紙の本
教科書の教えない中世欧州
2021/07/03 14:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代では死刑を廃止している
欧州各国が、過去にどのような
刑罰を有してきたかを知る為には、
格好の概説書です。
刑の円滑な執行とは
一見関係なさそうに思える、
夥しい数のしきたりが紹介され、
その一つ一つにこめられた意味も
解説されていて、興味深く読めます。
この本で知った内容を、
同時代の日本や中国における
刑罰の実態と比較してみると、
なお面白いと思います。
投稿元:
レビューを見る
ドイツを中心に、中世の転換期を都市の成立と刑罰の変容から、民衆意識(刑吏の登場と彼らへの賤視・蔑視の誕生)を探る労作。もっと適切に言うなら、古ゲルマン文化→キリスト教の受容・浸透(侵入?)とその併存→都市化→近代国家への萌芽、までを描いた一冊だと思う。古い新書だけれど、やっぱり面白い。久しぶりに『監獄の誕生』も読みたくなった。近代的な監獄・刑罰の制度化の前史でもあり、また華々しい身体刑、残酷な拷問が誕生・普及する過程史でもある。旧漢字も含め、活字の読み難さという難点はあるけれど、内容は素直に面白い。
投稿元:
レビューを見る
膨大な文献を元に中世欧州での"処刑"概念、刑吏の蔑視と賎視をさまざまな実例を元に、あっさりと描いた。1978年刊行、著者初期の代表作。感情を変にこめず、淡々と記述してゆくがゆえに、個々のエピソードが興味深く現れる。「罪は個人や状況が問題でなく、共同体秩序を乱した結果が問題である。よって情状酌量の発想なし」という部族法の概念。14世紀前に欧州で一般的だったという。不勉強で知らなかった。
投稿元:
レビューを見る
フォン・アミラその他諸氏の分析の努力にもかかわらず、ある時代・空間に生活する人間集団に共有された単一の整合性ある「世界観」を再構成しようとする努力は、いつも失敗する運命にあるように思われる。いつの時代もひとは、良くも悪くももっと柔軟に、矛盾だらけの方法でもって世界を観ていたのであってみれば。
そのようなわけで終盤の刑吏賤視の起源をめぐる考察はよいけれど、前述の諸学説を紹介する際の著者(阿部)の無批判な態度にはちょっと残念な気持ちにさせられた。
投稿元:
レビューを見る
日本での社会史の第一人者である阿部謹也の個人的に考える意味での主著です。一見日本人がやることに何の意味があるのか分からない中世ヨーロッパの庶民の歴史、になぜ阿部がここまでこだわり続けたのか、はこれを読むと端的に分かると思います。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
ジョジョ第7部「スティール・ボール・ラン」のジャイロ・ツェペリの本職が首斬り役人ってことで、読んでみました。
ジャイロの父親グレゴリオは高潔、厳格で冷徹な執行人だったわけですが、そんなイメージの人物も実在したんですね。
ニュールンベルクの刑吏フランツ・シュミット。自らの職務に誇りを持ち、人間の首の太さと長さを常に意識していたようです。日記をずっとつけていたってところはグレゴリオとは違うところかな。
投稿元:
レビューを見る
1月8冊目。中世ドイツ史を研究する阿部氏の1冊。当時人々から差別の対象となった刑吏―賤民―の歴史を先行研究と史料からを描き出した。処刑の持つ意味とそれを行う刑吏への人々のまなざしを分析した珠玉の1冊。専門的な用語・単語が出てくるが、伝えたい箇所はわかりやすく、著者の思いが伝わってくる。また、氏のところどころにみられる現在への意識は、歴史学で何かものを書くときに見習わなければならないものである。
投稿元:
レビューを見る
書名のインパクトで手に取った一冊。不勉強で著者の功績もよく知らない。
中世、処刑は共同体の傷を治す儀式・供犠・祭祀であり、都市の擡頭とともに刑吏という職業が生まれたという内容。
