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ちょうど二十年前になる。一九八六(昭和六一)年五月十日、郡山での全国地方教育史学会の時に神辺靖光、米田俊彦、新谷と四方一瀰氏の四人が郡山ワシントンホテルのロビーに集まり、密談を行った。中等教育史に関する研究会を作ろうではないかという話し合いだった。そしてこの年の七月十九日に第一回の中等教育史研究会を開催したのであった。それまで日本教育史の中で中等教育史に関する研究というものがなかったわけではない。ただ、中等教育史という研究分野はまだ確立していなかった。中等教育史の領域に属すると思われる研究書も数えるほどもなかった。そうした中で中等教育史研究の仲間を集めてディスカッションの輪を広げたいというのがそのときの四人の切なる願いであった。
それまでは中等教育を対象とした研究がなかったわけではないが、中等教育史研究という領域を意識した研究の蓄積があったというふうには評価はしにくい。中等教育史というものが展開を迎えるのは一九七〇年代後半からであろう、とかつて私は書いたことがある(新谷恭明「課題と展望 中等教育史」『日本教育史研究』 第7号 一九八八年)。そして、中等教育史研究のある部分は明治前期の政策史的な研究に力を注いでいた。それは明治前期を研究するということが「日本における中等教育の原点を模索するもの」(同)であったからだ。その中で私は「その明治前期の中学校政策を変えたといってもよい中学校教則大綱に関しては四方一瀰ママ氏が一九八〇年代にはいって精力的に中学校教則大綱の府県準拠規則の研究を続けている」(同)と評価していた。
このとき書いたように四方氏は実に精力的に研究を重ね、その後も重ねていたのを送られてくる抜刷によって承知していた。本書はそうした精力的な研究の集大成であると言えよう。
周知のように、日本の中等教育が成立していく過程で避けて通れないのが明治十年代における中学校の正格化である。その正格化政策の端緒となったのは中学校教則大綱であったのだが、その制度と理念が地方に定着していく過程はいくつかの地方教育史的研究では断片的に触れてはいるものの政策としての全体像は未解明のままであった。というより、中学校教則大綱という制度について正面から取り組んだ研究は皆無であったといってよい。本書はそうした中学校教則大綱の法制度史研究と位置づけることができよう。
まず、本書のおおよその構成は左の通りである。
第一章 「中学校教則課程」の成立過程
第二章 府県における中学校教則大綱準拠規則の成立過程
第三章 中学校教則大綱と「教授要旨」
第四章 中学校教則大綱と教科書
第五章 中学校教則大綱体制と「尊王愛国」・儒教主義
第六章 中学校教則大綱体制と教育財政
資料編
第一章では、『文部省日誌』や三高史料、各府県庁文書などの一次史料を駆使して中学校教則大綱体制が成立していく過程が描かれている。その過程での文部省の統制・画一化の流れを府県及び官立大阪中学校を素材に丹念に読み取っている。そしてその過程が決して順調ではなかったことも意味のあるものとして理解できた。
第二章では、埼玉・���口の両県と東京府を対象として府県における中学校教則大綱受容の実態を一次史料を丹念に読み解きながら解明している。著者に言わせれば、この時期の「実態資料はもとよりもっとも基礎的な行政史料についても不明な点が多い」(七三頁)ということであり、確実な史料の積み上げによって実態の一端を解き明かしている。そして
第三章では、「教授要旨」について検証しているのだが、実際の教育内容や水準に関わる「教授要旨」ができあがっていく過程からこの時期の文部省が中学校の教則や教育内容についてまだ模索段階であったことを明らかにし、実際の府県中学校や官立中学校での「教授要旨」について検証を行い、それらの特色を明らかにしている。
第四章は中学校における書籍の問題を俎上に載せている。中学校教則大綱が中学校の内実を正格化せしめていくものとして制定された以上、中学校で使用される書籍の扱いが重要視されてくる。この章では中学校教則大綱によって重要性を増した書籍の扱い(集書、貸出、管理等)について明らかにしている。章のタイトルには教科書と記されてはいるが、むしろ学校図書館史としての意義がある研究である。
第五章では中学校教則大綱のイデオロギー性について検討をしている。中学校教則大綱は単に中学校制度の整備にとどまるものではなく、中学校教育によって育成される人物についても考慮していた。それを「儒教主義による『尊王愛国ノ涵養ノ重視』」と著者は見ているのだが、ここでは「教授要旨」、校則、「生徒心得」等にそうしたイデオロギーが込められている実態を明らかにしている。おりしも不平等条約の改正といった外交問題、自由民権運動に対する対応といった内政問題を抱えていたわけで、その実際の扱われ方を見ていくことで後の国家主義教育の芽を見出している。
第六章では、財政問題に言及している。おりしも松方財政下で学校財政も困難を期していたとの認識から、中学校の制度的な充実、教員の確保といった財政的基盤を要する部分の実情について主として山口県を素材に解明している。
また、資料編にも注目しておきたい。資料編は一八〇余頁にのぼり、〈一 官立大阪中学校教科書表〉、〈二 「中学校教則大綱」府県準拠教則・教則「教科用書表」にみる教科書一覧〉、〈三 「中学校教則大綱」府県準拠校則・教則「教授要旨」一覧〉がまとめられている。これらは本書の中でも言及される史料でもあるが、それぞれの研究者が地方史的な研究を行う際にもじゅうぶんに活用できる史料であり、たいへんありがたい。
以上だいたいの本書のアウトラインを紹介したが、実は本書はこういう紹介のしかたでは語り尽くせない。なぜならば本書にまとめるまでの著者の史料収集への並々ならぬ執念とでもいうべきものがあるからである。「各府県庁文書などの一次史料を駆使して」などと一言で片付けてはいるが、著者が探索したのはすべての府県の行政史料である。著者はコツコツと全国をくまなく歩き回って史料を収集し、その膨大な史料群を解読し、少しずつ成果として世に問い、ようやく本書の刊行にこぎつけたのである。その間二十余年の歳月を費やしたという。それでいて著者は「基礎史料の収集だけ」(あとがき)であったとひかえめに記しているが、��者が研究者としての道を歩き始めたのが高校の教員から大学教員へ転身した四十八歳の時からであったという来歴を知れば尋常な努力ではないということが想像できるだろう。
ともかく著者の史料への執着が本書をして「基礎的研究」と名乗らせている。本書は一貫して府県の行政史料を中心とした一次史料をベースとして「個々の問題についてその性格や意義を論究することをできる限り避けた」(まえがき)という叙述をしていることによる。中学校教則体制という日本の中等教育のあり方が定まる最初の段階での制度的枠組みがどういうものであったか、ということを説明するときにあえて基礎的研究と銘打った叙述スタイルはじゅうぶんに中等教育史研究に貢献するものであると言えよう。
はじめは史料を読まされる感があるのだが、それらの史料が巧みに読む者を引っ張っていき、一気に読了してしまう。その説得力こそが史料に語らせるという正攻法の魅力そのものだと思う。ややもすれば軽々に性格や意義を論ずることで安易な研究に陥りがちであるが、本書は歴史研究の王道を示してくれている。その意味で、これから教育史研究に踏み出そうとする人にこそ読んでほしい一冊である。
思えば、中等教育史研究会を発足させようと本書の著者である四方一瀰氏を含む有志が集まってからちょうど二十年である。その記念すべき『地方教育史研究』にこの書評を書くことができたのも何かの縁であろうかと思う。二十年にして中等教育史研究は基礎的研究をひとつ世に問うた。願わくは本書に続く基礎的な研究が積み上げられていくことを期待したい。