紙の本
大兄,ユ,ユリシーズが文庫でこの値段ですぞ。これを買わないで何を買うって言うんですか。
2003/11/06 23:21
14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:respondeo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ほんの数年前,本書がはじめて集英社から出たとき,文学少年だったぼくは本書が陳列された書店の棚の前を,羨望のまなざしとともに徘徊したものだった。三冊で,1万2000円(と税)。それは,明らかにひとつの本に費やす値段ではなかった(と税,は今より安かったが)。
それが,だ。あなた。デフレだかなんだかしらないが,文庫になって,一冊1200円だということだ。これは凄いのだ。集英社はエライのだ。この本一冊必死で翻訳することを考えてみればタダみたいなものではないか。なにせ『ユリシーズ』の英語は難しいのだ。下手すると本当に死ぬかもしれないぞ。そうでなくても,英文学研究者になってそのまま御陀仏かもしれないのだぞ。
それが,だ。あなた。デフレだかなんだかしらないが,文庫になって,一冊1200円で,しかも単行本についていた詳細な「註」は,そのままちゃんと残っているのだ。凄いのだ。この註がまた半端ではないのだ。当時のダブリンの様子からトマス・アクィナスの『神学大全』まで何でも載っているのだ。ほとんど,偏執狂なのだ。なにせ『ユリシーズ』の註釈はたいへんなのだ。下手すると本当に死ぬかもしれないぞ。そうでなくても,英文学研究者にそのまま御陀仏かもしれないのだぞ。
それが,だ。あなた。デフレだかなんだかしらないが,文庫になって。一冊1200円で,しかもなんと内容は同じなのだ。涙が出る。凄いのだ。感動なのだ。買うしかないのだ。
註:内容については何もふれなかったが,一言で言うと,登場人物たちがのべつくまなく,おしゃべりをしたり,蘊蓄をたれたり,エッチなことを考えたり,まあ,そこらへんのきみやぼくと同じようなことをえんえんえんえんと続けている小説なのだ。とにかく,えんえんえんえんえんと続くのだ。筋なんてどうでもいいのだ。で,それが面白いかって,面白いのだよ。
集英社はエライのだ。
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正に偉業──100年前に為された,cutandpaste,そして,remix。
2005/10/21 15:59
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投稿者:phi - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は 100 年前の文学におけるヒップ・ホップですね。全体を通じて流れる“ビート”に当るのが『オデュッセイア』で,その上に,多種多様な文学・思想・ノイズなどが,サンプリングされ,載せられています。今思い付く所では,大友良英のや David SHEA の作品とのアナロジィを感じますね。又,各章,文体ががらりと変えられている,という点では,18 人の MC たちによるマイク・リレイ,と考えることも出来ます。現在では,サンプリングも当り前の手法ですが,1 世紀も前にそれを,発想し,実行したジョイスは正しくパイオニアです。リアル・ヒップ・ホッパですね。
後,真剣に本作品に取り組みたい,と考えるのでなければ,必ずしも,前以て『オデュッセイア』を読んでおく必要は無い,と思います。しかし,『ダブリンの市民』と『若い芸術家の肖像』──これら 2 つは必読でしょうね。■
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素晴らしい訳業
2023/06/18 21:09
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投稿者:mori - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジョイスの言葉遊びは、この作品の魅力の一つではあるが本質ではない。日本語でユリシーズを読む意味はないと言う人がいるが、その人たちはジョイスの天才をその言葉遊びのみに帰している愚鈍な読者である。彼の天才は言葉の音で遊ぶのみならず、それが持つイメージを自在に操るのである。その結果として彼はどうってことない日常を、ダブリンの平凡な日常を比類なき芸術に昇華している。この翻訳がユリシーズを100%日本語で表現できているとは言わない(勿論翻訳でそんなことはできない)が、最初から最後まで正確に訳されており、隙のない注釈が付いている(注釈が嫌なら無視すれば良いだけの話である)。このような世界が誇る作品を、優れた日本語で読めるということに我々は感謝すべきと思う。
ちなみにだが柳瀬さんの訳で読むのも非常に面白い。どちらにせよ、ユリシーズの魅力は、日本語に変換されようと、一向に減じる気配を見せないのである。やはり、至高の芸術作品と言わざるを得ない。
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難解。未だに読めていない一作。翻訳本にしては字のサイズが大きめで読みやすいのでそういった所に抵抗を覚える人向けだが、……。本当に難解。
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ダブリンを歩き回りながら、伊達男の頭ん中と、駄目男の頭ん中と、文学の歴史のお散歩のはじまりはじまり。
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あまりにも難しすぎるので、言葉の拾い読みをして文章力や語彙を磨くためにしか活用出来ていない現状。
とりあえず文体がかっこいい。乾いていて怜悧。こういう、切りつけてくるように鋭い文章が憧れです。
