紙の本
パリンプセストあるいはアビーム構造としての幻想譚
2003/10/22 14:45
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
パリンプセストとは、要約すれば西洋の古い文献において羊皮紙に書か
れたテクストが長い年月を経て消滅しつつある上から更に新しいテクス
トが記述され、幾度となくそのライティングが重ねられ多層のテクスト
が一枚の羊皮紙に内蔵されている状態のものをいう。
アビームとは、要約すれば西洋紋章においてひとつの図像のなかに更に
図像が存在しこれもまた多層的な読み取りが要請される複雑な構造を有
した状態のものをいう。
ルーマニアという多様な歴史的背景を持つ国が生んだ、偉大なる宗教学
者であるミルチャ・エリアーデは、その論理的な構造に満ちた難解では
あるが極めて明解でもある宗教学の研究書と共に、本書に代表される上
記のパリンプセスト的あるいはアビーム構造を有した多義的な読み取り
を要請される幻想譚としての小説を書いている。優れた宗教学者は数多
く存在すれども、エリアーデのようなケースは余りないといっていいと
思われるし、その小説が学者の余技などというものではなく、カフカに
双肩しうる強度を備えたものであることは驚嘆すべきことである。
導入部は日常的といっていい。これはエリアーデの小説全般にほぼいえ
る事柄であるが、この200ページに満たない小説世界は読み進んでい
くうちに、途方もない時空の変換と多層な小説構造のなかに読者を導い
ていく。その、現実と幻想のハードルを一気に飛び越えるがごとき水際
立った手法は、エリアーデの宗教的知識がバックボーンとなっているこ
とは疑いもないわけであるが、それらを幾層にも重ねることによりエリ
アーデしか達成できなかったと思われる摩訶不思議な世界に入りこんで
いる自らに気付く。従って読了感も非常に奇妙な余韻を残しつつ、再び
本書の、もしかしたらアクセスしていなかったかもしれない羊皮紙の何
処かに書かれた謎を解くべく、再読を促される訳である。
また、本書は、エリアーデの他の小説とはいささか趣きを異にするミステ
リー小説として読むことも可能ではあるが、これも最終的にいわゆる謎解
きを期待すると肩透かしにおわる可能性がある。単なる回答らしきものは
本書にはあらかじめ用意されてはいないからである。
「妖精たちの夜」「マイトレイ」等の更に複雑な構造を有したエリアーデ
の幻想譚にアクセスする為の、エリアーデ流時間空間変換手法に習熟して
おくテクストとしての小説としておすすめの一冊であるし本書を読了した
のちは必ずやエリアーデアディクトとなっていることを実感されると思う。
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私がエリアーデを初めて知ったのは、確か大学受験のとき、波平恵美子さんの『いのちの文化人類学』の文章中にエリアーデの日記が挿入されていたのが初めてのエリアーデとの邂逅でした。以来、何度か氏の文章に挑戦したことはありましたが、その度に自身の宗教知識の希薄さと読解の甘さを痛感します。未だ“出会いそびれ”ている作家の一人です。本書に関しても、巻末の直野敦氏のあとがきを読んで、その文章の重層性に初めて気付かされました。文章全体を支配する冷たく、そして暗いタッチは彼個人の宗教的無常観に由来するだけではなく、彼の母国ルーマニアの抑圧された歴史にも起因しているのだと、そんな当たり前のことに読了後気付かされました。とにかく、幻想的で難解な小説ですが、一部にミステリー的な要素も組み込まれていて、多少は楽しんで読むことが出来ます。ただしね、登場人物の名前を覚えるのに苦労を要するということだけは、間違いないと思われます。
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エリア-デは宗教学者だけど幻想小説もかなり書いてるの。
そんでもってそれがまたイイのよ!
騙されたと思って『ムントゥリャサ通りで』読んでみそ。映画みたいにカコイイぞ!
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不思議な読後感。地下の国は黄泉の世界ではなくて、ピラミッド帽子よ、さようならとか星を追う子供と同じ世界なんだと思ってたのに、森に隠されていた宝を掘り出して隠したとか言われたりよくわからない。
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幻想小説に見せかけてSFに見せかけてミステリに見せかけて幻想小説。謎の老人が訥々と語る昔話を軸として物語は進むが、魅力的ながらつかみどころのないその内容に人々は翻弄されてゆく。語る老人の中の時間が進まないのと対比的に、その外側では事態が刻々と変化していく。しかし、その「外の状況」にはほとんど触れられずに本は終盤に進み、はたして事実はどこにあったのかわからないままに終わる。掴めそうで掴めない真相に踊らされる感覚がなんとも不思議な読了感を生む。面白。でも変な小説だなぁw
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第二次世界大戦後の東欧、
殊にルーマニアの政治・社会情勢がわからないと
理解しにくいだろう中編小説だが、
わからなくてもモヤモヤしつつ面白い、幻想ミステリ。
主人公はムントゥリャサ小学校の元校長である老人
ザハリア・ファルマ。
かつての教え子の一人、
内務省のボルザ少佐に面会を求めたが、
相手には身に覚えがなく、不審人物扱いされて、
翌日、保安警察に連行され、
ボルザの友人でもあるドゥミトレスクに尋問される。
ボルザ少佐への用件は何だったのかと問われたファルマは
異様に回りくどい思い出話を開陳。
内容は過去の記録に照らすと事実だったが、
ボルザの記憶とは一致しない。
ファルマは拘留されたが、
話があまりに長いので紙とペンを与えられる。
長大な時間を行き来し、
複雑に入り組むファルマの昔語りは
いつしか外部に漏れ出し、多くの読者を獲得するに至るが、
未だ核心に辿り着かず、役人たちを苛立たせる……。
聞きたい連中と語りたい老人の意図・目的は
いつまでも合致せず、平行線を辿るうちに、
老人の与り知らぬところで政治的な事件が起きていて、
聞く側はそれを過去のエピソードと関連づけて
解釈しようとするが
老人は首肯しない――という不条理な展開。
彼は常に低姿勢で言葉遣いも丁寧だが、
実は高官たちを振り回しているのが愉快。
何かをかくすためにお喋りをしてた
ずっと
何かを言わないですますために
えんえんと
(岡崎京子『リバーズ・エッジ』p.219)
彼の態度はこの素晴らしいモノローグを連想させるが、
もしかしたら本当に単純に語りたい、記録したいだけで、
他に目的はなかったのかもしれない、とも思える。
書きたい人 vs 読みたい人 の
着眼点の違いと噛み合わない思惑を巡る物語、
のようにも受け取れた。
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作者のエリアーデは世界的に有名な宗教学者だそうだ。
数多くの宗教関係の本を出版しているが、幻想小説もかなり書いているとのこと。
本書はそんな幻想小説の一つ。
幻想小説、と言われているが、どちらかというとミステリーに近い印象が強かった。
ファルマという老人の回想録を中心に物語は進む。
その回想録の中には、確かに幻想的な内容が豊富に含まれているが、その話がどこまで真実なのか、あるいは作り話なのか、その話に絡む現実世界で進行する事件の核心とは、ファルマが一体どこまで真実を知っているのか。
背景には第二次大戦後のルーマニアの社会情勢も絡んでくる。
ラストの一文のインパクトも含めて、先に先に読まずにはいられなくなる面白さはあるのだが、掴みどころがないのも正直なところ。
登場人物の多さも含めて、再読したくなる一冊だった。