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神の姿の変容という新しい切り口から、自然観・宇宙観の現在までの変遷をたどる、刺激的でわかりやすい物理学入門。
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物理学入門書としてはすごくわかり易いと思う。ただし、それはある程度高校で物理をやってきた場合であり、やっぱり文系の人には辛いかも・・。でも面白い。
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物理学ってもうめちゃくちゃ(w
社会学や、哲学、仏教なんかにもその研究範囲を広げている。
そういう意味では最も進んだ学問分野なのかもしれない。
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科学と神という一見相反する存在の関係をアリストテレスの頃から歴史的な観点から追っている本。科学の中の神、科学者にっての神がどのように変遷しているかという視点は斬新なものだと評価できるのですが、もう少し専門的な説明を噛み砕いたものにしてわかりやすくすれば読みやすくなるのにな。
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タイトルだけで買ってしまったよ(笑)古代から現代までの、神学と科学の融合から対立の流れを追いつつの物理入門…なんだけど、初心者向けにしては説明が学者視点でいきなり論文口調になったりするから、全く知識のない人間がいきなり読んでも難しいかも(笑)まぁワタシの読解能力がないだけっつったら言葉もないですが;;でも文章から、作者も楽しく書いてるのか分かって、読んでて「うん、科学って何だか楽しいそうだねぇ」と思えてくる…人もいるかと(笑)
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タイトルに惹かれて購入したが、かなりおもしろい!!歴史上の物理学者の神への挑戦や、神と悪魔のパラドックス、神のサイコロ遊びなど、とにかくおもしろい。神の存在をなんとかして方程式の中に入れようとした物理学者の苦労は少し滑稽でもあるし、神は賭博士であるといったユーモアあふれる著者の文章は、物理学が高校時代に嫌いだった私でえ、楽しめたので、かなりお勧めの一冊。
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こういう切り口で読ませてくれると、ただ物理学の変遷を並べるより、歴史の繋がりみたいなものが見えるようで面白かった。著者が一歩引いた位置から眺めて書いている。あとがきにもあったが、ほんとにこの人は神を信じてないのだなあという感じ。自分は問題なく楽しんだが、そこが気になる人もいそう。
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これこそまさに、神本。元々科学に興味があった自分は、この本によってさらに興味が湧きました。中世のヨーロッパでは、宗教と科学が渾然一体で。その中で科学者達がどのように常識を打破して世間を驚かせていたのか。科学、特に物理学の歴史が把握出来て非常に面白い。高校生の時に読んで理解出来たので、理系文系問わず高校生あたりで読んでおくと人生が楽しくなる一冊だと思う。
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神、悪魔、わからなさの順に物理学の体系も大きく変遷を遂げてきた事をわかりやすく解説。時々筆が走りすぎるが、全体的に読みやすくまとまっている。
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タイトル買いみたいな感じで、どっかで買ったんでしょう。本棚にならんでたから読んでみた。おもしろかったし、やっぱ物理学はすげーんじゃないかと、ちょっと勉強してみようかなって思った。思っただけだけど。
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物理、特に宇宙が中心話題。私にはわからない部分も多かった。
しかし、神は歴史的に変遷しているらしい、ということがわかった。
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(2010/01/01再購入)(2011/07/04読了)
学生の頃、理科全般が苦手だった。味気ない理論やら元素記号やら、何が面白いのかさっぱり分からなかった。正直、成績も芳しくなかった。
そんな過去をもつ私だが、この本は楽しんで読めた。本書は、「神」を軸に物理学の歴史を再編成しているが、学生の頃はあんなに味気なかった物理が人間臭くそして非常に魅力的に感じられた。
「神」の真理を理解しようと発展してきた科学だったが、「悪魔」によって矛盾を突きつけられ、やがては「神の不在」が叫ばれるようにさえなってしまう。そして近代に至っては、唯一絶対であったはずの神は物理学において「賭博師」に姿を変え、ある時は「八百万の神」になったりもする。
アリストテレスから量子論まで、物理学の歴史が簡潔にまとまっており、私のように科学に苦手意識を抱いている人間でも読めた。
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(未完)
(書誌情報)
タイトル 物理学と神
責任表示 池内了著
出版地 東京
出版者 集英社
出版年 2002.12
形態 253p ; 18cm
シリーズ名 集英社新書
ISBN 4-08-720174-0
入手条件・定価 740円
全国書誌番号 20361382
個人著者標目 池内, 了 (1944-)‖イケウチ,サトル
普通件名 物理学 -- 歴史‖ブツリガク -- レキシ
NDLC MC31
NDC(9) 420.2
本文の言語コード jpn: 日本語
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近代科学史、特に宇宙論と物理学、を概観。
何か良く解らなかった点幾つか。
・この世の出来事をこの世を超越したものに頼らずに説明出来る、という事と、しかしそれによっては別に超越的なものの非存在を証明した事にはならないという事と、近代科学がその展開の帰結として神の否定に到るという事との関係が、依然今一微妙な気がする。この本では科学の発展と神の否定とが因果関係をなしている、という風に語られているけどそれは、神が居ると思うのは人が自らには説明出来ない物事の説明を神に委ねた事に由来する、という事を前提としているような。この前提どうなの? 神を信じる事が感情或いは欲望の補償の機能を果たすという事を、補償して欲しいから神を信じるという事に言い換えるのは、何かあんまり腑に落ちない。
・神の姿の近代科学史上の変容はこの本の重要な切り口だって自己言及されているのはいるんだけど、何で変容したかは別に問題にしなくて良いの? 要は神は常に人間が理解出来なさに躓いた時に其処に現れてるんじゃないのていう気がする、理解出来ても神の御蔭で理解出来なくても神の所為ていうこのアンビヴァレント。
・「はじめに」で触れられている「何故?」の問いに答えようとする無神論者的自然科学者の話は回収されたのかな、人間原理云々言うのが回収部分? 人間を中心に置くのは我等が人間だからで認識する者は自らを原点としてしか認識しえないていう事を此処では前提しているという事で良いのだろうか。人間原理をとるのは昆虫原理をとるよりその他の条件とかからして良い・有益からだって言っても、それこそただの人間目線で昆虫目線と人間目線を公平に比較し得る目線って誰目線よっていう事になるやん。
要は物理学の勉強には大いになったけど神の問題の勉強にはまあそんなにっていう。
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[ 内容 ]
「神はサイコロ遊びをしない」と、かつてアインシュタインは述べた。
それに対し、量子論の創始者ハイゼンベルグは、サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよいと反論した。
もともと近代科学は、自然を研究することを、神の意図を理解し、神の存在証明をするための作業と考えてきたが、時代を重ねるにつれ、皮肉にも神の不在を導き出すことになっていく。
神の御技と思われていた現象が、物質の運動で説明可能となったのだ。
しかし、決定論でありながら結果が予測できないカオスなど、その後も神は姿を変えて復活と消滅を繰り返し、物理学は発展し続けている。
神の姿の変容という新しい切り口から、自然観・宇宙像の現在までの変遷をたどる、刺激的でわかりやすい物理学入門。
[ 目次 ]
第1章 神の名による神の追放
第2章 神への挑戦―悪魔の反抗
第3章 神と悪魔の間―パラドックス
第4章 神のサイコロ遊び
第5章 神は賭博師
第6章 神は退場を!―人間原理の宇宙論
第7章 神は細部に宿りたもう
第8章 神は老獪にして悪意を持たず
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]