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想像していたイメージとは全く違った。突然、金づちで頭を殴られたような…意味不明な衝撃。なんなんだこれは??という疑問と疑念が常に頭から離れない。このような適度な衝撃は現代アートを鑑賞する際に味わえる感覚だが、文学においては初めて味わった。
ダブリンを舞台に現実と不可思議が交互に入れ替わる世界観は何故か病みつきになり、一度読んだら手放せなくなる。あくまでも内容より印象しかわからないが、やっぱりなんか凄い作品だ。
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丸谷 才一, 高松 雄一, 永川 玲二共訳は
学生時代に河出書房の世界の文学全集で
読みました。
いちおう最後まで読んだのだけれど、
テーマがよくわかりませんでした。
それからジョイス自身が朗読しているテープと
英文で読みましたが、やはりわかりませんでした。
そして今回が3回目。
まだこの文学の素晴らしさがわかりません。
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わからないところも多いけれど、ディーダラスがひげそりのボウルを見つめるところとか、ブルームが朝食の支度をするところとか、細部の描写が楽しかった。
これからどう展開していくのか楽しみ。
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「ユリシーズ」を文庫で読めるなんて、いい時代になりました。お薦めです。
ところで詳細な訳注がついています。一字一句といえるほど(?)事細かな説明がついています。これはこれで貴重なものですが、これらをすべて読んでいたら、とても読み終わりません。少なくとも、本文の流れを味わえないままになりそうです。
どこまで注に当たるかは、結局は読者自身の判断なのでしょうが、私には冗長すぎるように思われました。
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『ユリシーズ』はジョイス入門の決定版。『フィネガンズ・ウェイク』以前のジョイスを読むことでもあるし、ジョイスとは何か、参照や引用の概念を分かりやすく見られる。こちらは『フィネガンズ・ウェイク』と異なり注釈と解説も詳しいため、実際に内容を完璧に読まなくとも理解は可能だし、各章の設計図が何よりも役に立つ。
「ジョイスは難解」と叫ぶ前にまず読むことだと思う。実際に翻訳を通している段階ですでに本質を理解しているわけではないし、『フィネガンズ・ウェイク』は「読んだ」の定義自体自分で成す作業を指す作品のことだ。大胆にジョイス解釈はされて構わないと思う。
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「今自分がどこにいるのか分からない」
「知覚の知覚を疑う」
そういう体験をするために人は読むのではないか、とさえ感じられる。
人間の様態なんて大したことはないのだろうけれど、それでも一つの個体が一つの個体として息をして暮らすということの自明性に影を落とすような…そんなことも思ったり。
ってちょっと待って!この本について「読む」という言表が正しいのかどうか?
2巻以降については読むかどうか分かりません。気が向いたら…
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プルーストの『失われた時を求めて』と並ぶ20世紀文学の金字塔だが、難解さはこちらの方が圧倒的に上。何せ本編のページ数に対して脚注がその1/3頁もあるという異常な構成が4巻も続き、その上言葉遊びや語呂合わせ、"ジョイス語"とも呼ばれる翻訳泣かせの技法が縦横無尽に繰り広げられるのだから。プルーストが描いた意識の流れが1点から徐々に拡散していく、紅茶に浸透するミルクの様なものに対して、ジョイスの描くそれは個々の単語が語源や発音から派生し、無数の文脈を同時多発的に発生させる電子回路の様相を帯びている。偉業にして異形。
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花男ことブルームはちょっと残念な性癖の持ち主である。あらぬ妄想で頭を一杯にしながらダブリンの街を徘徊する。「ユリシーズ」はオデュッセウスの英語読みでホメロスの『オデュッセウス』をベースにアイルランドの歴史、文化、実在した人物、文学、カトリック、プロテスタント、ギリシア・ローマの文化などなどで肉付けした物語。プルーストと並ぶ20世紀を代表する文学で「無意識的記憶」に対して「妄想の澱み」という感じ。単語から次々と連想が生まれ、会話も韻を踏んだり、懸詞が多様されており、源氏物語や好色一代男とオーバーラップする。
登場人物が多くて、ミスター・ブルームとスティーブン・ディーダラス(『若き芸術家の肖像』の主人公でジョイスの分身)以外は記号のような感じなのでなかなか頭に入らない。巻末の人名一覧で探しつつ、本文を読み、訳注を読むのでなかなか大変だった。じつはたいしたストーリーではないがとにかく先を読みたくなる「読ませる力」は『百年の孤独』と同じでさすが20世紀の古典という感じだ。とにかく先が読みたい。
『ダブリンの人々』や『若き芸術家の肖像』に登場する人物が出てくるがほとんど覚えてなかった!シェイクスピアを引用してもじってある部分もほとんど覚えてなかったり…。『神曲』や聖書も同じく。
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挫折して十年越しに全4巻読了した。各巻100ページを超す注がとてつもなく多い。しかも2段組みの小さな字の注である。しかし本文でわからない言葉はかなり少ない。このあたりは源氏物語とは雲泥の差である。『オデュッセイア』を下敷きにエンターテインメント要素もあり、俗語、猥語の集合住宅とも言える。話の筋は特にない。寝取られ亭主の深夜の帰宅後の妻の独白と思われる言葉で話は閉じられる。アイルランド・ダブリンの実在の施設、家、商店や人物を背景と筋の一部にしているあたり勇気がいったことだろう。文学の表現力の極致に浸れた。