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歴史を学ぶ意味について、近年の研究の成果を取り入れつつ、簡便にまとめた入門書。あとがきで著者が触れているように、古典的名著が入手難であったり、文体が固く、専門外の読者には取りつきづらかったりするのに対し、内容が大分噛み砕かれており、歴史について生じ易い疑問である「史実は分かるか」「歴史は役に立つのか」という二つの主題について理解しやすい。
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分かりやすい言葉で書かれた歴史学の入門書です。
そもそも歴史学とは何かという問いを立てるのであれば当然、史実の認識可能性についての議論に立ち入らなければなりません。本書でも、構造主義の源泉となったソシュールの言語論以降、私たちは歴史をあるがままに認識することができるのか、という深刻な問いにさらされたことに言及されています。さらに、上野千鶴子が構築主義の立場から従軍慰安婦論争に参戦した経緯などの例をあげて、歴史学者はどのようにして「史実」にアクセスできるのかという問題が、単なる歴史哲学上の理論的な問題にとどまらず、アクチュアルな意味を帯びた問題であることが浮き彫りにされています。
ただし著者は、歴史を一つの「物語」として相対化してしまうような極端な立場には与せず、たえず史料批判へと立ち戻ることで、絶対的な真理には到達できなくても、「コニュニケーショナルな正しさ」を追求することができるという立場を採ります。
歴史を学ぶ者がさしあたって歴史学という営みを続けてゆくことができるためには、そしてさまざまな民族や国家における歴史認識の断絶を克服するためには、いわば実践的な観点から「コミュニケーショナルな正しさ」の立場が欠かせません。本書では、そうした歴史学者にとっての歴史認識の方法論的考察が展開されていると言ってよいのではないかと思います。
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最近真面目に歴史の勉強を始めてからこっち、自分の中でぐるぐる渦巻いていた命題にたいして、数十年余分に行きてる先輩から分かりやすいビジョンを見せてもらえた、という感じでした。
まだまだ勉強不足で批判的に評価できてるかは分からないけど、私にとってこの本は足がかりの一つとして充分すぎる素晴らしい本でした。
出会えて良かったです。
私が持っていた命題に対して私が想像してた落とし所以上に思考を提示してくれました。
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1963年生まれのフランス経済史を専門とする経済史学者・小田中直樹による2004年の著書。
著者は本書の内容について、序章で、歴史学の意義とは何かという疑問に答えるべく、①歴史学は歴史上の事実である「史実」にアクセスできるか、②歴史を知ることは役に立つか、役に立つとすれば、どんなとき、どんなかたちで役に立つか、③そもそも歴史学とは何か、という三つの問題を取り上げるとすると同時に、本書の目的について、あとがきで、①歴史学について、なるべく体系的に基本的な知識を整理すること、つまり、歴史学の入門書として機能すること、②歴史にかかわる優れた啓蒙書を紹介するブック・ガイドとして機能すること、③歴史を考える枠組みを再検討してみること、の三つと述べている。
本書の主な主張、及び私の印象に残った点は以下である。
◆歴史学の営みは、史実を明らかにすること、即ち「認識」と、認識した史実に意味を与え、ほかの史実と関連させ、その上でまとまったイメージである歴史像を描くこと、即ち「解釈」という、二つの作業から成る。
◆1970年代に現代思想家ジャン=フランソワ・リオタールは、「“大きな物語”は終わった」、即ち、歴史のトレンドを描き出すことは無意味になったと主張したが、実際には、“大きな物語”が終わったのではなく、それぞれの民族の歴史や大衆の歴史などの様々な“大きな物語”が併存するようになった、即ち、歴史の相対化の時代に入ったということである。従って、歴史家は、たとえ相対化されたものではあっても、より正しい「解釈」を求め続けることが使命である。
◆同様に、1970年代に言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが展開した、「もの」、「意味」、「言葉」の三者の繋がりは恣意的なものにすぎないという構造主義の思想は、歴史の「認識」についても疑問を投げかけるものであったが、歴史学に求められているのは、コミュニケーションによって、多数の人々の間で正しいに違いないという「認識」に至ること、更に、そこからより正しい「解釈」に至ることである。
◆歴史学は、外国に関わる歴史像や、外国と日本の関係に関わる歴史像を提供し、我々の集団的なアイデンティティを相対化する際に重要な役割を果たす。しかし、第二次世界大戦に向けて、日本人の意識を統制したのが当時の歴史学を支配する考え方であったことなどを踏まえると、歴史学が「社会」の役に立つべきか否かという問題を考える際には、慎重さが求められる。むしろ、根拠がある史実に基づくという真実性を経由した上で、直接に「社会」の役に立とうとするのではなく、つまり、集団的なアイデンティティや記憶に介入しようとするのではなく、「個人」の日常生活に役立つ知識を提供しようとすることが大事である。
