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紙の本
最後の一編で、今まで背景にあった時代が、見事に浮かび上がる。これは泡坂マジックと呼ぶべきかもしれない。
2004/02/23 19:57
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「町奉行所の同心 富士宇衛門、人は夢裡庵と呼ぶ。彼が、人々の協力を得ながら解き明かす謎の数々。幕末の江戸に生きる人々の人情」捕物帖。謎が繋がり最後で更に大きな謎が、といった連作ではないけれど、最後の一編で、今まで背景にあった時代が、見事に浮かび上がる。これはマジックかもしれない。
風車売りの女の下に別れた夫が現れた。その香取屋の主人が、殺された。男の遺体には不思議な痕が「風車」。西広小路の人気の女曲馬師と小屋に現れた賊を捕らえるのに力を貸した大店の娘「飛奴」。老婆の家の金魚が死んだ。同じものを食べた男と、猫も死んだ。同時に起きた4つの事件「金魚狂言」。
三浦屋高尾と彼女に金を注ぎ込んだ仙台様、花火の夜の船で発見された女の死体が消えた「仙台花押」。芝飯倉の神明宮で夢裡庵の心を惹いた賽ころ、名人が作った入魂の作と同心の懐を狙った女すり「一天地六」。昨年来続く放火と女の髪きり事件、犯人のおびき出す囮にお千代が使われた「向い天狗」。上野に籠もった徳川慶喜、官軍を迎える彰義隊に混じって夢裡庵の姿が浮かぶ「夢裡庵の逃走」の7編。
面白いことに、主人公の町奉行所の同心、富士宇衛門こと夢裡庵は、どちらかというとブスッとした愛嬌のない男で、泡坂の造型した人物の中では地味なほうである。しかも、作品の中でも活躍するという印象が薄い。むしろ、冒頭にでてくる、堤燈屋の八歳のこましゃくれた娘おわかの雑学披露や、青馬の親分俵助の娘千代が見せる堅実さ、あるいは藪医者の塗師小路正塔のいい加減な見立て、ろくでもない川柳を作っている宗匠の一文斎の甘さ、賭博道具に目のない同心仲間の浜田彦一郎の人柄といった各編の登場人物が見せる様子が、自然でいいのである。
だから、推理小説というよりは江戸時代の人を描く小説といった趣である。藤沢周平や宮部みゆきが描く人情小説ほどにはウェットではなく、半村良ほど下町の風景を描こうという強い意志は感じられない。ただ、それらが絶妙のバランスを見せるとでも言ったらいいのだろうか。
そのせいか、時代背景を気にせず読んでいたら、最後に突然幕末の硝煙の臭いが話にたちこめるので驚いた。そこで話が予想外の展開をする。話の一つ一つは小味な、それでいてしっかりした推理ものだけれど、泡坂が描きたかったのはこのラストの選択かもしれない。名人芸健在だなあと思う。
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