とする根拠はどこにあるのか。この辺りはもはやウクライナの特定勢力のプロパガンダのコピーでしかない。
━「ウクライナはロシアから虐げられ続けてきた。」「ウクライナはフメリニツキー以来の悲願であったロシアからの独立を漸く果たした。」について━
ウクライナがロシアから虐げられ続けて来たとは、冗談ではない。ピョートル大帝以来のロマノフ朝で重用されていたのはウクライナ人だった。
例を挙げよう。ピョートル大帝時代は高位聖職者の過半数がウクライナ人だった(127人中70人)。宗教規定を策定したF.プロコポーヴィチもウクライナ人だった。エカテリーナ2世の時代から活躍していた作曲家ボルトニャンスキー、そして19世紀のチャイコフスキーもウクライナ人だった。軍事面ではツァーリに対してコサックが貢献した(なぜか本書ではそうした面は一切触れられていない)。
ロマノフ朝という西欧化を志向するロシア帝国において、西欧との接点にあって西欧化された素養を持つウクライナ人は非常に王朝にとって重宝する存在であり、王朝の下にあった官僚・芸術家の中にはウクライナ人が大勢居た。
つまりウクライナ人にとってロマノフ朝はありがたい揺籃(ゆりかご)であったという面もあったのだ。ちなみに同じく征服されたノヴゴロドやプスコフといった旧北方都市国家は同じような恩恵を受けてはいない。
ロシア人の中には「ロマノフ朝に取り入ったウクライナ人によってロシア正教会は西欧化され、本来の伝統を失った」と息巻く人間も居るほどなのだ。
一方、本書ではポーランドからの侵略には異様に甘いのだが、リトアニア・ポーランド王国ではウクライナ人は冷遇され、教会も東方典礼カトリック教会といった形態をとってローマカトリックに編入されていった。果たしてロマノフ・ロシアと、ヤゲヴォ・ポーランドのいずれがウクライナ人にとって文化を損なう存在だったのか?そういう視点は不思議にも一切本書には表れない。
ウクライナ人がどのようなナショナリズムを持とうと構わない。しかしながら日本人がそれに合わせて視点まで一面的にする必要は無い。被害者史観を喧伝して正義の立場を獲得しようとする姿勢にはどの国のものであろうと好感の対象とはならないし、日本人、しかも元外交官がその代弁をただ垂れ流しているとすれば、尚更疑問の対象となる。
━「キエフ・ルーシはウクライナのものであってロシアのものではない。」について━
キエフ・ルーシは北東ルーシ(現在のロシア西部)まで支配権を及ぼしていた。もしキエフ・ルーシの後継者たる地位がウクライナのみに受け継がれていると主張するならば、ウクライナはロシアに対する領土的野心も丸出しにしているとも受け取られかねないのだが、そう解釈されても良いのだろうか。
━外交官としての著者の姿勢に対する疑義━
著者である黒川祐次は元駐ウクライナ大使であり、平成16年のウクライナ大統領選挙における決選投票のやり直しにおいては日本政府から選挙監視団の一人として派遣された人物だが、こうしたウクライナにおける反ロシア・嫌露的・親欧的なプロパガンダを鵜呑みにした人物が、我が国の対ウクライナ外交を担っていたのだと思うと、疑問を感じざるを得ない。
投稿元:
レビューを見る
ロシアの隣国・ウクライナ。
ヨーロッパではロシアに次ぐ面積を誇る国です。
しかし、度重なる支配権の変化により、その歴史は非常に複雑。
本書は、そんなウクライナ史をわかりやすく解説していると思います。
投稿元:
レビューを見る
騎馬民族のスキタイ人からチェルノブイリまで一冊にまとめられた新書。
統治していた国や民族ごとに章をまとめ、さくさく読めるので入門にはうってつけ。
投稿元:
レビューを見る
ウクライナの土地とウクライナの人、両方に触れた歴史。
ざっと解説してくれるので門外漢にはありがたい。
基本的に四面楚歌。狙われまくりの取られまくり。
でも弱い脆い可哀想な印象ではない。
意外と戦闘的。コサック恐え。ポーランド強え。
チェルノブイリ後の穀物事情を知りたかったんだけど独立後のページは少ない。
というかまだ歴史自体が短いから仕方ないんだけど。
それはそれとして興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
肥沃な黒土の穀倉地帯、旧ソ連で最大の重工業地帯と恵まれた環境にあったが故に、逆になかなか独立国家を確立できなかったウクライナ。こうして見てみると、ウクライナという地域で起こった数々の事件のヨーロッパ史における重要性を再認識できると同時に、ウクライナの歴史はロシア・ソ連の歴史そのものであったと確信させられます。著者の方は現役大使の方で、文章も平易で記述のバランスがよく気軽に安心して一気に読めますし、新書の特性を生かした好企画だと思います。ウクライナに関心ある方、旅行を予定してる方、ちょっとでもロシアに興味のある方にも、一読をお奨めしたい一冊です。
投稿元:
レビューを見る
