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宮台真司がオウム事件当時書いた「終わりなき日常を生きろ」を数十年単位で先取りしたような本。主人公である私は、幾度となく訪れる破局の予感に恋いこがれながら、結局破局など訪れず、それに耐えられなくなって、永遠の、つまり終わりなき日常の象徴である金閣に火を放つ。
大塚英志の「サブカルチャー文学論」に引用されていた記事によれば、著者の三島自身は「こういうことをする奴はこんなことを考えてないんだろうけど」と言っていたのが、個人的には非常に興味深い。宮台の分析がデタラメなのか、三島の創造した人物がある種のモデルとなって、「こういうことする奴が、こんなことを考え」るようになったのか。
構図だけ取り出してみるなら、いまだ公開されないスター・ウォーズのエピソード3を先取りしているようにも考えられる。柏木というダークサイドの導き手によって、アナキンである私は、悪の道へと墜ちていく。彼をそうさせたのは、人間の闇でもなんでもない。終わりなき日常なのだ。
破滅とは何も戦争による滅びだけとは限らない。作中では老師から見捨てられることや、セックスも破滅のメタファーとして描かれている。破滅とは変化の謂いなのだ。女と交わろうとする瞬間、主人公はその行為への意味づけが余りにも甚大で、重量を支えきれることができず、変化しない言い訳として想像の金閣寺が出現する。怖じ気づく自分への言い訳の金閣寺。それは主人公の感じるような美の象徴であるとともに、変わらない日常の象徴でもあるだろう。彼は破滅と延命の矛盾するふたつの欲望を抱え込み、そこから世界を見つめる。
とかなんとか、あれこれ考えては見たけれど、「だから何だっていうんだ」と言われると、えへへと笑うしかない。破滅を願い、永遠に続く日常=金閣寺を手にかけ、その燃え尽きる様を遠くから眺めながら主人公が最後に生きようと思ったと呟いて終わるのも、この照れ笑いみたいなものが混じっていると思う。結局のところ人は、どれだけゴチャゴチャ考え、終わらない日常を破壊しようと試みても、日常の前に敗北するしかないのだ。想像の金閣の放つ輝きに対して、唾棄すべき日常世界を暗色に染め上げた物語の最後が闇夜であるのは、観念が滅んでも日常は残るということを暗示している。作者のその後を考えるなら、それを理解しながら三島はそのことが許せなかったのだろうか、などとふと思いもするが、まあぶっちゃけどうでもいいや。
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大学の受験で京都にいった帰り、突発的に読みたくなって市役所裏の本屋で購入。京都で金閣寺・・・なんてベタな俺!!
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「世界を変えるのは行為ではなく認識だ」by三島由紀夫
金閣寺は男にとって唯一の美であった。だからこそ放火をした。どもりである少年の内面の暗さと金閣寺の美。
こういった対比は誰の心の中にもあるのかもしれない。特に思春期は。だからこそこの文章は青少年期の人をひきつけているのだと思う。
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三島由紀夫を語る時、ひとは必ずその言語感覚の鋭敏さを褒める。そしてそういう日本語を読めるという自分自身を褒める。詰まらない二重構造に溺れる。金閣寺は三島由紀夫の最高傑作だと私は言い切る。彼はこれ以上の作品を書くことができなかった。
よく見逃しがちな点であるが、彼の全著作中、装飾を抑えた三島由紀夫自身を小説に登場させたのは、『仮面の告白』の「私」だけであり、この金閣寺の主人公溝口などが三島由紀夫の分身だと解釈するのは大いに間違いである(彼ほど自己劇画化を好んだ作家も珍しい)。彼はしばしば己を女性化し、自由に動き回る傾向があるため、最もこの小説における三島由紀夫的な登場人物をあげるとすれば、それは有為子である。作者はこの有為子をどれ程に、デリケートに描写したであろうか。あの恋人を裏切って射殺される幻想的な情景を描いている途中、三島は幾度となく射精に至ったことだろうと断定する。彼は不具であった。
不具者。金閣寺における最大のテーマはこれである。異類、異形の代表格柏木は、今や我が国における幻想小説の最も独創的かつ重要なキャラクターとなった。主人公溝口との最初の会話として挿入される柏木の独白は、かつて己の不具を悲観しつつそれを愛着した精神薄弱者の群れを叱咤し、奈落へ突き落とす。このドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』における大審問官の章に匹敵する独白を読んで、奮起しない者を三島は突き放す。嗚呼、三島由紀夫が耽美主義との痛ましい決別を宣言したその瞬間に、彼は己の文学を美しい猫を殺した南泉和尚のように殺してみせたのだ。認識の無い世界などに俺は耐えられぬ!かくして市谷に散った血は有為子の狂気の華ではなかったのか。
三島の文章など問題にするべきではない。これは悩める青年の慰謝のために書かれた類の小説では決して無い。或いは他者廃絶という希望、或いは女々しくも怖ろしき作者の怨念が、燃える金閣の幻影に隠れて未熟な読者たちを襲うのだから。
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虚しくなるほど人一人の心の闇がありのままに描かれている。多分この主人公の闇が三島由紀夫の闇でもあったのだろう。
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這本書裡面充分的表現了三島由紀夫對美的獨特詮釋,小時候看的時候覺得滿像恐怖書籍,不過卻不知為何有某種體認感....
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日本文学の金字塔でしょう。三島や谷崎こそ、耽美派。昨今のお嬢さん方にはそこを間違わないで欲しいです(笑)。ところで豊饒の海シリーズ映画化はちょっと微妙…。
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お父さんに「三島文学は読んだらはまるよ。」と勧められたので買ってみました。
只今、読み途中です。。。
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日経で何かの記事なってて実家に帰る時に新大阪駅で買った本。
今度金閣寺見る時はちょっと見方が違うんだろうなとは思う。
たぶんあんまり変わらんけど。
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哲学の授業の課題で読まされたときに、学科中で金閣寺・フィーバーが起きた。古臭くなんかない。みんなが金閣寺にむちゅうになって必死に読んでいた。わたしもその中の一人だった。もう、とにかく、日本人なら読んでおけ、損はさせないから、と言いたい。
金閣寺を燃やすという行為によってアイデンティティの確立を試みる青年の記録。
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昭和31年刊。
三島文学の代表作のひとつ。
昭和25年に実際に起こった金閣寺の炎上をモチーフに、悩める学僧の心理を緻密に告白というカタチで描写している。
映画化もされており市川昆監督が市川雷蔵主演で撮った『炎上』(1958)と高林陽一監督が篠田三郎主演で撮った『金閣寺』(1976)がある。
昭和32年に第八回読売文学賞受賞。
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超えられない唯一の美。
金閣寺を燃やすことで彼は劣等感を打ち破ることができたのだろうか?
方法は納得できないが、自ら何かしらのアクションを起こさなければ何も始まらない。それだけは確かだと思った。
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高校の教科書に載ってたので読んでみた。教科書に出てる部分ってなぜどうしようもないくらい面白く無い部分なんだろう
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一度、小学生のときに読もうと思って図書館で借りたのですが、親に読むなといわれ・・それっきりだったのですが。 最近再読に試みるも、挫折。。
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三島の文章は、極彩色のパノラマを見ているようだと思う。
ばあっと目の前に何とも言えない美しい景色が広がるのに、別の目で同時に細部まで見える感じ。
主人公を含め登場人物がいろいろと言っていることは小難しいけど面白いと思った。
それを面白いと思えるようになった自分が嬉しい、自分にとっては自己満足的読書であった。