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筆者は整形外科医で、幾度も脳卒中に教われた。そこで実際に高次脳機能障害になり、当事者としてどのように患者自身が日々の生活を感じているのかを綴った貴重な本でした。
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既読感があり調べてみると、二年半前に一度読んでいました。脳出血というと、ああもうだめだ、というイメージがありますが作者は、障害と共に又は乗り越え(しかも三度も!)社会生活を営んでおられます。果たして自分が同じ状況に置かれた場合、どこまで出来るか(メンタルも含め)甚だ疑問です。高次脳・機能障害ではなく高次・脳機能障害だったのですね。
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高次脳の人を理解するヒントになる視点
高次脳機能障害は、揺れる病態。だから診るほうも、いつも揺れていないと診られない。ー22
視覚失認、二次元の世界の住人、遠近感がないー38
ハイパーラリア、脈絡のある内容で、かといって深い意図はない、強迫観念めいた焦りにせきたてられ、ますます言葉を重ねていくー47
私は人間の作った世の中の約束事というもこについて、記憶を失ってしまったのである。いわば常識のない人間になっていた。ー53
たくさんの人と会話することが、このうえないリハビリになるー87
高次の脳機能の障害ー高次脳という部分はない
私の視覚のいい加減さを補ういちばんの知覚は、触覚である。
人間の行動は記憶がすべてである
言葉として声に出すと、口から出力した行動の記憶が強く作用して、良いー129
高次脳機能障害と認知症とが明らかに違うのは、「自分を誰だか知っているかどうか」という点ー147
劣位半球(右利きの場合、劣位半球は右)の頭頂葉から後頭葉にかけて損傷を受けた場合は、着衣失行の傾向が顕著になるー151
リハビリは想像力ーできなくなったことばかりに目を向けるのではなく、現状で「これもできる」「あんなこともできる」ということを探し、患者さんのプライドを尊重しつつ、サポートしていただければと切に望むー184
回復に必要なものは時間とリラックスと栄養
勝者として生きるーここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながら生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってくださいー226
以下メモ
山鳥重先生
生きてもええやん
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2012年7月5日の神奈川新聞13面、高次脳機能障害と診断された平林望さんが横須賀で個展の記事。
失語症には換語障害というのもある。それが病気か否かは別にして、「打てば響く返答」だったり「回答が当意即妙」の人もいれば、そうでない人もいるのは事実。相手の話し方に原因がある場合もあるが、自分が思っていることが、すぐ適切な言葉で表現できないことはある。
「万が一障害をもったとしても、自分はずっと自分。勇気と希望をもって生きよう」
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高次脳機能障害、という聞き慣れない言葉。3度の脳出血で障害を持つ、元医師の作者が、医師の視点から、自分の病気を分析している所が面白い。体のあちこちが麻痺していて、失敗もたくさんするけれど、それでも前向きに生きる事って出来るんですね。高次脳機能障害から見える世界がどんな物なのか、分かりやすく書かれています。
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医師であり、脳卒中患者でもある著者の山田規畝子さんの闘病の記録と貴重なデータでもあります。
いろんな病気、障害を抱えながら、人生と前向きに向き合っている人の本は迫力があります。
山田さんの本も、読み終えた後の第一声は「凄い」でした。
何回も脳卒中の発作に見舞われ、生死の境をさまよいながらも生還する様を自ら「徳俵の女」と称しています。
心の底をえぐるような事柄を流れるような端麗な静かな表現で語られていてドッキリとします。
それは静かな分、鬼気迫るものがあります。
およそ人が誰でも持っているであろう思いが切々と描かれています。
空間認知ができない、
時間がわからない、
記憶力の低下、、、、
などなどの障害を乗り越え、さぁ次と思った途端の発作、遂に左半分の麻痺が後遺症として残る。
できて当たり前と思った機能、が次々と掌からこぼれる砂のように失っていく。
落ち込み、恨み、脱力しながらも、さらに「生きようと」するその姿は読んでいる私に大きな力を与えてくれました。
不自由ではあるが不幸ではない。
シャッキと前向きに生きるその姿は気高い。
感謝で見つめるその視線の向こうにはやさしさが横たわっている。
人はどう生きるか、、、
人類始まって以来、探し求めているテーマの解決の緒を示してくれているような気がします。
「脳」はボロボロになり、空っぽになっている。
しかし、懸命に「脳」は生きようともがいている。
その健気な有り様は、「人間って素晴らしい」という讃歌に繋がります。
そしてよりよく生きること、今を一生懸命に生きることへの応援歌でもあります。
周りの人々との関わり、
私たちがともすれば忘れがちな「思いやる心」「理解すること」などを訴える告発本でもあります。
将来、見舞われるかもしれない、あるいは身の回りの人の介護に携わるときの指導書でもあります。
ご自分のことを冷静に客観的に分析しながらも我が子への愛が滔々と書かれていて、読みながら涙がジワッ〜〜〜と出てきて仕様がありませんでした。
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不屈の闘志というと著者の意図とは違う表現になってしまうのかもしれないが、ご自身の医師としての知識を土台に、何度も高次脳機能障害に対応してきた記録。
ご自身の脳世界を客観的な筆致で、明るく前向きに表現されている。