わかりやすく読みやすい。これを読んでおけば今起こっているクリミアの問題。ウクライナについて、より理解が深まること間違いなし
投稿元:
レビューを見る
2002年の出版なので、ここ10年の動きはありませんが、それに至る過程を説いています。ウクライナ人寄りのスタンスですが、相次ぐ変動の歴史、迫害を読むと、とても根が深いことがわかります。周辺国の都合に左右されている地勢的な問題が歴史的にクローズアップされています。
この本では確かに、ロシア・ソヴィエトは他者であり、悪役です。だからといって、単純に民族ナショナリズムが正しいとは言い切りにくく感じます。人工的に変えられた国境線、移住させられた人の意思。移住させられた人の中には、大戦で抑留された日本人もいたのです。
投稿元:
レビューを見る
ロシアから、食料を略奪され、飢え死にした人も多かったようだ。シベリヤ抑留の日本人も遠く、ウクライナで労働した人もいたようだ。
投稿元:
レビューを見る
ウクライナの歴史を紀元前から現代に至るまで
概説する一冊。2002年の本ということもあり、
昨今のクリミアやドネツク州を巡る問題には
全く触れていないが、フルシチョフによるクリミア移管の経
緯を知ればその萌芽は既にあったと感じさせられる。
20世紀においては政治的リーダーの
不足が悔やまれたが、今後の歴史において
どのような人物が現れるか、関心が湧く内容であった。
投稿元:
レビューを見る
ウクライナをロシアの一地方としか認識していなかった私にとっては目の覚めるような一冊であった。
ロシアの歴史は10〜12世紀当時ヨーロッパの大国として君臨していたキエフ・ルーシー国から始まったといっていい。
このキエフ・ルーシー国こそが、現在のウクライナにあたる。
ルーシーはその後モンゴルの侵攻もあって衰退し、文化的にはモスクワ公国に引き継がれる形でロシアの語源になった。
地域の歴史としては、紀元前5世紀には遊牧民であったスキタイ人の支配する土地であり、ペルシャのダリウス大王の軍の侵攻に対しては焦土作戦にて撃退したという記述もある。
この焦土作戦は二千年以上後経ったナポレオンのロシア遠征やナチスドイツのソ連侵攻に受け継がれているという点でも興味深い。
十二世紀初頭に編纂された「原初年代記」によると、7世紀頃にこの地域にスラブ人が入植し平和裏に拡大していったようだ。
当時のウクライナには、キエフ・ルーシー国とは別に、ハザール人が建国したハザール国があった。
ハザール人はトルコ系の遊牧民族で、歴史学的には6世紀半ばにヨーロッパ東部に出現。一時期中央アジアに覇を唱えた西突厥の宗主権の下にあったが、7世紀半ばに突厥が衰えると独立した。
9世紀半ばまでの最盛期にはビザンツ帝国・イスラム帝国と肩を並べる大国になったという。
また、9世紀のはじめ国の宗教としてユダヤ教を採用したというのも特筆すべきことだ。紀元後の世界の歴史においてユダヤ教を国教とした国は唯一はザールしかない。
また新興のイスラム帝国と1世紀にわたり戦い、イスラムが東ヨーロッパに侵入するのを食い止めたというのも、その後の歴史を考える上で非常に興味深い。
キエフ・ルーシー国に話を戻すと、それまで宗教的にはアニミズム的多神教が支配していたが、当時の女王であったオリハが957年にコンスタンティノープルに自ら赴いて洗礼を受けた。
転機は1240年のモンゴルによるキエフ占領だ。
キプチャク汗国に編入され、長いモンゴル時代が続く。
ロシアの暗黒時代として語られるこの時代であるが、モンゴルは平和と秩序をこの土地にもたらした面も評価されなければならない。
十三世紀半ばにはローマ法王の使節やフランス王の使節が安全に旅行できたのも如何に安定した統治であったかを物語っている例であろう。
その後、キプチャク汗国の衰退により、リトアニア・ポーランドなどに組み込まれる歴史を歩む。
十五世紀、ウクライナやロシア南部に住み着いた者たちが出自を問わない自治的な武装集団をつくりあげた「コサック」である。
頑健で、暑さ寒さ、飢え、渇きに容易に耐え、戦いには疲れ知らずの彼らをポーランド王やロシア皇帝は軍隊に取り込んで行く。
世界の諸民族の中で最も吞兵衛な彼らであるが、いざ戦いになると驚くほどしらふになるらしい。
風習も独特で、今も伝わるコサックの結婚式というのが非常にユニークだ。
新婦を迎える夜、新郎側の女達は新婦を真っ裸にして、耳の穴や髪の毛、指と指の間等を徹底的に調べる。
新しい純白の寝間着を��せ、新郎を迎えさせる。
寝室にカーテンを引き、その外側では結婚式に参列した大部分の者が集まって笛に合わせて踊り、杯を持って新婦の歓びの声を確認するのだ。
無事コトが済んだ後、新郎新婦は自分たちのシーツをカーテンの外にいる参列者に渡し、そこに処女のしるしを見つけると家中が極度の歓びと満足の叫びに満たされる。
結婚式の翌日には新婦がまとった着物の袖を棒に通し、あたかも戦いの名誉のしるしを示す戦旗のごとく翻して厳かに通りを練り歩く。
