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マックス・ヴェーバーの犯罪 『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊 みんなのレビュー
専門書 第12回山本七平賞 受賞作品
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高い評価の役に立ったレビュー
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2002/12/16 09:12
ウェルメイドな推理小説の味わい(難しすぎるけど)
投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あんまり売れそうもないけど、学問の凄まじさを感じさせる一冊。マックス・ヴェーバーという20世紀を代表する社会学者の主著を徹底的に解剖し、その問題点を洗い出し、その原因を推理する。そのプロセスは、まさに上質な推理小説の味わい。
出てくる単語は英語、ドイツ語、そして多分ラテン語にギリシャ語にヘブライ語……、と壮絶だし、たとえば山ほどある各国語訳の新約聖書を問答無用で比較対照する、という知的体力には脱帽。難しくてついてゆけないところもあるけど。
唯一残念なのは著者の文章がところどころお下品になること。分析対象のヴェーバーも文章がお下品だったことの反映なのかもしれないけど、でも、ちょっとね。
低い評価の役に立ったレビュー
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2002/12/03 18:35
修士時代の発見(自著を語る)
投稿者:羽入辰郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本のアイデアが浮かんだのは、もう十二・三年前のことになる。どうしても『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、『倫理』論文)の "Beruf"-(職業)概念に関する膨大な注の部分をやらなくては、と感じていた。あの部分を分かりやすく解説してくれているヴェーバー学者が世界中に誰一人としていなかったからである。ところが、真面目にノートを取って読んでいると、女房から「そんなことしても無駄よ。ヴェーバー、分かるような書き方していないから。それよりヴェーバーが使ったと言ってる資料を集めるのよ。ヴェーバー、ここで嘘ついてるわよ」と言われた。念のために言っておけば、うちの女房はマックス・ヴェーバーの研究者でもなければ、何でもない。ただの一介の主婦である。そんな女房になぜヴェーバーが分かるのか、私にも分からない。
ここでヴェーバー嘘ついてる、とまで限定されてしまえば、あとはそれを調べることなど研究者であれば簡単なことである。そしたらゴロゴロと出てきたのである。それはヴェーバーの単なる勘違いやミスに属する類のものではなかった。ヴェーバーは完全に意図的に資料のでっちあげをしていたのである。そこには学問の神様と言うべき姿はどこにも見えなかった。見えるのは、彼もまた世俗にまみれたただの一人の男に過ぎなかった、という事実である。その事実に我々は『倫理』論文出版以来、九八年のあいだ、気付くことができなかったのである。聖人であろうとなかろうと、学問である限り、検証作業は必要であるのに、人はいったん偉人であると思い込むと真実を探ろうとする意欲すら失ってしまう。ヴェーバーの犯罪が発覚しなかったのは、ヴェーバーのトリックの見事さもさることながら、偉い学者の言うことなのだから、という頭からの思い込みと、それを唯一人で、偉くも名もない私が貧しい頭で考える、という恐怖を乗り越えられないと言うことにある。ヴェーバー崇拝には一種ファシズムに似た心理が働いていたのでは、と筆者は疑っている。
本書の第一章、第二章はそれぞれ単独論文としてドイツ(一九九三年)とフランス(一九九四年)の代表的な社会学雑誌で発表されている。尚、ヨーロッパ側からの反駁は今に至るまでない。
羽入辰郎(青森県立保健大学教授)
この文章はミネルヴァ書房のご厚意により「ミネルヴァ通信 2002.12」より転載したものです。
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紙の本
ウェルメイドな推理小説の味わい(難しすぎるけど)
2002/12/16 09:12
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投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あんまり売れそうもないけど、学問の凄まじさを感じさせる一冊。マックス・ヴェーバーという20世紀を代表する社会学者の主著を徹底的に解剖し、その問題点を洗い出し、その原因を推理する。そのプロセスは、まさに上質な推理小説の味わい。
出てくる単語は英語、ドイツ語、そして多分ラテン語にギリシャ語にヘブライ語……、と壮絶だし、たとえば山ほどある各国語訳の新約聖書を問答無用で比較対照する、という知的体力には脱帽。難しくてついてゆけないところもあるけど。
唯一残念なのは著者の文章がところどころお下品になること。分析対象のヴェーバーも文章がお下品だったことの反映なのかもしれないけど、でも、ちょっとね。
紙の本
修士時代の発見(自著を語る)
2002/12/03 18:35
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:羽入辰郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本のアイデアが浮かんだのは、もう十二・三年前のことになる。どうしても『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、『倫理』論文)の "Beruf"-(職業)概念に関する膨大な注の部分をやらなくては、と感じていた。あの部分を分かりやすく解説してくれているヴェーバー学者が世界中に誰一人としていなかったからである。ところが、真面目にノートを取って読んでいると、女房から「そんなことしても無駄よ。ヴェーバー、分かるような書き方していないから。それよりヴェーバーが使ったと言ってる資料を集めるのよ。ヴェーバー、ここで嘘ついてるわよ」と言われた。念のために言っておけば、うちの女房はマックス・ヴェーバーの研究者でもなければ、何でもない。ただの一介の主婦である。そんな女房になぜヴェーバーが分かるのか、私にも分からない。
ここでヴェーバー嘘ついてる、とまで限定されてしまえば、あとはそれを調べることなど研究者であれば簡単なことである。そしたらゴロゴロと出てきたのである。それはヴェーバーの単なる勘違いやミスに属する類のものではなかった。ヴェーバーは完全に意図的に資料のでっちあげをしていたのである。そこには学問の神様と言うべき姿はどこにも見えなかった。見えるのは、彼もまた世俗にまみれたただの一人の男に過ぎなかった、という事実である。その事実に我々は『倫理』論文出版以来、九八年のあいだ、気付くことができなかったのである。聖人であろうとなかろうと、学問である限り、検証作業は必要であるのに、人はいったん偉人であると思い込むと真実を探ろうとする意欲すら失ってしまう。ヴェーバーの犯罪が発覚しなかったのは、ヴェーバーのトリックの見事さもさることながら、偉い学者の言うことなのだから、という頭からの思い込みと、それを唯一人で、偉くも名もない私が貧しい頭で考える、という恐怖を乗り越えられないと言うことにある。ヴェーバー崇拝には一種ファシズムに似た心理が働いていたのでは、と筆者は疑っている。
本書の第一章、第二章はそれぞれ単独論文としてドイツ(一九九三年)とフランス(一九九四年)の代表的な社会学雑誌で発表されている。尚、ヨーロッパ側からの反駁は今に至るまでない。
羽入辰郎(青森県立保健大学教授)
この文章はミネルヴァ書房のご厚意により「ミネルヴァ通信 2002.12」より転載したものです。
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