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キャラクター小説の作り方 みんなのレビュー

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みんなのレビュー45件

みんなの評価3.8

評価内訳

39 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

ライトノベルの可能性

2006/03/04 15:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nanako17girls - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大塚英志は戦う人である。私事だが、以前とある大学のとある授業で、大塚英志とケンカした。理由は書かない。その後、大塚はとある事件で、大学とケンカして、退職届を出した。これも理由は書かない。まあ、かれは版元の出版社としょっちゅうケンカする。でも、業界から干されたりしない。なぜか?それは大塚の「誠実さ」にあると思う。
 話が逸れた。「キャラクター小説の作り方」だ。これは文芸批評書である。いわゆるハウツー本でありながら、なかなかに的確に「ブンガクがなぜダメになったか?」を説明している。「私小説」というジャンルがある。大塚はこれに反抗する。「自然主義的回帰」を見つけつつ、別の方向性を示唆している。それが「スニーカー文庫」的なものであり「ライトノベル」である。それを書くコツを伝授する(タロットカード、宮藤官九郎、アニメ、イラスト、etc・・・)本書を読めば誰でも「小説が書ける!」というのはどうかな?でも、少なくともハードルは下げている。それで充分かもしれない。「小説を書くこと」は特別な才能がなくてもなれる。「なるほど!」と思ったのはキャラクター小説の装丁がいかに重要であるかということだ。「木更津キャッツアイ」が「うる星やつら・ビューティフルドリーマー」の継承をしているというのはなかなかである。

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紙の本

世界の作り方

2004/10/22 22:29

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Smadhi - この投稿者のレビュー一覧を見る

書いてある事はその通りだと思うことが多いが、その論の前提として出しているものが、「そうなのか〜?」と私だと思ってしまうようなヘンな論な気がしてしまうところがちらほら。
しかし、細かいところはともかく、実用的な小説入門書になっているのは確かだ。

世界がハリウッド映画の文法で動いていく、その事の恐怖の方が強く心に残った。

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紙の本

もうひとつの「日本文学史」

2003/07/04 11:29

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

ある都合で本書を読むことになったのだが、最初はマニュアル本の類に良くある、当たり前のことを当たり前に説明しているような退屈な本であると思っていた。当たり前のことを当たり前なりに徹底して開示し、それを普遍化していく作業はそれはそれで重要であると思うが、興味のない者にとってはそれが本書の面白さに資するわけではない。
本書が面白くなってくるのは、次第に「キャラクター小説」という枠を踏み出して、物語、言文一致、文学、戦争、死などの方向に論が進んでいくところだ。
「キャラクター小説」の起源とその性質をこれほどきっちりと根拠づけた例を私は他に知らない(そもそも、キャラクター小説をまともに論じたものがどれだけあるか知らないというだけだが)。
自然主義文学や大方の小説は、現実を正確に再現し、写生するというリアリズムによって成立しているのだが、それに対して元々作り出されたものであるアニメやコミックの「仮想現実」の原理原則を「写生」することによって成立しているのが「キャラクター小説」であると著者は言う。だから、「キャラクター小説」の表紙には、アニメや漫画の絵がついているのだと。
そして、自然主義文学などのいわゆる小説と、「キャラクター小説」とのもうひとつの相違点として、「私」の存在が浮上してくる。

「自然主義の小説家たちは写生する対象を外の風景だけではなく、自分の心の内側にも向けてしまったのです」

「「アニメのような小説」においては「写生」すべき「私」は存在しません。何しろそこにいるのは「私」や生身の身体を持つ人間ではなく、架空のキャラクターなのです。たとえ、キャラクターの一人称で書かれることになったとしても、それは作者の反映としての「私」ではなく、あくまでもその「キャラクター」にとっての「私」です」(ともに27頁)

実はこの対立は本書の後半で対立ではないことが明かされる。自然主義文学において描かれた「私」とは、外国文学の輸入や「言文一致」の文章が生み出した「仮構」であり、それ以降の小説においては、この「私」の仮構性が忘却されている、と論じている。
だからこそ、キャラクターという元々仮構である「私」を描く「キャラクター小説」と、自然主義文学に端を発する多くの小説とは同根であると言うのである。そのうえで、「私」が仮構であることを忘却してしまった「文学」に対して、もとより仮構であることを強く意識せざるを得ない「キャラクター小説」は、疲弊した現代文学に対する有力なアンチになりうるということだろう。

