紙の本
偶然のなかの書記,唯物論的な偶然──を資料の駆使してえがいたすごいお仕事
2004/01/13 02:14
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投稿者:ヨネ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本語で書くときって,タテにもヨコにも書けますね.これは,日本語が身についている人なら,どっちの方向でも読んでくれるって安心しているから.それどころか,公式な書類をつくるのにも,どっちを採用してもいいから,権威的にもオッケーですね.
タテ/ヨコに書く習慣がいきわたっていることに信頼感があるから,どっちで書いていいよな,「書くことができる」と思ってるわけです.でも,たとえば英語のレポート出してね,なんてときには,タテに書くわけにはいかない.文字をタテにならべるのはできても,たぶん,そんなのは受け付けてもらえないし,そもそも,ぼくじしん,そんなの疲れるからやりたくないですし.くりかえすと,ことばをある方向で書ける,ということは,そういう信頼感や習慣があってのことです.
屋名池さんが出したこの本は,そういう信頼感と習慣がどんなふうに形成されてきたのかを,資料を駆使して説明しているお仕事です.とても理論的な仕事.理論的だってというのは,2つのちがった意味においてです.
第一に,日本語の書記の研究から,「書字方向」・「行」といった単位をとりだして,その概念をぴしっと明瞭にしたこと.こういう単位は,一般的にみられるもので,喫茶店のメニューにも,ヘーゲルの手稿にも,ひとしく当てはめうる.こういう単位をとりだしておくのは,とても大事.たとえば,ことばを横書きするっていうのは,たんに「文字」を横並びにアレンジするってことじゃない.文字がヨコにならんでいても,一列だったら「一字ずつのタテ書き」ってことがあります.
《一行しかなければ,右横書きは一行一字の縦書きと見分けがつかない.二行以上であっても,行変わりの部分が意味の切れ目でもあるものは,一行一字の縦書きのブロックを複数上下に配置したものとも見られる.》
こうして,「行」という単位が,書記行為にとって有意味な単位としてとりだされるわけです.
「理論的」だという第二のわけは,ことばをある方向で書くという習慣が,ある歴史的な「交渉」のなかで形成されてきた過程をとりだして描いたこと.資料がしめすかぎり,日本語の書記には,いろんな書記方向があった.それらの書記方向が錯綜しているのが,ある時期までの日本語の風景だったわけです.もともとは縦書きしかなかったところへ,「外国語」との接触から,横書きが現れます.
その過程を要約して,屋名池さんはこういいます.
《日本語における横書きは──右横書きも,左横書きも──横書きする外国語の文字との関わりから生じたもの》
いま,ぼくたちは縦書きなら右から左へ改行してつづけ,横書きは左から右へつづっていきます.けれど,こうしておさまりがついたのは,いろんな偶然の作用があってのことで,もしかすると,ほかの書字方向のほうがドミナントになっていたかもしれません.
《日本語に新しい書字方向が生じたのは,当時の日本の社会にそれを受け入れる社会的条件がたまたま備わっていたからだ.そういう意味で,日本語における横書きの成立は,時間と空間の条件に制約された一回性の歴史的な事件だったのである.》
それに,屋名池さんによれば,これまで主だっていた縦書きが,横書きの優位に取って代わりつつあるといいます.
このような交渉の歴史は,同時に,文字についての歴史主義的な意味づけにおおわれた過程でもありました.たとえば,「右横書き」は「伝統的」で,「左横書き」は「欧米の模倣・モダン」〔「駅名標事件」〕といったように,伝統/モダンの対立に重ねあわされたりした(でも,右横書きだって,一時期には,オランダ語のスタイルをまねっこしてみる異国趣味の産物としてあったんだけど〔第5章〕).そして,こうした歴史主義の言説をも要因として,歴史はつづいていくわけです.