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なにやら、理解できない症状が書かれていて、頭をひねるばかり。頭で考えると訳が分からなくなるので、考えずに、想像で受け入れることにしました。認知することについて、ちょっと考えさせられました。
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医学部生へのおススメの本としてどこかで紹介されていたので一読。ちょうど夏学期に脳神経の勉強をして、脳の障害について勉強していたので、実際に女医さんが経験されている体験記はタイムリーで且つとてもためになる本でした。最後の息子さんにあてたお手紙は涙です。神経心理学者のあとがきの解説も分かりやすかったです。
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前書きのところから入り込んでしまう。
医者として働いている中脳卒中になり高次脳機能障害をきした著者。医者からの立場、患者からの立場の二つの目線からの話が学べる。
「何やってるんだろう、私」そう。高次脳機能障害の本当のつらさがここにある。おかしな自分がわかるからつらい。知能の低下はひどくないので、自分の失敗がわかる。失敗したとき、人が何を言っているかもわかる。だから悲しい。いっこうにしゃんとしてくれない頭にイライラする。度重なるミスに、われながらあきれるわ、へこむわ、まったく自分が自分でいやになる。
いくら優秀な医者や研究者でも患者と同じ体験は出来ないのだ。
意識朦朧の中点滴をされている針を抜いてしまう。そこで言われた「あなたお医者さんでしょ」「医者のくせに」わすかな覚醒のときのそんな記憶は、一生忘れることがないと思う。
視覚失認。距離感がわからずに突き指などをしてしまう。階段を降りるときには、どこからスタートなのか、脚はどれだけ前に出せばいいのか、手すりを頼ってもはじめから最後までないと意味がない。作り方に怒りを覚えることもあった。
著者の凄いところは脳卒中に3回なっても医者を続けるというところだと思った。高次脳機能障害、左麻痺、半側空間無視、着衣失行などがありながらも仕事を続けることは私の今までの常識では考えられなかった。
十分な知識を持った専門家がどれだけいるか。軽々しく「できませんよ」と言って欲しくない。高齢の患者さんをまるで赤ん坊か幼児と勘違いしている。患者を自分よりも劣った人間のように扱う医療関係者が多いことも患者の立場になって改めて実感した。
三度の脳卒中の中でも立ち上がる、なかなか出来る事ではない。さらに社会復帰。今では他の本の出版、公演なども行っているようだ。リハビリ職が限界を決めない。そんな事を強く思わせてくれる本であった。
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宇宙について知ることと、
脳の働きについて知ることは同じことの気がする。
隣にいるひとが、知らない世界で生きている。
想像したことがない世界を体験している。
それを読むことができる。知ることができる。
常日頃体が思ったように動いて当然と思っているけど、
それはもしかしたら真理でないのかもしれない。
(自分のものだと当然の権利のように思ってる、もしくは意識してさえない)この体は、ある日突然、与えられたものなんだったし、そういえば。。。
生きていることのエキサイティングさ。
不思議さ。生命のたくましさ。
何より本当に、不死鳥のごとくよみがえるこの方を素晴らしいと思う。
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脳の血管が切れたり、脳梗塞で高次脳機能障害になった医者が自分の体験をまとめた。漢字が出てこない。左の半身が麻痺して感覚がない。短期記憶がすぐに薄れていく。等々のさまざまな高次脳機能障害を持ち前の負けず魂で少しずつ改善し、自分の置かれた世界を本にしてくれた貴重な記録である。
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私はこの本の作者(前頭葉を中心、右脳)とは違い、脳幹の梗塞でしたので、高次脳障害という意味では殆ど影響がありません。
しかしそれは「今では」であって、やはり当初はいろいろとあったように思います。
ここに書いてある事は、もちろん他人には計り知れない事ばかりですが、「事実」であることは本当によく伝わってきます。
切ない内容もありますが、むしろあっけらかんと前向きに生きる姿勢を、私も自分に取り入れて行きたいです。
星4つとはしましたが、ぜひ皆さんに読んでほしい本です。
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脳が壊れながらも生存している知性で本を執筆した希有なリポート。
おかしな動きをしている人=(イコール)知性が欠けている人だと捉えることになんの疑問も持たないのが大多数の自然な感性かと思うが、そうではない人もいるんだという可能性に気づかされる一冊。そういう意味では東田直樹の本も同様で、このての本はたくさんの人に読んでほしい。
ただ、この堅苦しいタイトルと表紙でどれほどの人が手に取ってくれるのか…後発の著作では改善されているようですけどね。
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読み終えてまず思った感想はこの本を書くのに著者はどれだけ苦労したのだろうかというものだった。
自分の思考を文字に起こすという作業、自分の身体の現象を客観的に分析すること、悲観的にならずに日々学習する根気。これらは正常な脳があってこそ為せるものであり、世界が改変してしまった人からしたらどれほど大変なことなんだろう。
病気というのはなった当事者にしか心境はわからず、それ以外の人達が全く同等に共感することは不可能だと思う。しかし、著者が言うように言動から想像しようとすることは出来る。
医療の現場にいて「患者さんのことを思いやって」という言葉をよく聞くが想像するという観点から見ると提供されている医療は思いやりの欠片もないものである。それは科学に基づく治療と銘打って相手の言動を無視した一方的な医療を提供しているからである。
医療は科学でもあるが、心は科学だけでは治せないと思う。それは人が千差万別な存在であり育ってきた環境や思考が違うからである。
本書は貴重な患者から見える世界を言語化したもので患者の気持ちを理解するための本である。
医療従事者に読むべき本として薦めたい。