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蒲団・一兵卒 改版 みんなのレビュー

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みんなのレビュー57件

みんなの評価3.7

評価内訳

54 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

主観と客観の狭間

2020/06/09 08:40

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まさがき - この投稿者のレビュー一覧を見る

人生は「主観的に見ると悲劇、客観的に見ると喜劇」というチャップリンの言葉がありますが、まさしくそんな哀愁を体現した作品だと思います。どこにも健全さはなく、全員がひたすらに絶望的な方向へと転がっていきます。とても深刻な話ですが、どうしようもなく情けなく、滑稽です。それでもラストには、えもいわれぬ哀しさがあります。
一兵卒もまた、主観と客観の拮抗を描いた作品ではないでしょうか。自分にとってかけがえのない「自分」であるという事実と、巨大な時間の中では「自分」など取るに足らないという事実の間の、隔たりの哀しさです。

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紙の本

「蒲団」の主人公は「私」ではない

2003/07/03 20:39

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

「蒲団」は自然主義小説の始まりとして文学史的には記憶されている。また、この本のカバーには、「主人公の内面を赤裸々に暴き立て、作者自身の懺悔録として文壇に大きな衝撃を与えた」とある。また、ここから私小説なるものが生まれ、作者の身辺雑事を題材とした小説ジャンルが生まれたということも聞く。

しかし、ここで「文学史」的な常識を受け入れる前にひとつこの作品を読んでみてはどうだろう。

とりあえず、ほとんど前提知識を持たないまま、一読してみて私が抱いたのは、この主人公は本音と建前の間で、女学生に対する性欲をもてあましている、滑稽な人物だということである。文学者らしく、新しい文化、新しい女を口では奨励し、女学生に自立した行動を促しているのだが、いざ女性が自分の意思で男と付き合うことを選択すると、それに怒って彼女の故郷へ報告し、結果的に女学生を実家に帰してしまうのである。今読めば、主人公はバカな男以外の何者でもない。私小説であるとか、自然主義であるとか以前に、性的な告白など珍しいものでもなくなった今、多くの人に読ませてみればそのような感想が返ってくるのではないだろうか。

現に、さまざまな場面で主人公の滑稽さは意識されたものとして描かれているように思う。
女学生芳子と男とがもしや寝たのかも知れないと疑い、他人のものになったのではないか(他人のもの/自分のものという表現が頻出するところが、この作品の時代性であり、滑稽でもあるところか)と悩み、泥酔する場面がある。その後には蒲団をひっかぶったまま厠に入り、妻に蒲団を剥がされた後も厠に横になって眠ってしまう(本書では28頁)ところはその代表的な部分である。

こういう男は今でも見つかるだろう。言ってることとやってることが真っ向から違っているのである。その煩悶に引き裂かれて主人公は泥酔する。蒲団が面白いのはそういうところではないか、と私は思う。

つまり、この作品の主人公竹中時雄と作者田山花袋には距離がある。作者と作中人物という距離が確実に存在している。

しかし、冒頭の引用でも示したように、これは作者の「赤裸々な懺悔録」として扱われている。
それはおそらく解説のなかでも引用されている、島村抱月の「蒲団」評からの伝統的な「蒲団」評価なのだろう。
原因はもちろんこれだけではないだろうが、その後の「蒲団」評価は一義的にこの捉え方で決定されてしまったのではないだろうか。

読了後、ふたつの「蒲団」論を読んだ。
ひとつは、講談社現代新書(現在品切れ?)の後藤明生「小説」で、とても面白いのだが、上記の私の感想と重なる部分もあるので、省略する。
もうひとつは、大塚英志「キャラクター小説の作り方」(講談社現代新書)である。
仮構を現実と混同し、「私」なるものを無批判に受け入れる「純文学」に対し、元々仮構であるキャラクターとしての「私」を描く「キャラクター小説」は、仮構から現実へと迫ることが出来るのではないか、ということのようだ。そして、「私」とは「文学」が産み落とした「キャラクター」であり、共に虚構である点では元々同じであったと言うのである。とても面白い「蒲団」論だと思った。いくぶん図式的ではあるが(「私」の虚構性を意識しつつ「前衛私小説」を書く笙野頼子の存在)、日本文学史をサブカルチャーから読み直す試みであり、文学も漫画もある意味同列になっている現在の状況において小説を書くことの意味を考えさせられる。
二人とも、数十年ぶりに読み返して、「蒲団」という作品の位置を改めてやり直している。私も、ある機会で読んだのだが、いろいろな意味でとても面白かった。「蒲団」を読み直す時期が来ているかも知れない。

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2004/10/04 02:13

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2009/02/28 00:00

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