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切り口としてスキャンダラスとも言える疑似科学、つまり
占星術や代替医療、超心理学や創造科学などを用いては
いるが、中身はきちんとした、そしてとてもわかりやすい
科学哲学の入門書。疑似科学と科学の間にいかに線を引くか
ということをテーマに科学哲学の様々な考え方を解説して
くれる。前に読んだ「科学哲学の冒険」よりは少し踏み
込んだ内容になっているかな。
著者はベイズ主義を推しているようで、今まで何冊か科学
哲学の本を読んできた身としてはそこが少々気にはなった。
人それぞれ考え方や立場があるということなのだろう。
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具体的な事例(創造科学、占星術、超心理学、代替医療)に照らして科学哲学で何が問題になるのかを示してくれる良書だと思う
ベイズ主義が科学哲学の問題にこれほど鮮やかに適用できるとは知らなくて、5章を読んで胸のすく思い!
研究している身としても、改めて方法論について思いをめぐらすきっかけになって良かった。天文学を念頭に読みすすめていたので実在論/非実在論の項は特に思考をめぐらすことができた。
個別のエピソードとしては、機械論的世界観が優勢の時代にニュートンが物体同士が触れていないのに重力が伝わるなんてことを言い出して「神秘主義への退行だ」などとライプニッツとかに厳しく批判されたって話がおもしろかったな。
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科学とは何かという問いを提起する具体的な実例を紹介して、これまでの各解決案をそこに適用してゆく議論の形でした。実例を用いた議論によって視野を広げることができます。そのため、これから歴史的に科学哲学を学ぼうと思っていた私にとって、素晴らしいイントロダクションとなりました。というのは、歴史の勉強は広い視野を要求するからです。
実例を挙げつつ、科学とは何かと問う上で疑似科学を考えることは役に立つといいます。しかし、科学と疑似科学をそれぞれ特徴づけることはできても、そのあいだに明確な線を引けない。ということを議論が進むにつれ読者は勘づきます。そこで著者が結論のために用いたものは何か。私はそれについて全く知らなかったので、著者が用いたものに興味を持ちました。
それと、もう少し最近の議論も知りたいです。
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科学と科学でないものの間の線をどこで引くかという「線引き問題」を考える書。創造科学、占星、超心理学、代替医療等関心の高いテーマを揃えていて、面白かった。
…簡単にルースのあげる科学の特徴(ルースの線引き基準)を見ておこう。(a)自然法則の探求(b)自然法則による経験的な世界の説明(c)経験的な証拠と比較されテストされること(d)反証不能でない、そして(e)理論は一時的なものであり、理論に反する証拠があがってきた場合には、理論をかえる余地があること。
斉一性原理とは、「これまで観察したものと、まだ観察されていないものは似ている」という原理である。
創造科学と進化論を反証可能性を使って明確に左右に切り分けることは(理論の内容だけに注目する立場をとっても、支持者の態度を注目する立場をとっても)できないし、これは実は過小決定の問題という非常に原理的なレベルの問題を含む。
…通常科学の中心はそのパラダイムでまだ説明できていないことを説明していくパズル解決の営みである。
では、「Xは科学的か」という問いで、われわれは一体何を知りたがっているのだろうか?いくつか答えは考えられる。「科学」という言葉のもっとも流布した意味において「科学的」か、と考える意味論的な考え方もあるだろうし、もっとゆるやかに、社会的に是認できる営みかどうか、という程度の意味で「科学的か」と問いかけることもできるだろう。…わたし自身の答えは、…、われわれは「成功した」科学、近代科学について知りたいのだ、というものである。占星術や超心理学は成功した科学としての近代科学に分類できるかどうか、これが線引き問題が本当に問題にしている点である。ただし、ここで「近代科学」と言っているのは、機械論的世界観をとるというような意味での「近代科学」ではない。機械論的世界観を使っていなくても、成功している科学となんらかの重要な意味で同じグループに分類してよいようなものを含み込むような形で「近代科学」という言葉を理解してほしい。
「科学の成功」の内実としては、いろいろなものが考えられる。ここでも…知的価値判断と社会的価値判断の区別は念頭に置いておくべきだろう。まず、科学には、社会に大きなインパクトを与え、事故やら公害やら環境問題やらいろいろ問題をおこしつつも全般としては社会の幸福に寄与しているように見える。そういう意味で、社会的な価値判断のレベルで科学の成功を考えることもできる。しかしこの観点からのみ科学の成功を考えると、人々の幸福の概念が変われば科学は成功していないことになってしまいかねない。