garden B
紙の本
横書きは多様性の獲得
2003/12/05 08:40
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投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
われわれは縦書き・横書きが混在していても何の違和感も持たない。いま本から目を上げると、駅のプラットフォームが見える。柱には駅名が「縦書き」されている。天井からぶら下がる駅名板、こちらは「横書き 」だ。世界中の言語は縦書き・横書きいずれかにこだわっているが、日本語のように融通の利く言語は少数派だという。
本格的な「横書き」が生まれたのは、幕末・明治初期のことである。江戸時代以前でも、欄間の扁額などに右横書きが見られるが、あれは1行1字の縦書きであって、横書きではない。右から左へ読み進むのは、 1行が1文字だけの縦書きで行が移ってゆくからだ。本書は、この「横書き」の歴史を、膨大な資料——書籍はもちろん、新聞、紙幣、鉄道切符、看板など——を渉猟し実証的に追跡したものである 。
著者は、平面利用の多様性——縦書きと横書きの混在——は近代の日本語が得た貴重な財産だという。多様な道のあることが日本語の表現を豊かにすることだと。横書き登場以前の日本語の書字方向は、縦書きという枠の中に自らを閉じこめていた。横書きの登場により、それまでの書字方向の「きまりごと」から自由になることで、使い勝手のよいシステムとなってきた。近代化とは、合理的な根拠のない「きまりごと」から自由になってゆくことであるとすれば、日本語の書字方向は横書きを得て、近代化したのだと。
小説などは、今後とも「縦書き」が残ってゆくかもしれない。特に作家からはこだわりの声が聞こえる。しかし、心理学的研究によれば、縦書き・ 横書きの有利不利は、慣れによるところが大きく、両者に有意な差はみとめられないとのこと。
左横書きが一世を風靡するようになったのは、戦後である。著者が注目するのは、左横書が、国語改革(当用漢字表や現代かなづかい)のように 、国家によって強制されたものでなかったこと。左横書きへの統一は戦後の日本語表記の変革のうち、唯一 、草の根が生み出し成就させたものだという。欧米先進国が用いている横書きの方が合理的にちがいないという信念・信仰が先立っていた可能性も高いと。やはり、ここにも欧米コンプレックスがあったのかな。
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書字方向の変遷に関して論じてある本。
私個人が日本語の表記に特に興味があるので読んだのだが、様々な資料が挙げられており、面白かった。
書字方向自体の議論も面白かったが、それ以上に私の関心を引いたのは、「外来のシステムが入ってきた際に一時的な不安定な状態が起こり、それに対して安定化・自己修復が起こる」という結論部分である。これは必ずしも、言語だけに関することではなく、教育もそういう要素を持ちうるように思う。
生徒さんの安定化・自己修復を活性化するような外的刺激でありたい。
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横書き、これまたほとんど知らないだけに楽しい文字論本。
「とにかく外国語との接触で横書きは生まれました」というこの本の主眼が紹介されたところで読み止っているので、早く続きを読もう。
0710読了。
後半も読ませてくれました。とにかく横書きの歴史がこれでもかと連ねられている。どんだけ早くから左横書きも成立していたのか、そして『右横』対『左横』プラス縦書きの関係・・・『書字方向スタイル』などなど、鱗がポロポロでした。これまた新書で気軽に出したのが「?」となるような濃密な本でごわす。
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言語学でも文字論はあまり授業されないし、されても周辺的にしか扱われないような気がするが、この本は、その中でも「統字論」、つまり書字方向について扱った本ということで、面白そうなので買って読んでみた。(そういえば、文字と使用者の関係を考える「字用論」なるものはないのだろうか、と一瞬思ったりした。例えば字体について考える、とか。もちろんこの本にもどんな人がどんな時に縦書き、横書きをするという話が出てくるので、それは「字用論」なのかもしれないが。)
これまで、「昔は縦書き、今は横書き、そういえば昔は右から書く右横書きもあったらしい」くらいにしか思っていたが、この本を読むと、意外と早くから横書きがあったこと、それでも実は横書きではなくて、1行1字の縦書きであること、決して右横書きが日本的なものではないことなど、想像に反することが豊富な図版や用例とともに、その歴史を探りながら丁寧に紹介されている。特に、右横書きと左横書きのせめぎ合いについては興味深く読むことができた。意外と昔から左横書きが優勢だったんだなあという印象を受けた。
資料の中には、鉄道の切符の話もでてくるが、そういえばJRの切符は駅名表示が縦書きなので、昔から横書きだったという切符の歴史からすると珍しいことじゃないかと思った。しかも駅名が長い場合(例えば「葛西臨海公園」駅の場合)は、左から右へ行移りするという、これまた珍しいことではないだろうか。そして、これはJR東日本のことだが、JR西日本の「ユニバーサルシティ」駅の切符の駅名表示はどうなってるんだろうか。今度確かめてみようと思う。あと映画の字幕も縦書きと横書きがあるが、今は横書きが主流のような気がするけど、字幕の歴史を調べてみるのも面白いかもしれない。
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[ 内容 ]
縦か横か?