◆そもそも、様々な科学を学ぶことの意義は、自覚的にものを考える必要に迫られたときに「考え方のモデルのカタログ」として自分の役に立つ、地に足がついた知識としてのコモン・センスを体得することにある。そして、歴史学もその科学の中のひとつなのである。
若手の歴史学者が、現代思想の考え方を取り込みつつ、歴史学の意義と課題(更には限界)を率直に述べており、好感の持てる���冊である。
(2006年12月了)
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歴史学者は歴史小説家を下に見る傾向があるように思う。
が、本書によれば、「根拠を追い求め」「他者に正しい(認識)と共有される」ならば、両者の違いはなくなるという事になる。よって、歴史に対する「姿勢」や読み手の評価が問題なのであって、アカデミズム(科学)か商業主義(想像)かの違いを議論するのは不毛な気がした。究極の所は本当の事は誰にもわからないし、客観は認識できないという哲学的テーマに入り込む。結局、歴史はそれを選択した人の多数決で決まる事になる。人はヒステリーを起こすから、ここにはリスクもある。
また、「役に立つ」かどうかも意味のない議論で、世の中に影響を与えるのは間違いなく、その功罪について論じるべきだろう。(著者は一応論じているようには思えるが書き方がよくないような)
入門書なのでアウトラインを提示するのみで、問題提起に留まっており、総じて論旨がゆるく、論調は弱い。著者にも迷いが感じられるし、そもそも確たる答えもないのかもしれない。それが著者の誠実さであるとも言えなくもない。要するに、「断言する人間は疑え」って事になるのかと。
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小田中直樹著『歴史学ってなんだ?(PHP新書)』(PHP研究所)
2004.2発行
2022.12.27読了
本書は、歴史学の意義を考える上での三つの問題について、考察している。すなわち、①歴史学は、歴史上の事実である「史実」にアクセスできるか、②歴史を知ることは役に立つのか、③そもそも歴史学とは何か、である。
①については、史料批判などによって「コミュニケーショナルに正しい認識」に至り、さらにそこから「より正しい解釈」に至ることができるとする。
②については、歴史学は、歴史像の正当性を計る際に使える基準を供給し、それによって、歴史上のさまざまな問題をめぐる議論をよりよいものにしていくことができるとする。
③については、利用できるかぎりの証拠をかき集め、みんなで突き合わせ、史実としての蓋然性が高いのであれば、ほかの「通常科学」と同じように、そのことを認め、そのうえで、どのような「コモン・センス」が得られるかを考える学問であると統括している。
URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000004339367
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(『岩波ジュニア新書655世界史読書案内』にて紹介 p.17)
「小田中さんはフランス社会経済史の専門家。歴史書と歴史小説、マルクス主義歴史学と構造主義、従軍慰安婦論争や日本人のアイデンティティ問題、そして高校の歴史教科書などを取り上げながら、一つずつ論理を積み重ねて論証してゆく。語り口もやさしくて読みやすい本」
目次
序章 悩める歴史学
第1章 史実を明らかにできるか
第2章 歴史学は社会の役に立つか
第3章 歴史家は何をしているか
終章 歴史学の枠組みを考える
著者等紹介
小田中直樹[オダナカナオキ]
1963年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科単位取得退学。博士(経済学)。東京大学社会科学研究所助手を経て、現在、東北大学大学院経済学研究科助教授。専攻は社会経済史
(『世界史読書案内』津野田興一著 より紹介)
世界史を学ぶことに一体どんな意味があるのか。
①「事実」としての世界の歴史を知るのは、世界そのものを理解することにつながる
②世界史を学べば日本の歴史をより理解できる(日本も世界の一つ、世界とつながりがある)
③「今(ここにいる自分)」を知ることにつながる(比べることで見えてくる。相対化し、比較することで自分自身を見つめなおすことができる)
→比較の方法には
・「時間軸をずらす」(自分が当たり前だと思っている習慣は昔は非常識だったり、最近できた制度だったりする。いつからどうはじまったのだろうか、昔はどうだったのだろうか)
・「空間軸をずらす」(日本や自分の住む地域とは異なる国や地域の、地域の社会や仕組み、伝統や習慣を知る) の2通りがある。
・さらに、「今」を知るためには過去を知る必要がある因果関係(原因と結果)が歴史を学ぶ上で大事。現在のぼくたちの社会は、過去の「原因」があるからこそ生まれてきた「結果」なのである。過去を遡って「原因」を知ることは大切。