投稿元:
レビューを見る
「哲学はエロスを語らない」
この本の内容はとても哲学的て難しい。
要約すると、考えすぎて凝り固まらずに、もっと感覚的に生きていこうよ。という励ましの本。
まぁ、新しい考え方ができるようになりました。
投稿元:
レビューを見る
とても楽しい本。訓練されていない私を運んでくれる。雨の日に気分転換に入ったマクドナルドでヴォサノヴァを聴きつつ。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
プラトンやデカルトなどの哲学者は、身体や情緒の問題を、うまく解きほぐすことができなかった。
そのためその人間観は、私たちの経験や常識とはどこかずれている。
そこで本書では、誰もが納得できる話から始めて、少しずつ思考を重ねていき、情緒や身体の本質に迫っていく。
その過程で、人間が社会生活を営む上で欠かせぬ言語を取り上げ、言語だけが「意味」をもつのでなく、身体や情緒も「意味」性を帯びており、社会を作り上げる要素でもあることが示される。
私たちの性愛感情の源にも迫った本書は、「人間」という存在を深く理解する上で示唆に富む、新しい人間学の試みである。
[ 目次 ]
第1章 哲学が苦手としてきたテーマ―身体と情緒
第2章 人間は動物の一種だが、ただの動物ではない
第3章 心とは「はたらき」である
第4章 身体とは「意味」の体系である
第5章 情緒とは「開かれ」の意識である
第6章 「意味する」とは何を意味するのか
第7章 言語の本質とは何か
第8章 身体と情緒の「意味」性
第9章 性愛感情とは何か
第10章 人はなぜ恋をするのか
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
プラトンやデカルトといった西洋の哲学者たちは、身体や情緒についての問題を扱いかねていたのではないかと著者は指摘します。そして、この問題を積極的に引き受け、身体によって情緒的な意味を含んだこの世界を生きる実存主義的な立場から、言語や恋愛感情などの現象についての考察をしていきます。
言語に関しては、概念的言語の役割によって「意味」の考察をおこなう立場を批判し、情緒的でふくよかな「意味」をはっきりと見据えなければならないという主張が展開され、そうした観点から国語学者の時枝誠記に注目がなされています。時枝文法では、言語を主体の表現過程として理解されており、客体的な側面を強く担う名詞や動詞、形容詞をはじめとする自立語は「詞」、主体的な側面を強く担う助詞と助動詞の付属語は「辞」と呼ばれます。著者は、こうした時枝文法の基本的な発想を紹介しながらも、文法的な品詞の分類にはこだわらず、むしろわれわれの言語が「詞」的な働きと「辞」的な働きが絡みあって現われているということが重要だという考えを提出しています。
また著者は、「エロス的関係」という視点から「恋」という現象の本質をつかみ出そうとします。「エロス的関係」とは、実存的に生きられている個別的な身体のかかわりそのものをめがけるような関係を意味しており、恋愛関係や性愛関係、親子関係、友人関係などが典型的なエロス的関係だとされます。著者は、「恋」というエロス的関係と、理性に基づく社会的関係との違いを明らかにしながら、恋愛感情や性愛感情を本能によって説明する生物学的な立場や、無意識の働きによって説明するフロイトの精神分析学の立場に対して反論を加え、みずからの実存的な立場がそれらの問題に対して的確な答えを与えることを示そうとしています。
投稿元:
レビューを見る
2017.9.21
今の私に足りないのはこういう情緒という視点である。理性的に人間を捉えた上であーだこーだではない。情緒、感受性こそが一切の価値や認識の根源であり、そして人間はそれを簡単にコントロールすることができない。こういう、簡単にはコントロールできない自分の情緒の問題を、他者との関わりの中でどうするかということが、私の課題の一つである。
ただ、この本はわかりやすくてわかりにくいというか・・・。この著者の別の本が読みたい。こういう感受とか、心のどうしようもなさを考えている哲学を知りたい。ハイデガーとかメルロポンティとかになるのか・・・うーん。