知的な価値判断の観点からすると、科学の成功の候補としては、…反実在論の側の観点からいえば経験的十全性(現象的な規則のレベルでうまくいっていること)が挙げられるだろうし、さらに細かく分けていけば、弱い意味での再現性(同じ仮説をサポートする結果が繰り返し得られること)、強い意味での再現性(同じ現象を確実に起こせるレシピを与えること)、操作性(自分の意図にあわせて結果をいろいろに変えられること)などが挙げられるだろう。こういうものが確立できるということは、���れを実在論的に解釈するにせよ、反実在論的に解釈するにせよ、とりもなおさずそれだけ世界の仕組みについてのわれわれの知識が増えたということである。もちろん、強い意味での再現性や操作性は、科学の中でもなかなか確立するのはむずかしい(社会・行動科学では特に)。しかし、科学という名前で総称されるさまざまな分野を全体としてみれば、そこに分類されない他の分野に比べて、遥かに高いレベルで再現性・操作性が実現している。…たとえば方法論については、どういう方法論が科学の成功にをささえているのかについて、科学哲学の議論の蓄積がある程度の見通しを与えていると思う。
さて、科学の成功がこのように理解できたとして、じゃあ、なぜ、こういう意味での成功にひとは興味を持つのだろう?答えの一つは、「その『何故』には答えはいらない」というものである。…
…つまり、科学の(知的な意味での)成功は、大きな社会的影響力のある成功なのである。…しかし、どう評価するにせよ、そういう力に注目し興味をもつのはきわめて自然なことである。したがって、ある営みが実際に社会的に役に立っているかどうかの判断とは別に、それが知的な意味で近代科学としての性質をもっているかどうかは十分考える意味がある。有用性や、その他の社会的な価値判断は、その営みを指示するかどうかという最後のところでは重要になってくるが、その前の段階で科学的かどうかという問いは知的な価値判断の問題であり、線引き問題の主な領域はそこにあると考えていいだろう。
…総合的な評価として、やはり創造科学はほとんど科学とは呼べない、と言わざるをえない。線を引かなくても、創造科学が疑似科学だという判定は可能なのである。
…ちょっと風呂敷を広げると、とりあえず考えられるのは、統計的な処理の導入である。これまで、ある線引きの基準を否定するには、その基準にあわないが成功した科学の事例が(たくさん)あると示すだけでよかった。しかし、科学と疑似科学の識別の指標としての有効性を論じるには、その指標と(上で書いた意味で)「成功」した科学の事例の間にどれくらい統計的相関があるかを考える必要があろう。…
線を引かずに線引き問題を解決する。これが本書の「線引き問題」についての解答であり、本書全体の結論でもある。
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科学って何なのか考えるために、逆に科学じゃないものについて考えるというやり方でやってて、それが良い。科学哲学がどんなことやってんのかについても理解が深まった気がする。
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【琉大OPACリンク】
https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA60429793
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科学哲学の論点には様々なものがあるが、中でも重要なのが「科学とは何か」という問いだろう。科学が、主張する内容そのものというよりは、寧ろその方法論のために支持されているというのは、誰しもが認めるところだと思う(例えば、「時空は伸び縮みする」という主張が、明らかに私たちの直感に反するにもかかわらず広く信じられているのは、それが相対性理論という科学理論から導かれるものだからだろう)。では、科学の方法論とはどういったものか。また、科学ならば即ち善で、そうでなければ悪なのか……
さて、先の問いはあまりに漠然としているが、「科学と科学でないものの違いは?」と言い換えると少し考えやすい。本書は、「疑似化学」と「科学」を比較することを通じて科学を科学たらしめているものの本質に迫ろうという趣向で書かれた、科学哲学の入門書である。
第1章の議論を少し見てみよう。トピックとなっているのは、生命の起源の謎だ。「科学」からの解答は、ダーウィンが唱えた進化論であり、共通先祖説と自然選択説を2本の柱とする。一方、「疑似科学」とされる説が創造科学で、キリスト教の聖書に基づく創造説をなるべく宗教的用語を持ち出さずに科学理論として整えたものである。