右からか左からか?
なにげなく見過ごしがちな日本語の「書字方向」に注目してみよう。
横書きはいつどのように登場し、定着していったのだろうか。
現在の左横書きが受け入れられたのはなぜか。
浮世絵から教科書、電車の切符に至る数多くの実例を示しながら、書字方向の変遷を精密にたどる、異色の近代日本語史。
[ 目次 ]
はじめに――なにが問題なのか
第1章 世界の中の縦書き・横書き
第2章 横書き以前
第3章 古代の「横書き」
第4章 横文字流行
第5章 右横書き登場
第6章 左横書き前夜
第7章 左横書き登場
第8章 横書きという事件
第9章 左横書き――新たな用途
第10章 右横書き――新たな用途
第11章 横書きを使う人々
第12章 「書字方向スタイル」
第13章 走る横書き
第14章 横書き専用の文字体系――速記と点字
第15章 二大スタイルの時代
第16章 数を書く
第17章 折衷の時代
第18章 「左横書き専用」の光と影
第19章 右か左か
第20章 横書きの戦後
第21章 縦書き・横書きの現在と将来
第22章 近代日本語の書字方向の流れ
第23章 空間の中の時間
おわりに
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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いまや日本における文章は,横書きが大部分である。私自身,読書以外で縦書きに触れる機会はほとんどない。しかし,江戸中期以前には,縦書き以外の文章はなかった。幕末から明治にかけて現れた横書きは,どんどん広がり,縦書きを駆逐しつつある。四半世紀も前に向田邦子は,某作家のひそみにならって「縦の会」をつくりたいな,なんて書いて縦書きの劣勢を寂しがっている。いったい横書きと縦書きの逆転は,どのように起こったのか,なぜ起こったのか,この本はそのあたりを解明してゆく。多くの文献資料に基づいた分析は,さすが学者の仕事だ。書字方向についてで一冊にするなんて,新書にしてはまことにマニアックだが,こういうの大好き。
言語は一次元だ。音声言語は時間的な音の並びで表現されるし,そこから生じた文字言語も文字を一続きに並べていく。この,音声の時間配置から文字の空間配置への変換は,文字をもつどんな言語でも同じである。どのように文字を並べるかは言語によりけりだが,数パターンしかない。大きく分けて縦書き,横書き。さらに分けると,縦書きは左へ改行するか,右へ改行するか,横書きは行の始まりを右にする(右横書き)か左にする(左横書き)か。不思議なもので,下から上への縦書きや,横書きで下から上へ改行するものは,暗号やパズルなど特殊な用途を除き,社会に受け入れられることはなかった。画面の下から画面の上への流れは人間にとって不自然なのだろう。古くは,改行毎に右横書きと左横書きを切りかえる牛耕式と呼ばれる方式があったが,既に姿を消している(正確には,牛耕式では改行するわけではなく紐のように連綿と文字列をつなげていく)。
本書ではまず,書字方向の種類についての定義をおこなう。縦書きの日本文の中で英単語などの横文字を横転させて書くことがあるが,これは縦書きでなく横書きという,などなど。縦横は,画面に対する文字の排列方向ではなく,上下左右のある個々の文字に対する文字列の排列方向というわけだ。議論を明確にするうえで,このような定義は有用だ。また,横書きの出現を論じるには,右横書きと,一行一字の縦書きとの区別を明確にすることが必要である。筆者は横書きの基準として,「二行以上書かれていて意味の切れ目に関係なく改行しているもの」とし,さらに一行しか書かれていなくても横棒の長音記号「ー」など,横書きでしかありえない文字が使われていれば横書きとしてよいとする。
この前提でみると,日本語に横書きが現れたのは,江戸後期である。オランダ語の文字の並べ方が日本語の表記にも試みられ,これに新しもの好きの庶民が飛びつく。ただし,右から左へ行移りする縦書きの類推でみんなが読めるよう,多くは右横書きされた。ただ,これは一時的な流行にすぎず,日本語表記の原則が縦書きであることは変わらなかった。右横書きは明治の近代化で,切手や切符,紙幣などにおいて横長のスペースに使われるようになる。
左横書きが普及するのは,明治期になって,西洋の知識を吸収していくころである。知識人が,この書字方向を日本語の表記にも用いるようになった。なぜかというと,彼らの書く文章では,ときに左横書き��横文字と日本語を混在させる必要があったからである。左横書きと縦書きを混ぜるには,どちらかを横転させる必要があるが,これは手書きの当時にあっては大儀だ。左横書きと右横書きも混ぜてしまっては紛らわしい(アラビア語など問題ない場合もあるが)。個々のページ中には混在がなくても,左横書きと縦書き・右横書きでは,製本するときに綴じる向きが違うのでやはり都合が悪い。
