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ありとあらゆる小説や映画の題材になってきたようなことなのに、久しぶりに寝る間を惜しんで読んでしまいました。ぐーっと引き込まれていくのに、突如として「ハタ」と目が、時が止まる。「何!?」と思わせる一文がフラっと現れるんです。そしてそれが現れればもう続きを読まずにはいられなくなる。
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「エンバース」という題の長塚京三主演の舞台(脚本の翻訳も長塚氏)をみることになり読んだ。半分ほど読んだ時点で舞台を観たのだが、本よりもずっと長塚さん演じるヘンリクが魅力的だった。ヘンリクの魅力を長塚さんがわかりやすく翻訳してくれたというか(本の後半は舞台のあとに読んだので、本だけを読んだ場合とは読み方が違ってしまっただろう)。この話は、二人の75歳の男の対話というよりも、ヘンリクという一人の男についての描写のように思う。ひよっこの私には全てはとても理解できなかったし、うまくいえないのだけど、ヘンリクは素直で純粋で賢明な素晴らしい人物で、愛らしい。そうではない人間コンラードにとってヘンリクはどのように映ったか。ヘンリクはコンラードに対して憧憬を抱いたというが、コンラードこそヘンリクを眩しい思いで見ていたんだろう。また、乳母ニニの存在がとてもやさしく、ヘンリクを祝福してくれている、私達の代わりに。・・・ところで、75歳といえば、現在2008年で言えば三遊亭圓楽、濱田隆士(古生物学者)、渡辺貞夫、高木ブー、渡辺淳一、岸田秀、銀河万丈、そして天皇の歳だという。ヘンリクが75歳という設定にどれほどのリアリティがあるのか、それは私にはわからない。ニニは91歳。山田五十鈴。
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久しぶりに凄まじい読書体験をした気がする。本来なら世界の名作の一群の中に入っていてもおかしくないような作品なのに、時代に翻弄され自国で忘れられかけていた作者ゆえ、作品が世に出たのが作者の自死後14年、冷戦の終結から10年を経た時だったという事実に惜しいとしか思えない。
物語は一幕ものの舞台のよう。回想を織り交ぜながら進むある館での一夜の出来事。主要登場人物は3人だが、主人公の妻は30年前に亡くなっている。41年ぶりに再会したかつての親友同士が語る「あの日」の出来事、そして浮かび上がる真実(奇しくも41年というのは作者が祖国をでて命を絶つまでの年月と重なる)。
あとがきで訳者は音楽の重要さについて語っているが、音楽・芸術そのものよりは、ヘンリクとコンラードがあちら側とこちら側の異なる世界に属していたことが重要だと思う。それはヘンリクの父と母にも重なる。
クリスティーナはなぜ今際の際に夫の名を呼んだのだろう。「真実はあなたが思っていたようなことではない」と言いたかったのか、詫びたかったのか、あるいは全く違うことを言いたかったのか。絡み合いながらも孤独な3人の姿。
新潮社のクレストブックスに入っていて欲しいような作品。集英社さん、お願いだから復刻、あるいは文庫化して再度世に出して欲しい。
タイトルは「灼熱」でない方が良い気もする。そうした要素も感じられるが、元々のタイトルは蝋燭の炎が燃え尽きるまでといった意味らしいし、「蝋燭、燭台も重要なアイテムではないだろうか。
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シャーンドル・マーライ
1900年 コショ(現スロバキアのコンツェ)に生まれる。フランクフルト大学及びベルリン大学に学ぶ。
その頃、無名のカフカを見出し、ハンガリーで翻訳。
1930年代にハンガリーを代表する作家となるが、48年に亡命。
作品はすべて発禁処分になり、やがて忘れられた。
1989年 ベルリンの壁崩壊の直前、亡命先のサンディエゴで自殺。
1990年 祖国ハンガリーで出版が再び開始される。
90年代末、本書の国際的成功により、20世紀の最も重要な作家の一人に名を連ねることとなる。
久し振りにトーマス・マンやヘルマン・ヘッセの世界を思わせる文学に出会った。未だ友情という徳が輝いていた時代ならではの悲しい物語に心打たれる 川本三郎(文芸評論家)