しかし、上記の議論での図式化は非常に乱暴な部分がある。一つには、小説の書き方と読まれ方を混同している。田山花袋はそうではなかったし、私小説作家だってそれほど多くが作中に「私」と書きつける時、それが単純に作者と同じであると考えてしまっているとは思えない。
優れた作家は自らの行為を強く自覚しつつ書いている。小島信夫はそのような、小説の「私」と現実の「私」との関係を強く意識し問題化していると思う(「寓話」「別れる理由」などなど)し、私小説的伝統のいわば鬼子、笙野頼子はより全面的に「私小説」を異化していく。特に笙野頼子は自らの小説が通俗的に私小説として読まれてしまうこと(それは、「あれは実際にあったことなんですよね?」などと聞かれてしまう事態を招く)を作品それ自体で問題化している。
また、笙野頼子はジェンダー秩序を維持する日本語という言語との闘争を大きなモチーフとしてきた。そこで思ったのは、「物語の体操」で日本語という言語が自動的に内面語りに進んでしまう事態を論じた大塚英志なら、面白い笙野頼子論が書けるのではないかと言うことだ。

(言文一致が作り出した「私」という「内面」については、柄谷行人の「日本近代文学の起源」を参照しているのだろうが、それが引用されたりしていないのはなぜだろう)

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紙の本

『リアル』とは?言論格闘家の問い。

2003/04/26 11:37

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

大塚英志の格闘家振りにいつも、楽しませてもらっている。
「まんが」に対しても、「文学」「論壇」とジャンルを渡り歩いて、
「もの申す」と道場破りに、彼の言葉で言えば、《そのジャンルで一番不愉快で本質的なこと》を引っ提げて、内側から攻めていく。

その戦略家としての正しい作法は攻撃される方にとって、
「うざったいな、かんべんしてくれよ」と、なるのかもしれない。
せっかく、『新現実1』の創刊でタッグを組んだのに東浩紀は「つきあいきれないよ」と脱落したみたいだが。
『新現実2』ではマジに天皇制を取り扱って、創刊号より、何倍もヒートアップした編集になっている。このbk1にも、大塚自身の長文(1600文字なんて通用しない)著者コメントが、そのような2号の経緯を縷々説明、というより、講演だなあ…、掲載されている。

観客席としては、「不良債権としての『文学』」(「群像」2002,6月号)で笙野頼子との論争も面白かったが、
本書はキャラクター小説の作り方という実用書の体裁(かような小説を書くマニュアル本としては、とても良く出来ている)をとりながら、
「文学」に向けた本気の文芸批評書である。
それは、近代日本におけるカッコ付の『私』の検証であり、
田山花袋の『蒲団』を例に近代日本が発見した『私』も仮想現実の中の私であり、作られたキャラクターの『私』と、どう違うのか。
リアルなカッコのない私を描く緊張感は、そんな裸の私を断念して、記号としてパターンの組み合わせで、クールに戦略的に作り上げていくスキルで、
「リアルな私」を勝ちとる僥倖があるのではないかと、逆説的にキャラクターの入り口から、「文学」を語る。

キャラクターに如何に記号的でない死を描くことが可能か、と言う問いであるが、
ならば、「文学」はそれをやっているのか、それに成功しているのか?
中身を検証しないで、「文学」、純だから…、というクリシェで、やり過ごしていないか?
『現実、死』を相手に記号でなく、生(ナマ)に闘っているのか、
ポーズだけで、胡座をかいているのではないか、それは又、文学側からのサブカル化という流れとなる。
その流れに江藤淳はある種、だらしなさを見たのではないか、そのようなサブカル化に抗する緊張感の中で、虚妄であろうと、『私』は持ちこたえ、近代日本文学史は存立し得たのでないか。

先週、テレビで、島田雅彦が宮崎学、室井さん等と、文学をテーマーにしたクイズ番組に出演していたが、島田さんは、「我が心、ここにあらず」で、
ひとり、浮いていたのが印象に残った。無理をしないで、「文学」して下さいと言いたくなったが、島田雅彦自身は文学に対する危機感を持っていて、
かような戦略になったと思うが、私の好きな天然○○の室井さんに、丸投げして、大作、書いて下さいと、言いたくなった。

大塚英志なら、「コミック」「文学」「論壇」を横断するプレゼンテーションをマスメディアを通して発信するスキルを持ち合わせている気が彼の著書集を読んで感じるのだが、
私はまだ、彼の肉声も生の表情に映像を通しても、触れたことがない。
今度はテレビ等で、言論格闘家として「道場破り」をして欲しいなあ、
宮台真司、福田和也等にタックルをかける技を身につけている言論人は少ないのだから、頑張って欲しい。エネルギッシュな大塚さんに、たった一つの要望と言えば、大塚さんのマジに文学した小説を読んでみたい。

笙野頼子、石原慎太郎、を沈黙させる小説を、あなたの方法論で書いて始めて、この本は説得力を持ち得る。まだまだ、闘いは続いているのです。
「物語環境開発公社総裁大塚英志」は環境整備が仕事であって、この本を読んで、若い野心家に望みを託し、
「文学フリマ」などの場を作るのが私の仕事と言われれば、反論の余地はない。


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2004/09/25 19:05

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