そんなことで,明治時代は「縦書き(+右横書き)」スタイルが大衆に,「左横書き専用」スタイルが知識人に普及する。その後,大正昭和と中間層が増えてゆくと,左横書きが一般にも広がり,縦書きを基調にしながら,雑誌や新聞の見出しなどで右横書きにかわって左横書きを併用するものが出始める。左横書きは何も戦後突然出現したわけではないのだ。一方,戦前,戦中には国粋的立場から左横書きを排斥する声もあった。その反動か,戦後には民間主導で横書きは左からになり,次第に公文書からも縦書きは減ってゆくことになった。裁判所の判決まで横書きになったのは,今世紀初頭だったろうか。電脳社会では,左横書きが隆盛を極めている。
筆者は書字方向の将来について,文藝の分野ではしばらくは縦書きが残るだろうとしている。たださらに先の予測は難しい。書字方向は社会的なもので,皆が受け入れるかどうかという不確定の要素が支配的だから。しかし縦書きは衰退しても消滅することはない,ということだけはいえる。本の背表紙,看板など縦長のスペースに文字を入れたいことはいくらでもあり,それには横転横書きより縦書きが便利だからだ。縦横自在な文字をもつ言語は珍しい。日本語のその特性が活かされなくなることはなさそうだ。
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日本語・国文学を学んだ者にとって、左横書き(左から右に書き進めていく横書き)は「実は一行一文字の縦書」であるという認識があるのだが、それが果たして本当なのか。また、同時に戦後の横書きの急速な普及は政府主導ではなく民間主導の出来事であり、「戦前・戦中は右横書き、左横書きは戦後になってから」というのは伝説に過ぎないことを実例を丁寧に上げながら検証している。本当の意味での横書きは「複数行に渡って書かれていなければ正確に検証できない」という点には盲点を突かれた感。
余談ではあるが、落語や講談などで文字の読めない町衆が主人公の話がある反面、日本には江戸時代「寺子屋」があったので一般に思われているほど文字の読み書きが出来ない人間は多くないという話も聞くのだが、その実態も明らかのなっているのも読み得した気分になる。
著者の屋名池誠は自分の一歳年上と同じ世代。世代的に関心のある事は共通点が多いなぁと思ったりして。
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おそらくこれまでは存在しなかった横書きの研究本、岩波新書としては硬質で信頼に足る一冊。この研究を一歩進めれば、松岡氏が云うような日本人のdual standard(double standard)の有り様も見えてくる。石川某という書家の縦書き論と併せて読めば興味深い。
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縦横、そして横は右横、左横とも使えるという便利な日本語。このようにいろいろな書き方が出来る言語は世界にも類をみないというが、もともと縦書きのみの世界からどのように横書きが導入されてきたのか、その歴史を詳細な記録の研究により明かしたものです。当たり前のように思いながら、横書きが右から始まり、左に一挙に移っていった経緯。もともと1行に1文字単位の書き方が右縦書きだった。そして最初は横倒しの文字で縦書きを行った文書も残っているという。そして右左が国粋主義と国際主義の対立の象徴ともなったという戦時中の話は興味深いです。戦後、1945~48年の間に左横書きに雪崩を打って変化していくのはやはり左が有利だったからなのでしょう。左横書きは決して戦後出てきたのではなく、西洋の語学、数学などを学ぶうちに便利であると定着し、1920年頃から知識階級では用いられていたというし、すでに市電切符その他には使われていたという。一方、国鉄での駅・切符の右から左への切替えが遅れたのは、国粋主義の巻返しに影響されたというのは納得です。左・右が併用された時代も長かったようであり、その時代の文章の読み方の難しさは推して知るべしと思われます。かくゆう私自身も物心ついた頃から左横書き一辺倒であり、特にメモは横書きでないと不可能です。今後、横書きは更に拡大する可能性が高く、書道のみに縦書きが残る時代はそう遠くない将来かも知れません。
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右から左に、横方向に読んでいく看板やポスターにレトロな趣を感じる。このような形式が一般的であったのが戦前で、左から読む横書きが日本中に広まったのが戦後かなあ、という漠然としたイメージがありました。
しかし、そうではない、そうではないんだ!