市民から賤視・蔑視されるも給料は良く裕福であったという。
本書後半に次のようにある。
刑吏が蔑視されたのは倫理観や同時の人はヒューマニズムに欠けていたと回答するのは簡単だが、共同体が崩壊したという点を見逃してはならない。
犯罪とは社会的な規範の元で定義される。時代が変われば罪ではない犯罪もある。犯罪は社会のほころびから生まれるもので、罪を個人の責任に全て科しそれでほころびを無視するのは個人主義の陥穽に陥っている。
現代までこの流れは繋がっているという。
投稿元:
レビューを見る
◆単なる「刑吏の歴史」ではなく、社会のなかでの刑吏・処刑の位置づけ、つまり人びとにとっての刑吏・処刑観の変遷を描き出す、ダイナミックな一冊。
◆刑吏という職業は、13世紀ごろに登場してから、ながらく市民としての権利をもたない差別の対象だった。しかしそれは、彼らが人の死に触れていたからではない。「刑吏」が登場するまでは、「処刑」をおこなうのは原告(被害者)であったし、復讐のために殺人を行った人は卑賤の対象にはならなかった。なぜならそれは、共同体の必要上から誰かしらが担ってきたからだ。
◆ところが、やがて職業としての刑吏や制度としての刑罰が誕生する(このあたり理解がいまいち)。著者によれば、中小都市の初期では、刑吏は土着の神の使者であり、市民権が認められていたという。しかし、キリスト教の終末思想的平和観(勝手な造語!)によって現れた「処刑」に対する恐れや、ツンフトの組合員が自らの名誉(純粋性)を示すための相対的な穢れた対象として、刑吏が位置づけられていった。刑吏が市民としての名誉を回復するためには、19世紀近代を待たなければならなかった。
* 感想 *
◆人びとにとって必要だったもの(共同体の修復のためにみんなで行っていた儀式)が制度(官吏としての刑吏)として独立し、忌避の対象となる。社会のなかで刑吏の位置づけが二転三転してゆく様子は、ともすれば話の迷路に迷い込みかねないのだけど、この本はすっきりまとまっていると思った。けれど、図書館で借りた本書はボロボロすぎて、破かないか怯えながら読んだ。
◆穢れた存在ではあるけれど、人体を知り尽くした刑吏は医者としても有能だったから、人びとは夜にこっそり刑吏のもとを訪れる。そんな歪んだ社会の在り方も興味深い。サンソン家を題材にしたマンガ(http://booklog.jp/item/1/4088795652)が最近あるので、そちらも読むといっそう本書が面白く読めると思う(逆もしかり)。
投稿元:
レビューを見る
17世紀、神聖ローマ帝国を舞台にした小説『聖餐城』を楽しむために。主人公の恋する少女が刑吏の娘という設定なので。
かつて神聖な儀式であった処刑が、12〜13世紀頃から「名誉をもたない」賎民の仕事に変わっていく、職業としての刑吏が出現し、彼らは蔑視され激しい差別を受けるようになる。その蔑視、差別の根元は何かを探る、スリリングな研究書。
いつも思うけれど、阿部氏の文章は読みやすく飽きさせない。資料のつもりで斜め読みするつもりが、しっかり読み込んでしまう。
投稿元:
レビューを見る
ネタバレ 1978年刊行。◆ドイツ中世期において、刑の執行(特に、磔刑等の執行)に従事した刑吏職は、その前期と後期では、彼等への社会的目線、すなわち賤民性の度合いが全く異なった。◇この刑吏職の実態と賤民性拡大に関し、刑罰(特に死刑)の種類、その社会的意味や目的、キリスト教の社会的普及と呪術性減退との関係性、ドイツの社会構成体の史的変遷、刑事法の目的の変容と絡めて解説する。◆その内実分析は、ドイツの学説を駆使しつつ明瞭に説明する。◆しかし、著者の結論には些かの疑問もないではない。◇刑執行という権力行使への民衆の怨嗟。
