色々なトピックを知れる
2017/01/06 23:38
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投稿者:ポージー - この投稿者のレビュー一覧を見る
学術書で入門とつくものは全然入門じゃないけど、これは珍しくまじの入門です。言語哲学の問題について広く浅く知ることができる。その浅さがちょっと浅すぎて新しい好奇心を呼び起こされるみたいなことがなかった気がするけど、だったらそれはもうちょい難しめの本読めばいいだけじゃんということで、この本にぶつける不満ではないかもしれません。
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1章 言語哲学とは何か 野本的
2章 意味と指示
G.Frege
意味と意義の二段構え
意義Sinnとは、意味が与えられる様式
意味は指示された何か 素朴なアイディアと
情報伝達へとスライドさせてゆく
文を使用して伝えたかったこと practical
例;雨が降っているよ
3章 記述の理論
「現在のフランス王」 ラッセルのパラドックスの解決 存在x
この文の意味が我々にはわかる。これを契機として ⇒筆者は直観に依拠する
確定記述の論理構造は指示表現は現われない、としたラッセル
a. is presently king of France
b. only one is king of France
c. and then and if only then, the one is baldness
上のaとbのpresentlyは副詞句であり、指示表現ではない
4章 固有名の問題
因果説 JSミルの固有名はただ対象を指示するだけであるという見解 固有名には意味はない
ラッセル 論理的固有名 指示対象を持たないということがありえない。これは感覚与件sense dataに関する
5章 意味についての検証主義
ウィト源シュタインの論考
ある文が有意味であるためにはその文の真偽を経験的にverify検証できなければならないと
falsifiabile
論理実証主義に言及
クワインがとどめを刺したと
6章 意味懐疑論と翻訳の不確定性
根源的翻訳の思考実験
ガヴァガイ!
クワインvsチョムスキー論争
競合する理論の選択(Th Kuhnに参照註) 簡潔性、単純性でさえ絶対的ではなく、何らかの目的や観点に照らされて言われるにすぎない
この種の批判が早い段階でチョムスキーによってなされた 'Quine's empirical assumptions' 1969
7章 サピア=ウォーフの仮説
言語と文化の関係
ウォーフやサピアの言葉「現実の世界は、大訓お程度にまでその集団の言語習慣の上に無意識的に形作られている」を引用し、言語が文化を規定ないし決定すると考える
言語構築的 ― 社会構築的
カント的にいうと、言語という形式が規定する 経験
8章 プラグマティクス
帰納的推論
言語行為論 オースティン
9章 私的言語論
参考文献
ハッキングのものは少しくせがある
クーパー『ことばの探求』1976
坂本『新版ことばの哲学』1983
ハッキング『言語はなぜ…』
野本&山田『言語哲学を学ぶ人のために』
分析哲学
竹尾治一郎『分析哲学の発展』1977
記述説批判
クリプキ『名指しと必然性』
翻訳の不確定性
クワイン『ことばと対象』1984 の第2章 1960年代の英米哲学を導いた 完全な古典としての地位
会話の含意
クライス『論理と会話』
言語行為論
オースティン『言語と行為』
私的言語
探求 第1部243節-363節
ただし、本当にウィトの狙いが私的言語の可能性を論じることであったかは議論の余地あるところ
この観点ではクリプトの『…のパラドックス』、マッギン『…の言語論』
チョムスキー『文法理論の諸相』1970、『言語論』1979、『言語と精神』1980
心の概念を坂本と共訳 慶応哲学1973 南山大学人文学部教授
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言語哲学の入口としては理想的な作り。20世紀の英米哲学の主流となった分析哲学の土台となる問題を平易な言葉で切り分け、言葉の意味の問題や記述論理にまつわる論点を丁寧に論説してくれている。後半部分ではサピア=ウォーフの仮設の検証からチョムスキー、そしてウィトゲンシュタインといった言語論に関する主要なトピックも網羅されており参考文献にも気を配った解説付き。とはいえ、言語哲学の持つ意味そのものを論理的に切り分けること自体の難解さが減じた訳ではないので、この分野に興味のある人に試金石の役割も果たすことになるのだろう
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言語哲学と論理学は分析哲学において表裏一体のように扱われているが、本書は論理学の領域を慎重に避けるように言語哲学を扱う。論理学でしばし扱う、うそつきパラドクスや、「〜は、…である」式の指示対象が明らかには存在しない言語の積極的な正体解明を避け、しかし、論理学上の語用の前提となっている事柄を追求している。あらためて禁欲的に分析哲学を考えるきっかけになる。
最終章「言語の体系的研究の可能性」では、言語哲学が本書のように様々な学説に対して肯定否定の両論併記で進まざるを得ない理由が分かる。社会科学が自然科学と異なり、規則性から外れた現象に対して規則が破られたとみなすように、言語研究も統語論をはじめとした規則が前提とされている。故に言語研究が経済学程度には科学的であるという指摘を受けるに至る。そこに言語研究が分析哲学的要素を含む理由があるのだと思う。