空海から江戸の蘭学者の横の方向に書かれた文字もあった。そして開国、西洋技術の移入。アルファベットやアラビア数字と共存できる書写方向の必要で明治からどんどん広まっていった左横書き。戦前にはかなり広まっていたんですね。
結論としては、左横書きは明治以降の西洋技術をまるっと移入した部門や、それらの技術、近代的政府組織に関係のある人たちから使用がはじめられた!で決めてしまっていいとは思うんですが、ビシッとこう!みたいにすぐ結論付けず、例外とか、左横書きから右横書きへという反動現象も紹介されていて、読者に対してフェアに論証が展開されるところが好きです。
あと、書字方向と時間の流れに対する意識の関連についての考察が目からウロコでした。
ほんとうに、あたりまえの、珍重されないものって残りにくいですよね。
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お世話になった屋名池先生の本。奥様が10ページと読んでくれなかったと嘆いておられました。昔の右横書き(右から左へ)は実は横書きではなく、1行縦書きということでした。へぇ
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横書きが登場し、横書きの左右が混在していた時代のことや、現在の左横書きに到達するまでの変遷が膨大な史料をもとに描かれている。縦書きにも「左縦書き」があったことにびっくりした。
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左書きと右書きが共存していたのは知らなかった。
右書きを使わなかった夏目漱石などの考察や豊富な図版があり面白い。
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「伝統」とは一体なんだろう?何年続けば「伝統」になりうるのか?そもそも伝統とは、なんの根拠もない、その「伝統」と呼ばれる事象が好きな人の妄想でしかないのではないか。
日本史を辿るたびにそういう思いを強くする事が多いが、今回もその思いを強くした。
日本はもともと縦書きの文化だった。行は右から左に進む「右縦書き」の文化だ。これは今も残る古文書の類を見ればすぐにわかる。
では「横書き」はどうか。今の日本に多い左から右に進む「左横書き」はどういう経緯で定着したのか?
私と同年代くらいの人ならすぐに思いつくと思うが、日本では右から左に進む「右横書き」があったこともよくご存知だろう。そもそも「印象」としては、古いものに右からの横書きが多いと感じているのではないか。
それでは何故その右横書きは少なくなってのか?
縦書きが右からだから、横書きも最初は右からだったのだろう。
欧文はもともと左書きだから、その影響で右横書きが左横書きに変わったのではないか。
その辺りには、日本の敗戦が関係していて、戦後、日本の「伝統的な右横書き」が、左横書きに矯正されたのでは?
そういう発想をする人が多いだろう。いやむしろ歴史を知る人こそそういう発想をするのではないか。
この「横書き登場」は今に残る様々な証拠、浮世絵、絵画、新聞記事とその新聞に掲載された広告類、雑誌やポスター、チラシを丁寧に調べ、横書きがいつ生まれたのか、そして書く方向がどのように変わってきたのかを明らかにしていく。
簡単に言うと横書きが生まれたのは西洋文化との接触が始まった江戸後期。その時は西洋っぽさだけを取り入れる人たちも多く、右横書きも左横書きも混在していた。
戦前まで、色々な事情で右横書き、左横書きの盛衰があるが、大日本帝国の旗色が悪くなり始めても左横書きは使われていた。
そしてこの時期にまさに「右横書き」が「日本の伝統」であるという横書きの歴史を無視した前提を唱えて右横書きを強制する指示が国から出されるようになるのだ。
しかし、技術書などはそもそも横書きで出版されるものが多いので、そのようなものは例外とするなどの都合の良い「伝統」である。
この都合のよい良い伝統による認識は戦後も残る。
横書きの歴史を事細かに調べ、分析された筆者の根気の強さにはつくづく感心する。
また「横書き」とは何か?という横書きの定義(擬似横書き=1行1文字の縦書きとの区別)なども新鮮だった。