これが刑吏への卑賤観を亢進させたと著者は看做している。◇しかし、権力行使の源泉にない末端権力への非難にすぎず、直ちにそれが首肯できるか。◆ただの駒に過ぎない彼らに対する怨嗟というであれば、もう少し、刑吏の権力行使の恣意性、かつ上層機構とは無関係な独断性の説明にもっと紙数を費やすべきではないか、との感。◇むしろ「死」との直接的な関わりを持つ者に対する忌避感、恐怖感が卑賤観の淵源にあると正面から認めた方が、座りが良い印象がある。◆ところで、本書意外には、西欧・賤民のキーワードでなかなか類書が見つからない。
したがって、確かに古い本だが、新書サイズとして貴重な一書かもしれない。◆なお、本筋ではないかもしれないが、科罰法(科刑法ではない)の史的変遷はその目的論を含め興味を引く。罪刑法定主義の誕生経緯とも絡み、勉強したくなった領域。◆著者は一橋大学教授。
投稿元:
レビューを見る
かつて社会にとって最も神聖な儀式であった「処刑」は、十二、三世紀を境にして、〝名誉をもたない〟刑吏の仕事に変っていった。職業としての刑吏が出現し、彼らは民衆から蔑視され、日常生活においても厳しい差別をうけた。都市の成立とツンフトの結成、それにともなう新しい人間関係の展開、その中で刑罰観はどう変化していったか。刑罰観の変遷と刑吏差別の根源を追究する中で、庶民生活の実態を明らかにし、民衆意識の深層に迫る。
中世ヨーロッパというよりは、フランク王国、ドイツの諸都市の社会についてがメインで述べられている。もちろんフランスやイギリスの処刑人についても書かれているが、ツンフトだとかギルド、ラント平和令などのタームはしばらく世界史から離れていた人間には最初ちょっと理解に時間がかかった。
刑吏というのは、刑罰がなければ存在しない。刑罰は、犯罪がなければ存在しない。犯罪は、犯罪者が起こすもの。したがって、法制史的な面も述べられていて、大変興味深かった。
12,3世紀にキリスト教が入り込み、都市が形成されるまで、殺人や強盗など明確な加害者と被害者があり、血族による復讐が認められていた時、処刑人は不要だった。被害者自身が復讐するから。その他の犯罪については、「地域社会の安全を脅かすもの」「平和・秩序を乱すもの」として、「罪を祭祀によって洗い流し」「秩序を取り戻す」ための儀式的としての性格として処罰が行われており、犯人を殺す、死刑にするというよりは、死ぬも死なぬもその時の運、偶然刑としての性格が強い処罰が行われていた。これは日本史でも古代には行われていたようなもので、人類の歴史として自然な流れだったのかなと思った。
社会が発展し、支配階級がよりはっきりと現れてくる中で、支配者がより支配を強くするために法を整備し、犯罪を定義し、刑罰を作るというのは本当に興味深いなと思う。
穢れを浄化するための刑罰だったはずが、気づけば「自分たちの仲間のうちの罪人」を殺すものに変化していったことに対し、一般民衆、いわゆる名誉ある市民がその刑罰を実行する刑吏を避けるようになるのは、感覚として理解できない事ではない。
その蔑視されていた刑吏を、軍隊の強化が急務となった時代に「賤民」から「名誉ある市民」に掬い上げ、そのまま軍隊へ入れてしまったという時代の流れもまた、現代社会においてよく見る構図であり、社会史から学ぶことは多いと感じた。
罪が社会のものから個人のものとなり、社会問題上の事情から起きた犯罪についても、その問題については目をつむり、個人の問題として断罪するのもまた現在の問題であると思った。
「罪を憎んで人を憎まず」とはいうけれど、その罪に至る状況へ目を向け、解決を図る社会になっていきたいものだと思う。
投稿元:
レビューを見る
中世ヨーロッパにおいて賤民の立場に置かれた刑吏に焦点を当て、彼らがなぜ賤民として扱われたのかを、当時の時代背景と刑法の変化から解き明かそうとした本。最終的に刑吏がなぜ人々に恐れられ、賤民扱いされたのかという点については、周辺状況からの妥当性を感じさせる推測として解答が提示されている。しかし、それよりもむすびの部分で指摘されている犯罪は社会的なものであるという一連の内容が非常に鋭く、現代にも通じる問題提起であると思われた。