ハンガリーの高名な作家シャンドール・マーライの傑作「灼熱」は体制転換後五十年を経て再び刊行され、脚光を浴びた。だがその直前、亡命先のサンディエゴで彼は孤独のうちに自らの命を絶っていた。国を出てから四十一年後。奇しくもそれは本編の主人公ヘンリクが友コンラードを待ち続けた歳月と重なる。これは、文学がまだなんのためらいもなく「文学」でいられた幸せな時代の作品である。(訳者あとがきより)
ハンガリーの貴族で今は将軍のヘンリクは、待ちわびていた友コンラードからの便りを受け取る。彼が行方不明になってから41年、当時24歳だった彼らは年老いていた。
ヘンリクはコンラードが旅立った日を再現し古びた館には明るく蝋燭が灯された。ヘンリクには問い質されなければならない疑問が胸に積み重なっていた。ヘンリクの友情は真実だったのか嘘なのか。原因はコンラードか自分か、それとも妻のクリスティーナなのか。
意味深く、繊細な心にしみる物語をうまく語れないので、引用が多くなる。長く長く待ち続けた友人が現れたとき、ヘンリクの心の中の言葉は整理されて、発酵して、究極の香りを持つようになっていた。それは友コンラードに向けられていたものが、やがて一つ一つの言葉が鏡のように自分を映し出す。間違ったのは誰か、こういう悲哀の源は誰が作り出して育てたものか、ヘンリクは年の歩みとともに思いは乱れたり、たゆたったり澄み切ったり淀んだりした。そして確信どおりコンラードは現れた。もう二度と会うこともないような老いた二人の時の流れの中に。
コンラードから手紙がとどいた。
「昔と同じように、とお望みですか?」
「そうだ、あのときのままに。最後のときのようにな」
「わかりました」
ニニは言った。
それから将軍に近づいて、身をかがめ、そのしなびた手に口づけした。その手には指輪がはめられしみと血管が浮き出ていた。
「取り乱さないとお約束ください」
「わかった」
将軍は小声で優しく言った。
父は近衛将校で、貴族の家柄だった。士官学校に入り10歳のとき隣のベッドに寝ていたコンラードと知り合う。
初めて会った瞬間から、ふたりはこの出会いが自分たちを生涯結びつけるものだと感じた。
ヘンリクは緊張しながら父親に紹介したが父はコンラードと握手をし��、家族の一員に迎えた。
二人とも一人ではないことを感じて幸せだった。何もかも共有した。
二人が将校になった時、コンラードは家族を紹介した。父は男爵だったが名ばかりで疲れ果てていた。家は狭くて泊まれず、コンラードは自分に必要なものを与えるために身を削って暮らしている両親の話をした。
「だがこんな風に生きていくには僕にはとても辛いんだ(略)二十二年このかた、父は一度もウィーンにいったことはない。自分が生まれ育った町なのにこれもみな、息子の僕を、自分たちが力及ばずしてあきらめたひとかどの人物とやらにするためさ(略)
コンラードはごく低い声でつぶやいた。
4日間ふたりはこの町にとどまった。発ったとき二人はこれまでの人生で初めて、自分たちの間に何かが起きたという感情を抱いた。一人がもうひとりに借りがある。そんな感情だった。それは言葉では言い表せないものだった。(略)
僕の財産を使ってくれ。実際、彼は自分の莫大な財産をどうしたらいいのかわからなかったのだ。だがコンラードは毅然として言った。「びた一文、受け取るわけにはいかない」(略)
コンラードは早々とふけた。二十五歳ではやくも読書用めがねが必要だった。(略)彼らはお互い相手を好いていたので、それぞれの「原罪」を許した。つまり豊かさと貧しさを。母とコンラードが「幻想ポロネーズ」を弾いたとき、父が漏らした「別種であること」は、コンラードに友ヘンリクの心を支配する力を与えた。
父の言葉は、両親の心の隔たりについて父が気づきながら暮らしてきた歴史を物語っていたのだが。
コンラードもまた、かすかに嘲笑と侮蔑が入り混じった、それでいて抑え切れない好奇心を感じさせる口調で、世間について語った。それはまるで、あちら側、つまり彼の反対側の世界の出来事に興味を抱くのは子どもや無知な人間だけだというようだった。
内心の声を感じながらも彼らは強烈な何ものにも犯されない「友情」という言葉を信じあるいはお互いを縛り続けていた。
コンラードが何も告げずに消えたとき、ヘンリクは初めて彼の家を訪れた。コンラードはそれまで訪問を拒否し続けていた、だがその部屋は実に芸術的に整えられ、高価な家具や椅子が置かれていた。コンラードは農場を受け継ぎ遺産を手にしていた。
空き家に立って呆然としていたヘンリクはそこに妻がきたのを見て驚いた。彼女はコンラードの幼馴染で同じ世界を共有していた。彼女はここへの道を知っていたのだとヘンリクは思った。
コンラードが去ったのは妻のせいなのだろうか、だがそれを聞くこともなく、コンラードがいなくなってすぐに別居した妻は7年後に亡くなった。