オーストリア出身の哲学者カール・ポパーは、科学であるか否かの基準として理論に反証可能性を要求する、「反証主義」を提案した(有名な話なので聞いたことがある方もいるかもしれない)。ここで、反証とは、簡単に言えば仮説から導かれる予測と観察が食い違うことで、このとき仮説は間違っていることになる。逆に予測と観察が一致しても、反証主義ではその仮説がより確からしくなったとはしない。極端に言えば、“予測と観察が一致することには何らの価値もなく、むしろ予測と観測が一致しないことにこそ価値がある(p.37)”のである。
理論の反証可能性には序列がある。例えば、林檎が木から落ちるという現象に対して、「人の目には決して見えない妖精がそうしているから」という説明はほとんど反証可能性を持たない(批判に対して何とでも言い抜けられる)が、「任意の2物体の間には、それぞれの質量に比例し、距離の2乗に反比例した引力が働くため」という説明は高い反証可能性を持つ、すなわち大胆な(=外れやすい)予測をおこなうだろう。そして、反証主義は、高い反証可能性を持つ理論こそが良い科学理論であると考える。これはかなり妥当な基準であるように思えるし、何よりシンプルで分かりやすい。
それでは、この反証主義の立場から、進化論と創造科学の間に線を引くことは出来るのか? 結論を先に述べると、それは厳しい。まず創造科学だが、実際に進化論側から“反証となる証拠が提示されているからには、仮説そのものは反証可能だと言わざるをえない(p.48)”。一方の進化論も、反証可能性があるとは言い切りにくい。仮に進化論に否定的な証拠が見つかったとしても、進化論者は進化論を捨てずにあくまで進化論と整合する説明を追求し続けるのではないかと予想されるからだ(但し、ここでは「反証可能性」を支持者の態度に関するものまで広げて考えている(方法論的反証主義))。
さらに、反証主義には原理的な問題点も指摘されてい��。というのは、推論には普通、暗黙の内に前提としている多数の「補助仮説」が存在するからである。すると、仮に予測と観察が異なっていても仮説を放棄する必要はなく、補助仮説に適当に変更を加えることで仮説と観察の辻褄を合わせることが出来てしまうかもしれない(「過小決定」の問題)。この考えを押し進めると、“どんな観察結果が出ようが、補助仮説群に手を加え続けることによってテストされる仮説を救い続けることができるかもしれない(p.54)”。これを信じるなら、反証のプロセスは完全に無効化されてしまうことになる。
以上で紹介したのは本書での議論の一部だが、科学と疑似科学を明確な基準で分けるというのは直観的に思う以上に困難で、そして奥が深いことが分かる。もちろん反証主義の他にも現在までに様々な試みがなされているが、興味深かったのが「ベイズ主義」(第5章)である。そこでは仮説の信憑性の度合いというものを考え、観察や証拠に対して「ベイズの定理」(高校で習う条件付き確率の式と大体同じ)に従って逐次更新していく。オール・オア・ナッシング式の考え方ではなかなかうまくいかなかったので、仮説の受け入れを「程度」の問題として理解しようとするのである。統計学の分野で、ベイズ統計が最近注目されているというのは聞いたことがあったが、科学哲学にも応用できるとは驚いた。とはいえ、素人目には仮説の信憑性の度合いの具体的な値を求めるのは難しそうに思えるが、2つの仮説の信憑性の度合いの大小関係ぐらいは導けそうだし、本書での議論を見ると色々な問題に対して確かに有用そうである。
本書全体を通して、決して結論ありきではなく、「疑似科学」と「科学」をできるだけ公平に扱おうと注意して記述しているなぁという印象を受けた。さらに、上で見た「進化論vs.創造科学」のように、常に具体例を出発点として考えているのでとっつきやすく、読んでいて退屈しない。
現代の社会は、科学抜きでは到底成り立たない。しかし、なんとなく科学っぽければ良いのか、また科学であるだけで何でも許されるのか。「科学」に無批判でいないためには、いざとなれば根本に立ち帰り点検するための準備が必要だろう。…とまぁ、そんな堅苦しいことを言わなくとも、純粋に読んでいてとても面白いので、オススメの一冊。
序章
1 科学の正しいやり方とは?ー創造科学論争を通して
2 科学は昔から科学だったのか?ー占星術と天文学
3 目に見えないものも存在するのか?ー超能力研究から
4 科学と疑似科学と社会ー代替医療を題材に
5 「程度」の問題ー信じやすさの心理学から確率・統計的思考法へ
終章
↓著者が公開している科学哲学のブックリスト
http://tiseda.sakura.ne.jp/PofSbookguide.html#3-2-2
(「科学哲学日本語ブックガイド」と検索してもヒットします。)
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2023-04-25
大変刺激的で面白かった。ぼんやりと考えていた「科学とはなにか」という問いに関する論考がこれでもかと詰まっている。
結局明確な答えは出ていないが、明確な答えが出ないという感覚も腑に落ちた。
特に疑似科学系に吸い寄せられる人、反射的に拒絶する人、必読。