こうして村中が新婦の処女性と新郎の男性能力の証人となるのだ。
が、反対にもし名誉のしるしが出てこなかった場合、皆は杯を床に投げつけ、女達は歌うのをやめる。
祝いの席は台無しになり、新婦の両親は名誉を傷つけられる。
新婦の母親に対しては数々の野卑な歌が歌われ、壊れた杯で酒を飲ませ、娘の名誉を守らなかったと非難される。
新婦の両親は家に引きこもり当分出てこない。
新郎はそれでも妻として認めるか否かの選択肢はあるものの、もし妻とするなら、新郎はあらゆる中傷を覚悟しなければならない。
さらに時代は下って20世紀。ロシア革命前夜のウクライナは東欧ユダヤ世界の中心となる。
ロシア革命後のソ連、そしてソ連解体後のウクライナ独立。
そして今、ウクライナ問題が国際社会の注目を集めている。
ロシアの西への出口であり、ヨーロッパの最東端であるウクライナは地勢的にも大国の思惑が衝突する場所である宿命を背負っているようだ。
ヨーロッパ最大の穀倉地帯であり、豊富な資源と工業力に支えられたこの国が次にどんな時代を経験していくのか、興味は尽きない。
ロシアを知るにはその周辺国の歴史を紐解いていくアプローチもいいのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
ドイツ、ポーランド、ウクライナと旅行したこともあり、ポーランドの歴史の本の次に手に取った本。ポーランドの本が良かっただけなのかもしれないが、それと比べると、底が浅いなという印象の本でした。個人的に歴史に関する本は客観的に書かれる方が読みやすいものと考えているため、主観的な視点がしばしば入っていたのも、評価を落とした理由の1つ。ウクライナという接点の少ない国なので仕方はないとは思うが、名前の羅列や、ページ数を稼ぐための説明に思えてしまうような記載もいくつか見られたのでたびたびページを飛ばしました。
それでもウクライナの歴史というテーマにチャレンジして、一冊に仕上げた数少ない本の1つなのかなと思います。
投稿元:
レビューを見る
ナチスはウクライナ人に対しても容赦しなかったが、ユダヤ人に対する措置は徹底していた。ユダヤ人狩りは組織的に行われ、強制収容所に送られたうえ、大多数が殺された。強制収容所行きを待たずに殺される例も多かった。その最も顕著な例がバービ・ヤールの事件である。1941年9月、ユダヤ人34,000人がキエフ郊外の谷間バービ・ヤールに集められ、射殺されたうえ、穴に埋められた。同事件は戦後フルシチョフの時代に問題となり、特にイルクーツク生まれでウクライナ人4世の詩人エフゲニー・イェフトシェンコの詩「バービ・ヤール」(1961年)で知られるようになった。同地は今でもユダヤ人受難の地として知られている。こうしてナチスはウクライナで85万~90万人のユダヤ人を殺したと推定されるている 。
投稿元:
レビューを見る
[挟まれた巨大]相次ぐ革命やロシアとの関係の悪化に伴い、日本においてもニュースで目にすることが多くなったウクライナ。多くの日本人にとってはあまり馴染みのないこの「ヨーロッパ最後の大国」と,その土地の歩みを記した作品です。著者は、外務省入省後に駐ウクライナ大使などを歴任された黒川祐次。
時系列的に大切な事柄がまとめられており、政治から文化まで幅広い分野にわたる記述がなされているため、ウクライナについて興味のある方がまず手に取るにはピッタリの一冊。ロシアやポーランド等の国々の間で呻吟し続けたとも言える歴史の流れがよくわかるかと思います。また、ウクライナ視点からのみウクライナの視点を見るのではなく、切っても切れない関係にあるロシアからの視点も紹介してくれている点が魅力的でした。
〜ウクライナがどうなるかによって東西のバランス・オブ・パワーが変わるのである。〜
地理の授業では農耕大国と習った覚えが☆5つ
投稿元:
レビューを見る
2018/7/4
広大なウクライナの平原にどんな人たちが往来してきたのか知りたくて読んだ。東西の要衝だけあって面白い歴史があった。バイキングに支配されたり、モンゴルに支配されたり。ダイナミックだな。ロシアの起源はウクライナにあり、コサックの起源もウクライナ。未来のウクライナも面白そうだ。
投稿元:
レビューを見る
地域研究。
作者はロシア・ヨーロッパ間の政局バランスにウクライナが要になってると考えていて、だいぶ地理的政治的に買ってるように思えた。(クリミアの時の発行だからとも言える)
スターリン時代のホロコーストに匹敵する飢饉の被害の大きさ、ポーランドとの禍根(正直ここまでとは知らなかった)、日露戦争後の日本とのつながりはサスペンス味があって面白い。あとはやっぱりウクライナの語源が最高。
ロシア語化されたウクライナ。言語を失うことがこういう歴史を辿るって教えてくれた感じがする。
あとはホロヴィッツを産んでくれたウクライナの大地に感謝。