出会った二人はお互いの顔に時の流れを見た。そしてヘンリクは昔の友情の底に流れていた思いに気づいたことをしみじみと話す。殺したいほど憎まれていたかもしれないとおもう。猟銃をかまえたコンラードがチャンスをみすみす見逃して撃たなかったことを話す。
コンラードは漂泊した国々の話をする。どこにいても異国人だった年月の話をする。
ヘンリクは答えがほしかった。長年考えてたまっていた言葉でコンラードに問い糺す。��について。二人が共有した情熱について、生きてきた意味について。
「なぜ僕にそれを聞く?」
コンラードは静かに言った。
「そのとおりだということは君が良く知っているじゃないか」
二人は無言で挨拶をし、深々と頭を下げた。
夜が更けてコンラードは帰る。もう遭うことのない将来に向かって。
「それではロンドンに帰るのかね」
自分に言い聞かせるように将軍は言った。
「そうだ」
「そこで生きていくのか」
「そこで死ぬんだ」
* * *
何も思わないで読書にふけった頃の香りがした。静かな気取りのないしみじみとしたいい作品だった。作者の影が投影されているように感じた。
余談が許されるだろうか。
ヘンリクは一方的に、自分を中心に身分や社会制度や二人の立場などの違い、根本的な心の向かう方向の違いがやっと見えたことを話す。それが不意にコンラードを駆り立ててしまったと思う。彼は自分の考えをコンラードに確かめたかった。それはそれでいい。人とはそういうものに生まれている。
「逐電」という言葉をコンラードは嫌がった。逃げたのではない、コンラードはヘンリクの問いに答えてはいない、ヘンリクはもう答えを出してしまっている。それでいいとコンラードは思ったのではないか、いまさらなにを言っても。過去に双生児だと見られようとも二人は一人ずつの人間で、ヘンリクはヘンリクの見方しかできないと、人はどんなに情熱的で純真だとしてもお互い全てを理解することはできない。ヘンリクのように41年間かかっても知ることが出来ない人間の心の深い闇を持っているのが、生きていくことなのだ。私も出来るだけ何事も隠さず生きたいと思うが、やはり触れて欲しくない部分はそれ以上に沢山持ち合わせている。
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冒頭からの導入が巧みで、最初から読み手をハンガリーの石造りの古い城館に引きずり込んで離さない。
語られていく過去や歴史、友情、愛、情熱、信頼、虚偽、欺瞞、絡みあう真実の時間。その重さ。
シャーンドル・マーライは、ハンガリーのコショ(現スロバキアのコシツェ)で1900年、ドイツ移民の家庭に生まれ。
ドイツで教育を受け、無名だったカフカの翻訳をしている。
結婚後、パリに住んだあと、ハンガリーに戻って作家として成功をおさめるが共産主義に反対し、イタリア、アメリカ、カナダと亡命先を転々とし、アメリカのサンディエゴで1989年自殺。
本書は、『マサイの恋人』『ゼルプの欺瞞』などを翻訳している平野卿子さんのドイツ語版からの訳で、2003年初版。
ハンガリーで忘れ去られようとしていたこの作家の作品は、近年、ヨーロッパで次々と翻訳され、高い評価を得ている。
ノクターンを聴くような美しい文章が秘められ續けられてきた熱く重い過去をゆらめく蝋燭の火として読者の心の芯に灯す。
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シャーンドル・マーライ、初めて読む
19世紀の雰囲気そのもの 大貴族でなに一つ足らない人生をおくるヘンリクと音楽の才能があるがヘンリクほど恵まれてないコンラードは親友だった
ヘンリクの妻クリスティーナも音楽を深く愛してる 彼女を愛するふたりの紳士
全編ヘンリクの一人語りですすむ古典的な小説
心に残るのはヘンリクの乳母ニニだ
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何の気なしにタイトルと装丁に惹かれて借りたのだが、読み始めてすぐに名作だと気付く。著者はハンガリー人、1940年の作品だが1990年代に再発見されてブームになったとの事。
原題は「蠟燭が燃え尽きる」
映画化してほしいと思いながら読んでいたが、あとがきでアンソニー・ホプキンスとジュリエット・ビノシュで映画化される予定と書かれている。
が、wikiで調べても見当たらない・・・
調べてたら日本で演劇は行われていた
http://www.teinenjidai.com/tokyo/h20/04_1/index.html