紙の本
新しい戦争の世紀としての21世紀が現代人に重くのしかかる
2003/02/25 15:02
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投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る
国際社会論を専門とするイギリスの学者で、反核や人権の運動家でもあるカルドー女史による、冷戦後の「新しい戦争」を論じた一冊。戦争新論ではなく、「新戦争」論であることに注意したい。著者によれば、この「新しい戦争」とは、1980年代から1990年代にかけて、アフリカや東欧で頻発した新しいタイプの組織的暴力を指す。それは、「国家間あるいは組織的政治集団間の政治的動機により行使される暴力」としての戦争という、近代的な従来の理解では把握することができない。国内紛争、内戦、低強度戦争と称されるものは、新しい戦争の一形態である。「政治、経済、軍事、文化の地球的規模での相互連繋の強化」としてのグローバリゼーションが、この戦争のありようを決定している。国家の自律性や政治的正統性が解体され、国力が減退する現場において、そうした戦争は発生する。著者はボスニア・ヘルツェゴヴィナでの事例を引きながら、その特徴を論じている。また、「新しい戦争」はコスモポリタニズム(普遍的国際主義)と、ローカリズム(地域主義)やトライバリズム(民族主義)との間の軋轢から生じる。冷戦が終結し、社会主義国が自由経済を奉じるようになる過程で、そうした特徴は顕著に表れていた。犠牲となるのが、軍人よりもむしろ市民であることも大きな特徴のひとつだ。さらに、進歩した軍事テクノロジーはもはやとどまるところを知らず、戦争の手段を多様化させている。これらが「新しい戦争」の相貌を浮き彫りにしている諸要素である。第5章「グローバル化した戦争経済」では、戦争を必要とする経済、戦争で活性化する経済について論じており、重要だ。戦争を定義し直し、その暴力をいかに政治的あるいは法的にコントロールするかを示唆する本書は、戦争の世紀と言われた20世紀が明け、また新たな戦争の世紀が始まったことを読む者に否応なく教える。日本語版へのエピローグとして、911を論じ、ブッシュの戦争観を批判した書き下ろしが併載されている。
連載書評コラム「小林浩の人文レジ前」2003年2月25日分より。
(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)
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「新しい戦争」には政治的な目的がある。そのねらいはアイデンティティに基づいた政治的動員である。そしてそれを達成するための軍事的な戦略は異なるアイデンティティ集団を除去し憎悪と恐怖を助長することを目的とした住民の強制退去と不安定化である。
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グローバリゼーションが進んだ世界にあって、その特徴をアイデンティティ・ポリティクスなどに求め、ボスニア紛争を例に新しい時代の戦争を概観する。良い入門書。
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ゼミで教科書指定された時に高くて購入をやめましたが、その時にちゃんと読んでおけば良かったと後で気がついた名著でした。ちなみに絶版らしく、仙台のジュンク堂書店で見つけた。苦労した・・・(新宿等の大手書店巡りもして)。
内容としては、冷戦後に見られる地域紛争、民族紛争は「新しい戦争」だとして、それを理論(旧来的な戦争理論との比較)、事例(ユーゴ問題)、概念(「新しい戦争」の概念化)から明らかにし、最後に政策的な改善はどのように可能であるのか、考察する。おもしろいが、無論穴もあるわけですね。それも含めて紛争研究者たちには興味深い一冊でしょう。
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おそらく冷戦後に出された国際政治関係の本の中で五本の指に入るほどの名著。
今の世界秩序をもっともよく捉えているのではなかろうか。
国家を前提とせず、国家権力志向の政治学的枠組みを使わず、筆者なりの枠組みを提示することで冷戦後の世界を捉えている。
事例として挙げられているのは、ユーゴスラヴィア。
”民族浄化”、かつてのホロコーストを彷彿とさせる恐ろしい現実。
ヨーロッパのお膝元で、しかもまだ十数年しかたっていない。
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20世紀前半の戦争は総力戦であり、武器を取り合って国民全体のエネルギーが大規模に動員された。
資本主義の始まりは、そもそも常にグローバルな現象であった。情報通信技術の革命的進歩によってグローバリゼーションはさらに加速した。
グローバリゼーションはまたガバナンスの脱国境化と地域課をも伴っている。第二次大戦以来、国際機関、国際的なレジームや規制機関は爆発的に増加した。ガバナンスの質的変化と平行して国境を越えた非公式なネットワークが目覚ましく発展した。
コスモポリタニズムに賛成する人々の空間が狭まるのは、まさに戦争のときである。
新しい戦争には政治的な目標がある。その狙いはアイデンティティに基づいた政治的動員である。それを達成するための軍事的な戦略は異なるアイデンティティ集団を除去し、憎悪と恐怖を助長することを目的とした住民の強制退去と不安定化である。
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戦争の当事者や位置づけや目的が近年大きく様変わりしている。いずれにせよ誰かが利益を得るための手段でしかないのだが。
平和な時代の平和な国に生まれた者として、戦争の良し悪しではなく、戦争の目的とは何か、戦争とは何であるのかをもっと学ぶ必要があるだろう。
知らなければ良し悪しを判断することも出来ない。義務教育で戦争論を教えた方が良いとすら思うのだ。平和を守るために。
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個人的関心とは少し外れていたが、示唆に富む本ではあった。いかんせん関心外の部分は流し読みになってしまったので、いずれ再読したい。
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2001年出版の本の訳書であり、やや古いが、当時最新だったコソボ紛争までを網羅したポスト冷戦期の新しい紛争の根源を考察している。
クラウゼヴィッツ的な戦争観と異なる「新しい戦争」という概念は、目標を敵兵ではなく領内の異物にしていること、イデオロギーの布教の手段であったゲリラ戦と異なり恐怖による統治であること(故に対ゲリラ戦的を源泉とする暴力や民族浄化を産む)、市民を共犯にする事などを分析して、特にボスニア内戦を中心に明確に描き出している。
一方で、筆者が訴える人道法と人権法を融合したコスモポリタン法、それを執行する警察機能としての平和執行の訴えは、いかにも筆者がリベラルな国連人であり、自国の兵士を犠牲にしてもそれ以上の現地住民の犠牲を抑えるべきであるという主張は、現代の国家間調整機関としての国連やその加盟国には受入れがたいだろうと思う。
その意味で、コスモポリタン法は露骨に国連設立期の世界法思想を下敷きにしており、また筆者自身もカントの永遠平和を引用するなど、「旧い戦争」観からの脱却を企図しつつ、さらに旧い世界観を持っているようにも思える。
また、日本語版へのエピローグで9.11が同じ文脈で分析されているが、これが本書刊行後のISISや現行のロシアによるウクライナ侵攻を受けてどのように見直すべきか、さらに考察したい。