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快感進化論 ヒトは音場で進化する みんなのレビュー

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みんなのレビュー2件

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評価内訳

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高い評価の役に立ったレビュー

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2006/01/16 17:21

栗本理論の継承者伊勢「音」史郎

投稿者:nobu_00 - この投稿者のレビュー一覧を見る

栗本理論に「シリウス神拳」というものが存在したなら、それは一子相伝であり正統な継承者は彼である(最近の栗本慎一郎著「シリウスの都 飛鳥」からのパロディです(笑))。伊勢史郎はかつての栗本慎一郎自由大学の生徒であり、自他共に認める師弟関係であり、音響学者である。「栗本は『暗黙知理論』『過剰ー蕩尽理論』『快感進化論』を一九八八年までの時点で別々に言及しているのだが、それらの結びつきを明確に述べていない。この点を明確に述べることが本書の目的であり、栗本を超えるオリジナリティを主張できる部分でもある。」(103p)とある通り、これは栗本理論を統一しようとする試みである。彼はミームは脳内のシナプス構造に実体として存在し、「声による毛づくろい」としてのコミュニケーションの発達が前頭連合野の快感神経とむすびつけられ、ヒトは進化の過程でミームを複製するために快楽物質を生成すると言う脳内のメカニズムを獲得したとある。合わせてV・S・ラマチャンドラン&サンドラ・ブレイクスリー著「脳のなかの幽霊」(角川書店)と読まれたい。そこに書かれていることが単なるあてずっぽうでないことがわかる。
確かに「聖なる野蛮人」栗本慎一郎(上杉清文評)の文章までミームとして受け継いでないのはあるが、それは個性だから仕方が無い。天才にはもう少し破滅性があったほうが良いが、おせっかいだよなそれは。真摯さは文章からよく伝わってる。あとは読ませるという魔力をどう獲得するかであろう。師匠に刃を向けた「ラオウ」として伝説の名セリフを残すか、師匠を超えた「無想転生」を得てレベルアップするかは今後次第であろう。

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低い評価の役に立ったレビュー

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2004/01/19 20:06

音響学者だそうだけれど文章はグルーヴ感不足

投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

栗本慎一郎直系の若手学者(京大助教授)による遅れてきた現代思想本。本書のノリは80年代風だ。「ヒトの進化の謎はここで完全に解かれる!?」と御大自身による序文がついているが、果たしてどうか。

乱暴に要約してみよう。

我々の祖先は進化の過程で知の快感装置を頭の中にビルトインした(表現する快感、および受け取る快感、また理解する快感)。そのことによって知の増大が図られ、脳の容量では勝るネアンデルタール人に打ち勝って現在の形に進化してきた。その知の快感装置とは、リチャード・ドーキンスによって発見されたミームに他ならない。概念であるミームは、物質的には記憶の際に起こる脳内の変化(=シナプスの変化)に対応する。

とまあ、こんな種類の議論である。

論証のために、マイケル・ポランニーの「暗黙知理論」および栗本慎一郎の「層の理論」が下敷きにされ、プリゴジンの「自己組織化論」、澤口俊之の「脳の多重フレームモデル」が引用される。こういう知のコラージュが少し懐かしい。部分的に少しは惹かれるフレーズがないではないが、一冊通しでつきあうのはちょっとつらい。議論の成否以前の問題として、師匠格の栗本慎一郎が持っている文章の強いグルーヴ感が感じられないのだ。80年代のエクリチュールが一様に持っていた文章のリズム(浅田彰の美文が典型)がここにはない。何よりそれが致命的だ。

進化論について最新の議論を知るなら、餅は餅屋で、佐倉統の方がずっとよいと思う。たとえば『現代思想としての環境問題』(中公新書)を推す。人類進化の謎といった大テーマに迫るのなら、もう少し地味でも緻密な議論の方が長持ちするのではないか。

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紙の本

栗本理論の継承者伊勢「音」史郎

2006/01/16 17:21

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nobu_00 - この投稿者のレビュー一覧を見る

栗本理論に「シリウス神拳」というものが存在したなら、それは一子相伝であり正統な継承者は彼である(最近の栗本慎一郎著「シリウスの都 飛鳥」からのパロディです(笑))。伊勢史郎はかつての栗本慎一郎自由大学の生徒であり、自他共に認める師弟関係であり、音響学者である。「栗本は『暗黙知理論』『過剰ー蕩尽理論』『快感進化論』を一九八八年までの時点で別々に言及しているのだが、それらの結びつきを明確に述べていない。この点を明確に述べることが本書の目的であり、栗本を超えるオリジナリティを主張できる部分でもある。」(103p)とある通り、これは栗本理論を統一しようとする試みである。彼はミームは脳内のシナプス構造に実体として存在し、「声による毛づくろい」としてのコミュニケーションの発達が前頭連合野の快感神経とむすびつけられ、ヒトは進化の過程でミームを複製するために快楽物質を生成すると言う脳内のメカニズムを獲得したとある。合わせてV・S・ラマチャンドラン&サンドラ・ブレイクスリー著「脳のなかの幽霊」(角川書店)と読まれたい。そこに書かれていることが単なるあてずっぽうでないことがわかる。
確かに「聖なる野蛮人」栗本慎一郎(上杉清文評)の文章までミームとして受け継いでないのはあるが、それは個性だから仕方が無い。天才にはもう少し破滅性があったほうが良いが、おせっかいだよなそれは。真摯さは文章からよく伝わってる。あとは読ませるという魔力をどう獲得するかであろう。師匠に刃を向けた「ラオウ」として伝説の名セリフを残すか、師匠を超えた「無想転生」を得てレベルアップするかは今後次第であろう。

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音響学者だそうだけれど文章はグルーヴ感不足

2004/01/19 20:06

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投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

栗本慎一郎直系の若手学者(京大助教授)による遅れてきた現代思想本。本書のノリは80年代風だ。「ヒトの進化の謎はここで完全に解かれる!?」と御大自身による序文がついているが、果たしてどうか。

乱暴に要約してみよう。

我々の祖先は進化の過程で知の快感装置を頭の中にビルトインした(表現する快感、および受け取る快感、また理解する快感)。そのことによって知の増大が図られ、脳の容量では勝るネアンデルタール人に打ち勝って現在の形に進化してきた。その知の快感装置とは、リチャード・ドーキンスによって発見されたミームに他ならない。概念であるミームは、物質的には記憶の際に起こる脳内の変化(=シナプスの変化)に対応する。

とまあ、こんな種類の議論である。

論証のために、マイケル・ポランニーの「暗黙知理論」および栗本慎一郎の「層の理論」が下敷きにされ、プリゴジンの「自己組織化論」、澤口俊之の「脳の多重フレームモデル」が引用される。こういう知のコラージュが少し懐かしい。部分的に少しは惹かれるフレーズがないではないが、一冊通しでつきあうのはちょっとつらい。議論の成否以前の問題として、師匠格の栗本慎一郎が持っている文章の強いグルーヴ感が感じられないのだ。80年代のエクリチュールが一様に持っていた文章のリズム(浅田彰の美文が典型)がここにはない。何よりそれが致命的だ。

進化論について最新の議論を知るなら、餅は餅屋で、佐倉統の方がずっとよいと思う。たとえば『現代思想としての環境問題』(中公新書)を推す。人類進化の謎といった大テーマに迫るのなら、もう少し地味でも緻密な議論の方が長持ちするのではないか。

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