紙の本
宗教人類学とパズル、あるいは思考の原初形態とクイズ
2004/05/15 15:45
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
植島啓司といえば『男が女になる病気』とか『快楽は悪か』とか『オデッサの誘惑』とか『聖地の想像力』を想起するけれど、なぜ「名作パズル、ひらめきクイズで探る」なのだろう。あるホームページに「1947年東京生まれ。アジアの宗教と文化、生態系、コミュニケーション論などに興味をもち、なお競馬、麻雀のプロをかつては自称、飲み、打つを実践しつつ宗教を人間的な出来事としてとらえようとする」と書いてあった。このあたりに手掛かりがあるのか(たとえばコミュニケーションとパズルの関係とか、シャーマニズムとクイズとか)ないのか、などと考えていたら、あとがきに答えが書いてあった。
ある日、ブルトンとカイヨワの前にメキシコからいんげん豆が届いた。どういうわけか、手も触れないのに跳ねる。中に虫がいるに違いない、すぐ豆を割いてみようとカイヨワ。ブルトンは、その不思議に陶酔していたいので、そのままにしておこうという。《このエピソードこそが本書と宗教人類学(著者の専門分野)とを結びつけるものである。キイワードは「不思議大好き」。つまり、「われわれが理解できないもの(たとえば、霊魂)は存在しないのではなく、別のレトリックによって支配されているのではないか」ということである。宗教を信じるか否かというような問題はなかなかデリケートで、ここで観単に述べられるようなことではないが、少なくとも、この世には人智の及ばない「わからない」事柄がたくさんあって、なにもかも「わかる」ことよりも、そのほうがずっとすばらしいことなのだと、ここでは協調しておきたい。》
もう一つ答えが用意してあった。「おわりに〜巻末解答編」に書かれているのもなにか意味深長だが、それは件の「ディスコミュニケーション」の概念──「ただ伝達できればいいという時代は、実は一○年以上も前にすでに終わっている。これからは、何が伝達されないのか、どうして伝達されないのか、さらに、どうしたら伝達なしに済ませられるのか、という問いをあらためて立てなければならないだろう。」──に関連させて述べられていた。ことは「思考の原初形態」にかかわるというのだ。
《いかにしたら、そうした思考の根源的な働きへと立ち戻ることができるか、ということである。そう、自然環境や食べ物だけではなく、思考にもエコロジカルな発想が必要なのである。(略)サム・ロイドのパズルもそうなのだが、むしろ、なぞなぞやマジックや語呂合わせや目の錯覚の中にこそ、数百年(あるいは数千年?)にわたって脈々と伝えられてきたわれわれの思考の本質的な部分が隠されているのである。今後それらを楽しみながら徹底的に検証しなおしていきたいと思っている。》
なんとなく解らないでもないが、「幼いときからパズルとかクイズとかトリックの類が好きだった」と言われる方が素直に得心がいく。この「幼いとき」というのがキイワードだと思う。
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これはThat's rightだ。 「アウトサイダーアート」という本の後に、読んでいたのが、読んでいくうちになにか非常にその本と似たよなテイストを感じた。 こういう本を書いている著者の物腰の柔らかさというか、説得力はある意味、僕のツボなのかもしれない。 けど、本当、そのとおりだなーと圧倒されている間に読み終わったので、僕の負けです。
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レトリックが多く、非論理的で内容が浅い気がします。タイトルも中身を反映していないので、騙されないようにきちんと立ち読みする必要があります。
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新車らしく
知的好奇心をくすぐるような本でした
コンピューターとの比較で
生物にとって
間違えることによってこそ 新しい発見も可能となるのである
という所に ふむふむ
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先生の紹介してくれる世界はまだまだネットの検索なんかで分かったような気にならないことだらけで、むしろ安心する。これもそういう本の一つ。そんな問いかけをする著者は頭がいいのかって思う人も多いみたいなんだけど、そっちを論じ始めちゃうのはもったいない。いったい「頭がよい」って「頭がよい」だけで価値だろうかとか考え併せた時に、飲み会でパズルの出し合いになっちゃった的ノリで「こういう友だち居て良かった」と感じる方が人生楽しいよ(あれ、こんな書き方は怒られちゃうかな)。'07
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東大卒の宗教人類学者の人が書いた頭の良さについて。
「頭の良さ」とは、勉強ができることではなく、
直感やひらめきがどれほどあるかで判断することを
前提にして、
様々なパズルやテストや歴史上の天才を通じて
