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紙の本
イデオロギーとしての日本語文法
2004/06/20 16:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「日本語はある状況を、自動詞中心の「何かがそこにある・自然にそうなる」という、存在や状態変化の文として表現する」。つまり「自然中心」の発想・世界観に裏うちされた「ある」日本語。あるいは「虫の視点」(移動)で状況をコトバ化する人称代名詞不要・アスペクト優位の日本語。「一方、英語は同じ状況を、「誰が何かをする」という意味の、他動詞をはさんだSVO構文で示す」。つまり「人間中心」の発想・世界観に裏うちされた「する」英語。あるいは「神の視点」(不動)を得た人称代名詞必要・テンス優位の印欧語。──ここまでならよくある(現在に固有な現象を普遍化し過去に遡及して見出す)「比較」文化論の別ヴァージョンでしかない。面白いのは、西洋語の「自然離れの航海」を遡って古英語と日本語の構文の類似を確認し、印欧語古語に見られる「中動相[Middle Voice]」(形は受動相、意味は能動相)を「印欧語における無主語文」と喝破し、黙殺された三上(章)文法=土着の文法へのオマージュで結ばれる後半部。──柄谷行人は「ネーション=ステートと言語学」で「一九世紀の史的言語学[印欧比較言語学]は、ネーション=ステートの拡張としての帝国主義のイデオロギー」であったと書いている(『ネーションと美学』)。著者は本書でイデオロギーとしての日本語文法の解体修復を試みている。
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