詩人とボクサー アルチュール・クラヴァン伝 みんなのレビュー

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投稿者：脇博道　-　この投稿者のレビュー一覧を見る

元ボクサー、現在某。あるいは、元某、現在詩人。ではない。本書の
主人公アルチュール・クラヴァンは、詩を書きながら、リングで闘っ
ていた本物の詩人ボクサーなのである。蝶のように書き蜂のように闘
うなどというような華麗なる生涯では決してなかったとしても、当時
の芸術家、作家、とりわけシュールレアリストたちを魅了してやまな
かったこの希代の人物の、本書は無類に面白い評伝である。

１８８７年スイスのローザンヌ生まれ。本名は、フェビアン・アヴェ
ナリウス・ロイド。英国籍。生立ちについては多少の波風はあるもの
の、とてつもなく劇的という程でもないし、詳細は本書の記述にあた
て頂きたいのであるが、ここで詩人を志す重要なファクターが存在す
る。それは、かのオスカー・ワイルドの甥であったということである。
詩人伝説に散見される不思議な現象を、クラヴァンもまた語っている。
それは、ワイルド無き後のある日、この偉大なる詩人の（ありえない）
訪問を受けて、語りあかしたというものである。真偽の程は勿論定か
ではない。が、彼が語るこの体験が、もともと志していた詩人への欲
動を一気に加速させたことであったというし、クラヴァン自身もこの
容姿端麗な詩人に瓜ふたつの容貌であったということは、時空を超え
て共鳴しあった何かがあるいは存在したのかもしれない。改名時の、
アルチュールというファーストネームは、ランボーのそれ、あるいは
ワイルドの作品アーサー・サヴィル卿の犯罪におけるアーサーのフラ
ンス語読み（アルチュール）などの説があるそうだが、いずれにして
も詩の世界における王者を目指すための改名ぶりである。

さて、パリに出たクラヴァンは、この都市において、多くの芸術家と
親交を結ぶ訳ではあるが、同時にその破天荒な性格が成し得る言動と
行動ゆえに、リング上でもリング外でも、闘いの日々を送ることにな
るのであるが、そのピカレスクな魅力ゆえに支持者も多く勝ち得たと
いうことは、本書の記述の革新部分であるし、ブルトンが彼を第１級
の詩人として認めていたということは、その事をよく物語っているエ
ピソードである。

そして、ボクサーとしてのクラヴァン。当時の世界チャンピオン、ジ
ャック・ジョンソンとの一戦のポスターは、両者が組み合っている姿
がアール・デコ風に描かれた、クラヴァンが本物のボクサーでもあっ
たことが感じられる美しいポスターであるが、当時のボクシング創世
記にあっては、この野生的なスポーツに、ある種の美学を見い出し、
芸術家たちの心を惹き付けたという事実はとても興味深く、それゆえ
に両者の美学を同時に貫かんと欲したクラヴァンが人気を勝ち得たこ
ともひとつの時代のヒーローとしての魅力を体現していたと思われる。

余りにも、時代を高速で駆け抜けたクラヴァンは、その短い生涯のう
ちに幾多のエピソードを残しながらも、最後は、ボートに乗り、湖上
に消える、という謎の結末を迎える。

もうひとりのダダイスト、もうひとりのシュールレアリスト、そして
詩人＆ボクサーであったこの波乱に満ちた生涯を描いた本書を、ぜひ
堪能して頂きたいと思う次第である。