を通じて「頭の良さ」を考える。
IBMの開発したチェスのコンピューター
「ディープブルー」が世界のチェスチャンピオン、
カスパロフに勝った話は有名だが、
「ディープブルー」の思考記録を辿ると、
一度間違えた判断を下し、後でそれを軌道修正
していた。
出雲大社の狛犬が逆さに向いていることに聖海上人
は「すばらしい!きっと意味があるに違いない。」
と涙を流すと、周りにいた者も感嘆したが、
実は子供のいたずらだった。
IQ230のマリリンサヴァントの言葉、
「物事を書き留めたり、計算機を使わず、頭の中で処理
せよ。なんでも断定せず、柔軟な心を保とう。断定することは、学ぶことをやめることを意味する。成就したいことがあれば、すべて自分で行動せよ。」
等が印象的だった。
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本書を読むと、IQや偏差値では測れない本当の「やわらかい脳みそ」というのは、こういう所にあるんだろうと感じます。
実際のパズルを用いて読者の裏をかき続ける展開は非常に憎いですが、それがまた楽しい。
パズルの回答のみで、解説を載せていない所が多々あるというのは、それもやわらかい脳みそを作るための著者からの投げかけなのでしょう。
クイズ問題やパズルが苦手な人でも、きっと楽しく読めるはず。ぜひ一読を。
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[ 内容 ]
「頭がよい」という言葉は、日常的によく使われる。
しかし、実際にその基準はどこにあるのだろうか。
偏差値が高い、学校の勉強ができる…それが頭がよいということと、必ずしも同一でないのは、もはや自明になっている。
では本当の意味で、頭がよいとは何だろうか?
本書は、柔軟な発想やひらめきを必要とする名作パズル、難問・奇問を紹介しつつ、「天才」たちのエピソード、知能(IQ)をめぐるさまざまな事象などに触れ、「頭がよい」とは何か、どうすれば頭がよくなるのかを探っていく。
[ 目次 ]
あなたは次の問題が解けますか?
世界一知能の高い女性
モントリオール会議
何が測られるべきか、何が不必要か?
知能指数(IQ)
問題点
デボノの水平思考
なぞなぞ
トリックかいかさまか
考えられないことを考える〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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頭の良さを測るのにIQが用いられるが、それも頼りになるが、発想やひらめきでもあると述べられている。普通ではない逆の発想ができるかということを難問パズルを提示しながら説明されている。
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頭が良いとは何かを問う本。
「天才」とは、だれも思いつかないひらめきを持てる人のことを言うのかもしれない。
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IQが高いのが頭がよいというわけではない。
パズル、クイズがすぐ解けるのが頭がよい訳ではない。
それでは、頭がよいとは何だろう。
結論、頭の良い人はどんな事にも知恵を使う考えて考えて考え抜いた先にその答えのヒントが落ちている。
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「MENSA」の会員だったケヴィン・ラングドンの作成したパズルなどを紹介しながら、知性と「ひらめき」について著者自身の考えをつづったエッセイというべき本です。
論理パズルのような内容を期待した読者は、おそらく不満を感じるのではないかという気がしますが、著者の考えをあえて好意的に解釈するならば、人間的な地平における知性とそれを超えるものとの接点として「ひらめき」をとらえてみたい、ということであるように思います。ただそうした主題をあつかうのであれば、パズルやクイズの本のような体裁で提出すのではなく、著者の本領である宗教学プロパーのテーマとして論じたほうがよかったのではないか、と思えてなりません。
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新書の類は、あまり手を伸ばしたことがなかったのだけど、パズルだのクイズだのが気になったので、読み始めました。
軽い気持ちで読み始めたのだけど、これがなかなかに濃厚な本でした。
メモを取りながら読めば良かったと後悔。
「アジャストメント」を読んで、「SF小説だけど、結構、哲学的要素も入ってるんだな」と漠然とした感想を抱いたのですが、ここでもちょっと(というかかなり)哲学的だなという印象。科学と哲学は切り離せないものなのでしょう。初版を見ると、2003年。そこから15年経っているけれど、現代人の目にもっと触れてほしい一冊。
最初の方の、マリリンの言葉と米原万里の対談での話しは、個人的にすごく印象に残りました。
多角的に、柔軟に思考する。難しいけれど、常に心掛けようと思いました。