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暴力の学校倒錯の街 福岡・近畿大附属女子高校殺人事件 みんなのレビュー
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紙の本
怒り
2002/11/16 19:11
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投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、副題にあるように、福岡の高校で起きた教師の体罰によって一人の女子高生が死亡した事件を追跡したルポルタージュである。
久々に夢中になって一晩で読み通した。これを読むと、率直に体罰をなんとも思ってもいない暴力の学校と、その学校を守るように包んでいる倒錯した街に怒りを覚えると思う。解説の吉岡忍は藤井誠二は闘っている、と書いているけど、それも怒りながら闘っているのだろう。文中から怒りが滲み出ているのが、この本の注目すべき点だろう。
それにしても、ひどい話だ。この街はおかしい、と言いたいぐらいなのだけど、なによりおかしいのは犯人を含め、学校も街の人も自らを省みて反省するということが一切ないことだ。なぜ体罰が無くならないのかも、それと関係していると思う。生徒が反抗するのは、もしかすると自分たちの《教育》が間違っているのではないか、と常に反省することが重要なのではないか。ここには教師は常に正しいという奇妙な自信だけがある。
なぜ、教師は反省できないのか、そんなことも知りたいところだけれども、見逃せない暴力を一つ挙げたい。それは、事件の一年後、追悼集会での生徒の「代表追悼文」について。これがひどいことに、【国語】の先生による改ざんと言ってよいだろうことが行われている。学校の体面を保つだけの、言葉の暴力と言ってよい。
《この追悼文は国語の教員が、知美が在籍していたクラスから集めた知美への追悼文を集約し、手を入れたものである。はたして、ここに真の生徒らの心がこもっているのだろうか。この「代表追悼文」は知美を奪われた子どもたちの言葉を集約したものなのだろうか。》
と藤井誠二は記している。そして、生徒たちの本当の追悼文が紹介されているのだが、読み比べると「代表追悼文」では生徒たちの声が明らかに消去されているのが理解できる。声の抑圧という暴力。いかに、学校側が暴力に対して何の反省もしていないことの現れではないだろうか。それを文学を教える「国語」の先生が行っていることにひどい衝撃を受ける。そんな先生に文学を教える資格はない。とにかく《教育》に携わる人、携わりたい人はこの本を読んで、本書に対する反論でもなんでも良いが考えてもらいたいものだ。
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